心風景 inner landscape 26    宮本神酒男


トン族の新郎新婦。地上もっとも幸せなカップルのアツアツぶりにあてられてしまった 

 思えばトン年(トン族正月)の期日を調べるために、単独で貴州省の山奥のトン族の村に徒歩で入り、数か月後に写真家のKさんとともにふたたび訪れてから二十数年もの月日が経つ。年も取るはずである。このトン族村滞在の思わぬ副産物は「山を越える結婚式」だった。

 宴のための肉や油を持っていく 

 豚肉や食用油などを持って新郎の友人や親戚(みな男性)とともに新郎の村(仁里)を出て、山道をたしか8時間ほど歩き、新婦の村(楽里村?)に着く。村の境界、とくに村の門に近づくと、新婦の十人ほどの友人(みな女性)が出てきて、マラソンのゴールのようにテープを張り、通せんぼをする(いわば関所をつくる)のである。

 村の門で通せんぼする女性たち 

 このとき新婦側の女性たちが並んで歌をうたって何かを問いかけるので、新郎の男性たちは歌でこたえなければならない。その何かとは、村に来た理由や自己紹介、新婦にたいする新郎の気持ちなどだろう。男たちはこたえの歌をうたうと、突破を試みるが、なかなか突破できない。突破をしたと思ったら、すぐにテープが張られ、女性たちに阻止される。彼女らはあらたな歌をうたい、ときには意地悪な質問をして男たちをじらし、困らせる。こういった「通りゃんせ」が小一時間ばかりつづく。

 強行突破する新郎側 

 このときの歌もそうだが、祭りのときに演奏される笙(しょう)も音階が少なく、音調は「かごめかごめ」や「通りゃんせ」そっくりなのだ。こういった童謡の起源にはさまざまな説があり、それぞれがもっともらしいが、中国南部起源説が少ないのは残念な気がしないでもない。トン族は大きなくくりで言えばタイ語族の一種である。古代タイ語族(+ミャオ・ヤオ族)の稲作文化とともに、通りゃんせの風習が入ってきたのではないだろうか。

 
大鍋で一挙に宴の食事を調理する。見かけはアレだが、案外おいしい 


 
この中の二人は恋の歌のやりとりをしていた。翌年は彼らの結婚式? 


 新婦の村を出るとき、新郎の側の若者(写真の右端)が女性のひとり(おとなの女性の左端)に対し歌をよみはじめた。彼女は歌で返すのだが、あきらかにノーではないが、なかなかイエスとは言わない。婉曲な表現で断っているように見える。若者はあきらめきれず、つぎつぎと巧みに歌をつむいでいく。次第に女性の返歌も気持ちにこたえるようになっていく。このままうまくいったら、村に連れて帰るつもりなのだろうか。
 そのとき突然山から下りてきた中年男性が叫んだ。「おまえら何やってんだ!」
 おまえらとはこの若い二人のことである。男性はどうやらこの女の子の父親のようだ。それから数分間、説教がつづく。おそらく結婚には早すぎるということなのだろう。しかられた二人はショボンとしていたが、気持ちをたしかめあうことができたので、満足しているようにも思われた。翌年、このカップルのための結婚式がひらかれたのではないかと推測できるが、たしかめるすべがない。
 この場面だけ見ると、これは歌垣である。この地域のトン族の村に生まれたら、歌をよむ能力を身につけなければならない。万葉集時代の日本もそうだったのではなかろうか。五七五七七の形式が生まれる前に、韻を踏んだ恋の歌をうたう歌垣文化が古代日本にもあったはずだ。笙の曲調が童謡とよく似ているように、歌垣文化もまた日本を含むアジア全体に広がっていたのではなかろうか。

 
嫁入り道具を持って新郎側の男たちが村を出るときも、歌をよみながら邪魔をする 


    
宴の翌日、新郎の村へ向かう新婦の、というより姑の一行(左) ちょっと粗末な感じだけどトン族の鼓楼(右) 



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