心風景 landscapes within 28    宮本神酒男


チューコルの行列。アムド地方レコンの南部の村(青海省) 

 チベット人は信仰心の篤い民族だと言われるが、それはみなが仏教の経典を読んで、仏教哲学を論じているといった類の話ではない。日常的に観音のマントラ(真言)「オム・マニ・ペメ・フム」を唱え、仏間の仏像やグル・リンポチェ像に花やお香を捧げ、近くの寺院にお参りし、定期的に開かれる祭りや行事に参加する。そういった仏教の民間活動にいそしむ姿のことを指しているのである。

 
初参加! 幼い娘に経典一巻を背負わせる母親(左)。その後の少女の姿。聖なる巨大ストゥーパに立ち寄り香を焚く(右) 

 チューコル(chos skor)は村の女性たちがニンマ派寺院所蔵の経典を背負い、村の周囲や田んぼの中を巡り歩いて、無病息災、五穀豊穣を祈るという仏教習俗の民間行事である。刈り入れの前におこなわれるので、豊穣祈願の色合いが濃い。日本の虫送りや中国西南の松明祭りと性格が似ている。火が虫や災害、病気などを祓うように、仏法(チュー chos)によって人間に危害を加えるもの(病気や災害)を駆逐しながら、巡る(コル skor)のだ。 

 
海抜3千m近い高地を、炎天下のもと何時間も歩くのはさすがにキツい 

 チベット中央部にも似た行事があり、オンコル('ong skor)と呼ばれる。私はチベット最古の寺院サムイェー寺の地域で見たことがあるのだが、人々が経典を背負って田畑の間を巡るのはいっしょである。ただしこちらは楽隊が同行し、歌ったり踊ったりし、夜、寺に戻ってきたときにはチャンという酒がふるまわれる。私は両掌で杯をつくり、何杯も飲んだ。翌日には流鏑馬が行なわれたが、これもオンコルの一環ではないかと思う。民間の仮面劇も行われていたはずだ。

 
城塞の中のようだが、村が要塞に見えるのがレコンの村の特徴。壁の上から学校の子供たちが歓声を上げる 

 もうずいぶん昔の話になるが、アバ州(rna ba)のボン教寺院で仮面舞踏劇が行なわれる時期、ケンポ(寺主)の隣の部屋に滞在したことがある。それは一年に一度の祭礼でもあったので、近隣のチベット人たちが寺院の周辺の草原にテントを設営し、いくつものテント村ができていた。彼らは純粋な遊牧民というより、半農半牧の生活を送っていたのだろうが、夏はほぼ遊牧民といえた。

 そんな彼らが機会を逃さんとばかり列を作って、このボン教ケンポと面会しようとした。ロサル(チベットの正月)のときダラムサラでダライラマ法王に会うかのように、この地域で尊敬され、あがめられているケンポにみな面会したがるのだ。そして人々はケンポに会うと、多くの場合、あそこが痛い、ここが悪い、といった身体の不調や病気を訴えるのである。ケンポは精神的カウンセラーであるとともに、ヒーラーでもあった。

 ケンポはお香の煙によって患部をいぶすこともあれば、経典をそこに当てることもあった。経典の聖なる力によって病気や痛みをもたらしている邪悪な霊を駆逐しようとしているかのようだった。

 迷信といえば、迷信だろう。しかし奇跡というものは、信じなければ、効力を発揮しないものなのだ。奇跡とは言いすぎかもしれないが、聖なる経典は聖なる霊的パワーを持っているのだ。

 このチューコルで、経典のかわりに別のものを背負うようになったとき、まさにチベット文化が絶滅の危機に瀕しているときだといえるだろう。

  寺院に返却された経典とシャカムニの像 

 
サムイェー寺近くの村のオンコル。経典を持っているが、あまり目立たない(チベット自治区) 



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