心風景 inner landscape 35    宮本神酒男  風雨橋に始まり鼓楼に終わる(一)風雨橋と鼓楼 

 鼓楼が見えるのでトン族の村とわかる 

 テレビで一昔前に作られた中国映画『山の郵便配達』(1999)を見た。見て驚いたのは、ロケーションとなった場所がどこもなじみがあるように思えてならなかったことだ。実際、撮影された場所はほとんどが湖南省南部で、行ったことがないのだから、なじみのあるはずがなかった。しかし私が昔、マウンテンバイクに乗ってウロチョロした広西チワン族自治区から貴州省にかけての地域はトン族の村が多く、その土壌や植生、村の風景が湖南省にのびているのだから、デジャヴを感じるのは当然のことだった。この地域を走るとすぐ風雨橋と出会い、村の中には鼓楼が見えた。それはトン族の村ということだった。



 映画の中で、主役の郵便配達の父と子は写真のような風雨橋に入る。そういえば、外から眺めると風雨橋は立派だが、内部は意外と殺風景で写真を撮る気にもならなかったことを思い出した。映画では息子が郵便物の入った袋を何気なく置いたら、強風が吹いてきて、手紙などが吹き飛ばされてしまう。それを息子やシェパード犬(老二、すなわち次男坊という名で主役の一)が追いかけるシーンはなかば幻想的でもあった。
 鼓楼と違って風雨橋は村の入り口・出口にあり、居住地からは離れているので、通るたびにまるで通過儀礼を行っているかのような緊張感が生まれる。トン族の伝説では、風雨橋は白竜の化身だという。そうすると橋を渡るたびに白竜に飲み込まれるということになる。なんとなく浄化されるような気分が味わえそうだ。



 しかしもちろん白竜の化身というのは伝説にすぎず、実際にこの橋を設計する人がいて、木や石を切り出し、瓦を焼き、建設する人々が存在したのである。おそらく400年ぐらい前からトン族はこの技術を育み、伝承してきたのである。
 この風雨橋が広西チワン族自治区三江県林渓郷馬安村のものであるという絶対的確証は持っていないけれど(マウンテンバイクで回っていると、どこを走っているかわからなくなるときがあった)少なくともおなじタイプのものとはいえる。そうすると名は程陽橋で、1916年に建てられ、1983年に重建されたと資料には書かれている。



 観光名所となるような風雨橋もたくさんあるが、このような村人からも見捨てられたような風雨橋も山あいで見つけることがあった。屋根はボロボロになり崩れそうで、橋を支える木柱がなく、コンクリで固めて殺風景なので、観光客に訴える魅力はほとんどない。今頃は取り壊されて、ここがどこであるかを特定するのも困難かもしれない。

 三江の鼓楼 

 風雨橋と鼓楼はトン族の二大セールスポイントなのでおなじようなものと考えられるが、村落共同体のなかで中心的役割を担ってきたのは鼓楼だった。
 トン族の鼓楼のなかでもっとも古いのは、清朝順治年間(1644−1661)に建てられた通道馬田鼓楼で、つぎに古いのは康熙11年(1672)に建てられた従江増沖鼓楼だという。その歴史は400年にも満たない。
 中国全体でいえば、北斉の時代(561−578)の『続事始』に「鼓楼」という項目があり、(盗賊が多いので)「村ごとに楼を置き、楼ごとに鼓を置いた。よって盗賊を防いだ」という記述があるという。

 竜勝(広西チワン族自治区)の紅軍鼓楼 

 17世紀はじめ、トン族の地域に鼓楼がたくさん建てられたのは、治安が悪かったからだろう。この時代、とくに治安が悪かったのか、トン族の共同体意識が高まったのかはわからない。(たぶん両方)
 広西チワン族自治区の三江や竜勝には「姑婁娘」(ころうじょう、グーロウニャン)という民間伝説がある。

 昔むかしのある晩、どこか外部から悪い人たちがやってきて村を襲いました。姑婁娘率いる村の娘たちは結束して賊に立ち向かいました。藍染の桶の水を投げつけ、太鼓をたたくような大声を張り上げて、村人の援軍を呼んで、盗賊たちを殲滅することができました。この事件のあと長老たちが集まって討議し、楼を立てて鼓を置き、事があれば鼓をたたいて知らせることにしました。 

 この民話から推測できるのは、もともとトン族の社会には母系制があり、女性の地位が高かったということだ。鼓楼自体は400年の歴史しかなかったとしても、太鼓を中心とした社会制度には2千年以上の歴史があるかもしれない。トン族といえば、おそらく青銅器の時代から、銅鼓をまつりごと(祭礼と政治)の中心に据えてきたからだ。そう考えると、中国でもっとも古い鼓楼の記述よりも、その源ははるかに古いということになる。


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