心風景 inner landscape 36    宮本神酒男  風雨橋に始まり鼓楼に終わる(二)花炮節と鼓楼 

 祭りにはいろいろな要素があるものだ。仮装したり、きれいな着物を着たり、踊ったり、歌ったり、行進したり、神に捧げものをしたり……。混沌とした祭礼時空間に入ってしまうと、かえって全体の構図が見えなくなってしまうことがある。トン族の花炮節もそうだった。要は、外敵に備えて鼓楼に集結し、結束を強め、川辺で軍事教練をすることなのである。

 

 なぜ川辺でお祭りをおこなうか由来を説明する伝説がある。

 昔、トン族の娘が川辺で洗濯をしていました。そこに川蛇が現れたので、娘は石をぶつけて蛇を殺しました。じつはこのとき川の小魚を助けることになったのです。ある日娘が川で洗濯をしていると、空中にたくさんの花が舞いました。竜王の娘が小魚を助けてくれた感謝のしるしに、空に花びらを撒いたのでした。それ以来竜王の娘はここに遊びに来るようになりました。

 シンプルだが、わかりずらい説話だと思う。まず、この竜王は中国竜であって、仏典のナーガのインド竜でないことは留意しなければならない。仏典に慣れてしまうと、蛇を竜王の使いと勘違いしてしまうかもしれない。竜は皇帝のシンボルになるくらいの善なる存在で、竜王やその娘は、幸運や富、長寿、安全の象徴である。小魚は竜が支配している世界の一員。よって人は竜とのよい関係を保てば、漁師が小魚を捕らえることも可能なのだ。
 基本的に花炮節は、一致団結と軍事訓練の必要性から生まれた儀礼と祭り。裏を返せば、つねに安全が脅かされ、他者に征服される可能性があったということだ。祭りのとき、川辺に兵士たちが並び、いっせいに花炮を撃つ。このとき五種類の色の煙が出るというが、これは竜王の娘が撒いた花を象徴している。

 

 戦争や侵略は毎年起こることではないので、普段はなんといってもめでたい行事である。ブタも赤く塗られる。赤は吉祥の色だ。鼓楼のなかでは先生らしき男の人が子供たちの仮装の手伝いをしていた。コスプレをやったことのある人なら理解できると思うが、化粧をしたり、仮装したりして「別人」になるのはとても楽しく、興奮させられることなのだ。

見よ! この悪趣味臓物(ぞうもつ)アート! 

 この村には変わったアーティストがいた。鼓楼のなかで、中年男(雰囲気は遊び心のある肉屋)は私の目の前でブタの内臓や鶏のいろいろなところを使って砂肝帽子をかぶった釣り人(チキン)やウサギ(膀胱)、ヘビ(腸)、亀(肝臓)を器用に作り出した。悪趣味きわまりないが、拍手喝采を浴びていた。向こうの卓をみればわかるように、ここは鼓楼の前。神(竜王か)への捧げものなのである。いまだったらネット上で話題になったかもしれないけれど、当時はこの「村の芸術」に気づいた人さえほとんどなかった。(→ 意外なほどのアーティスティックな祭り、花炮節) 



 爆竹を鳴らすのもメイン行事のひとつ。子供たちもみな爆竹の竿を持って邪気祓いをする。「五穀豊穣家内安全」を祈願するのは当然である。

 

 軍隊そのものである。川辺で「軍事教練」をおこなうのは竜王を喜ばせるためのものでもあろうが、川辺がもっとも広く、いざというときに水が使えるからだろう。彼らがもつ赤い筒の銃のように見える花炮がいっせいに空に向かって撃たれると、いくつもの雷が同時に落ちたかのような爆音がとどろき、川辺に五色の煙が充満した。



 川の上空に向かって放たれたおそらく五色の袋が着水すると、待ち構えた一般の男たちが川に入ってこの縁起モノを取ろうとする。

 

 女の子たちにとってもこの日は一年に一度の晴れ舞台。ミャオ族とおなじく、娘たちは銀製品を身に着ける。伝説のなかでははじめに賊と戦うのは女性たちだが、祭りでは美を競うことはあっても、力比べをすることはない。また鼓楼の前では竹笛の演奏が捧げられる。音階が少なく、音調が暗いので、西洋人からすると貧相な音楽に聞こえるかもしれない。実際、「かごめかごめ」とほぼ同じ音調だと思えばいい。つまり日本人にとっては神々しい音楽なのである。

 

 これらの写真を見ると、大惨事が起きても不思議でなかったことがわかる。自分たちの安全が気にならないほど当時、人々は娯楽に飢え、夢中になっていたということだ。


 竜を先頭とする仮装行列は村の中、そして外へと行進していく。こうやって見ると鼓楼は当時としては高層建築であり、考えようによっては要塞である。竜によって守られていることを確認し、村の民はつねに一致団結し、もしものために軍事教練を欠かさないようにしているのだ。

→ 意外なほどのアーティスティックな祭り、花炮節

⇒ つぎ 

⇒  <心風景目次