心風景 inner landscape 38    宮本神酒男    神霊はお犬様に降りる? 

⇒ 独竜江地図など 

 荼枳尼(ダキニ)天の狐
神薬をもらうためにスンマ(精霊)を呼び出す独竜族のシャーマン、コンチェントリ。察知した犬は自ら精霊の受容器になろうとしているかのようだ。荼枳尼天が乗る狐はじつは犬だったのではないかと思ってしまう 

 1996年、はじめて独竜江を訪ねたとき、紋面女(顔に入れ墨を入れた女性たち)、とりわけシャーマンの紋面女のことばかりに心がとらわれていたので、このコンチェントリという名の男のシャーマンの圧倒的なパフォーマンスに接したとき、驚き、またとまどってしまった。この鬼気迫る表情の男は、ナムサと呼ばれる高級シャーマンではなく、ウと呼ばれる低級シャーマンだった。

 鬼気迫る表情の「ウ」、コンチェントリ  

 「低級だなんて、失礼だな」と叱られてしまいそうだが、ナムサとの大きな違いは何かといえば、ナムサには天(ナム)の神霊が降りてくるのにたいし、ウにはジプラン(崖鬼)などの低級霊が降りてくるのである。おっと、ここでも低級という言葉を用いてしまったが、ジプランは崖の神というより崖の精霊であり、機嫌をそこねると人を祟ったり、呪ったりするのである。チベットの崖の精霊ツェンと関係が深いかもしれない。
 基本的に善霊ではなく、悪鬼に近いため、ウはつねに悪のパワーと戦わねばならない。裏を返せば、悪霊に取り込まれやすい存在といえる。コンチェントリもまたアル中のように見えなくもなかった。
 この粗末な家を訪ねるときも、近所の人から「おまえはなぜ酔っ払いの男を訪ねるのか」と聞かれた。憑霊と酔っ払いは案外近いのかもしれない。

 雨に煙る独竜江上流の村 

 帰国したあと写真を見ていささかギョっとしたのは、精霊が憑依しようというとき、その背後にいる犬が神妙なキツネ顔(荼枳尼天顔)をしていることだった。写真を撮るとき、私は犬の存在に気づいていなかった。しかしあらためて見ると、精霊は犬に降りようとしているかのようなのだ。もちろんそれは私の錯覚にすぎず、犬が「お犬様」になっているのも偶然にすぎないだろう。しかし犬が人の心を読み、目に見えない力を感じとる能力にたけているのはまちがいない。*写真の荼枳尼天の狐は台東区の石浜神社で撮影 

 15年後、ふたたび独竜江を訪ねたとき、この村で私は一匹の野良犬と親しくなった。食事をとるとき、その犬はかならずやってきたので私は自分の食べ物の一部をやり、いっしょに村の界隈を散歩した。犬はその濡れた鼻をベッドの端に腰かけている私のまたぐらにのせ、訴えるような上目遣いで私を見た。夜、犬はベッドの下でトグロを巻くように丸まって寝た。
 中国の都会にはペットブームが到来したが、飼われる犬の大半は小型犬か小さ目の中型犬である。田舎や山奥ではペットとして飼われることはまれで、食肉の家畜として扱われることもあるので、足蹴にされるのがつねだった。その犬は足蹴にしない主人を探していたのかもしれない。

 私になついた犬 

 しかしある朝、私がその犬に食べ物をやらないでいると、プイとひねくれたような顔をして、どこかへ去っていったきり、二度と戻ってこなかった。私は犬が喜ぶような食べ物がなかったので、やらなかったのだが、この時点で、犬はうすうす私が旅人であることを感づいていたのだ。旅人が犬を飼えない以上、情けは禁物だったのだが、こうして去られてしまうと、なんともいえない苦い思いが残った。

 立ち寄った家の「孤独癖」のある犬。眼下の独竜江の流れを眺めている 

 下の写真を見ると、犬は姿を隠し、患者である紋面女と子ども(孫?)が精霊から与えられる薬を待っている。この精霊は崖鬼ジプランではなく、シュンマ(ラシュン、ナンシュン)のようである。シュンマはあきらかにチベット語で守護神を意味するスンマ(srungma)と同源である。独竜族は隣り合うチベット文化の影響も受けているのだ。



 コンチェントリは頭の上で「見えない薬」を受け取ると、それをお椀の酒の中に入れた。その薬入り酒をなかば無理やり女性に飲ますのだが、女性の病(眼病)が治ったかどうかは確認していない。

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