心風景 landscapes within  50  宮本神酒男 
天空の湖で黄金の光に包まれる (チベット、インド・ラダック)
 


チベットの聖なる湖ナムツォ。神々しい光に包まれた。Photo:Mikio Miyamoto 

 ナムツォ(モンゴル語のテングリノール)、すなわち天空の湖のすさまじい聖なる力を感じたのは、夕刻、突然世界が黄金色に輝いたときだった。紺青の空、深い碧の湖面、白銀の山脈(やまなみ)、茶褐色の波打ち際、それらすべてが黄金の色を帯びて燃えだしたのである。圧倒された私の目からは、涙がこぼれおちていた。

 アメリカ人チベット研究者ジョン・ベレッツァによると、ナムツォ周辺は岩絵だらけである。チベットに仏教が伝来するはるか前から、至高の聖地として人を惹きつけていたのである。神の領域を訪ねたいなら、神と会いたいなら、神と合一したいなら、ナムツォほどの場所はないだろう。

 ナムツォの横にそびえる神山はニェンチェン・タンラである。男の神であるニェンチェン・タンラとナムツォの女神に関する神話は、たとえば「ニェンチェン・タンラの山神とナムツォの女神」がある。海抜4200メートルもあって、酸素が少ないせいか、湖辺に坐っているだけで、神話世界にいるような気がしてしまう。

 私にとって印象深かったのは、岩場(盛り土ならぬ盛り岩)に3か月くらいの灰色の子猫がニャーニャー鳴いていたことだった。岩の合間に手を差し伸ばすと、鳴き声はやんだ。手を戻すと、また鳴きはじめるのである。しばらくそれを繰り返したが、どうしようもないので、あきらめた。家の近所で捨て猫を拾うように抱き寄せて、エサをやるというわけにはいかなかった。


ニェンチェン・タンラ山。この山神はチベット有数の山神である。Photo:Mikio Miyamoto 

 インド・ラダックで会ったラモ(シャーマン、ヒーラー)の守護神はニェンチェン・タンラだった。彼女はインド・中国国境のパンゴンツォ(湖)出身の難民。現在、まさにここで中国軍とインド軍が対峙している。この日も目の不調を訴えた出稼ぎのネパール人男性が訪れていた。チベット仏教のお坊さんもたくさんやってきていた。チューキョンと呼ばれる守護神が憑依する場合が多く、チベット仏教の僧侶にとっては憑依するオラクル(口寄せ)は神聖な存在なのである。


ラダックのラモ(シャーマン)の守護神はニェンチェン・タンラだった。Photo:Miyamoto Mikio 

 ナムツォで黄金の光に包まれてから三年後、私は青海省西寧市でレコーディング作業をしていた著名なケサル王物語の芸人(ドゥンパ)、ツェリン・ワンディと出会った。彼は夢の中で物語を授かるタイプのケサル芸人だった。ケサル王物語は、源氏物語の何十倍もの量を誇る世界有数の叙事詩である。彼の創作の源泉には驚かされたが、それ以上に衝撃的だったのは、彼のシャーマン以上にシャーマンらしい半生だった。そして彼がシャーマン的ドゥンパになる決定的な瞬間のロケーションは、ナムツォだったのである。(「英雄ケサル王物語の語り人」参照) 

 ツェリン・ワンディは1936年頃、アムドの遊牧民の村に生まれた。8歳のとき、村がカザフ族に襲われ、そのとき家族や親戚の多くを失ってしまう。彼は孤児になり、各地を巡礼して歩きまわるようになった。13歳のとき、ナムツォ湖のまわりを五体投地をしながら歩いていると、突然湖上に馬に乗った武将が現れた。すると彼は昏倒してしまった。たまたまいっしょに湖をまわっていた三人の娘たちが交替で彼を背負い、レティン寺のリンポチェ(高僧)のもとへ連れて行き、浄化の儀礼(ツァゴチェ、すなわち脈管を開く儀礼)をやってもらった。ツェリン少年ははじめ、たわごとのようなものを口にしていたが、それがケサル王物語であることに彼女らは気づいた。こうしてケサル芸人が誕生したのである。


各ブッダや菩薩、登場人物を呼び出すケサル芸人、ツェリン・ワンディ。Photo:Miyamoto Mikio 

 ツェリン・ワンディ少年がナムツォのまわりをまわっているとき、馬に乗った武将を見るのだが、このとき湖は黄金色に包まれていたのではないかと、私は思う。もちろんこれは私の想像に過ぎないけれど、特別なことが起きるときには、特別な聖なる状態がやってくるのではなかろうか。

 シャーマンは、シャーマンになるとき、いわゆる巫病(シャーマニック・シックネス)になると言われる。これは少年期の精神的クライシスだともいえる。ツェリンには、13歳のときそれが訪れた。この状態から回復するためには、成熟した人(この場合は高僧)によるイニシエーションが必要となる。これがなければ、トランス状態をうまくコントロールすることができなくなってしまう。たんなる精神疾患を持つ人になってしまうのである。