ジンポー族五千年史

――祖先の魂の移動経路――

宮本神酒男 編訳

 

3 チャイク・マジョイ

 シンギム・マシャ人はおばあさんもグチをこぼしたという辛い山を越え、青く水のきれいな大きな山に着いた。首領のシャワ・プン・ガムは言った。

「この山は青く水はきれいだ。われらはここに留まり、開墾し、種を植えて、自分たちの畑を作るべきだ」

 このことばのなかに「楽しむ」という意味のチャイという語を含まれていた。それゆえここはチャイク・マジョイ、すなわち自然に形成された川源の安穏として楽しい場所、と呼ばれた。またの名はザネ・リンジン・マウ(Tsane Lingjing Mau)、すなわち赤土の広い山の地方、である。

 紀元200年庚辰、後漢健安五年にジンポー族祖先シンギム・マシャ人がチャイク・マジョイに着いたあと、プン・チャライ・ラプ(Hpun Chyalai Lap)という木の葉の形を見て、また竹や緑樹の葉の青緑が枯れ落ちるのを見て、枝の発芽、長い葉が枝に変じる様子などを見て、細かく名前をつけた。

 首領のシャワ・プン・ガムは語った。

「われらが生きている地域は比較的平穏であり、発展してきた。シンギム・マシャ人はミポワ・サガ・アイ(Myi hpo wa saga ai)、すなわち目がよく開かれ、知識が豊富で、聡明で智慧があふれている」

 居住する場所が平穏であることから、チン(Chying)、すなわち鼓、堅固、穏健、また知識があり聡明であることからミポ(Myi hpo)、すなわち打開する、目を開く、智慧がある、これらからシンギム・マシャ人はジンポ・マシャ・ニ(Jinghpo masha ni)と称された。すなわち聖なる太鼓によって新生活が打開された、という意味である。また目を見開いて世界を見ることのできる、聡明で勇敢で智慧のあるジンポー族という意味がある。

 台湾のジンポー族同胞は、「真博族同郷会」という文字を使った。ジンポーを表す漢字は、真頗、新頗、真博、仲頗などがある。「真」は鼓であり、堅実堅固の意味。「仲」は塩。「頗」「博」は打開する、見開く、の意味。

真頗は珍頗、真博と記されることもあった。太古の昔、大洪水が起きたとき、人類の祖先キン・セン・シャブラン(Hking seng shabrang)、あるいはジャニとジャア姉弟(説はいくつかある)は木鼓に入って難を逃れ、洪水の流れとともに木鼓から出てきた。

 太古の昔、ジンポー族の祖先は現在のモンゴル、青海、甘粛で遊牧民であった頃、岩塩鉱を開発し、それを生業とした。それゆえジュムボ・アミュ・マシャ・ニ、すなわち塩鉱氏族と呼ばれる。

 解放以降、党中央や国務院が少数民族の名称を確定するとき、各民族の歴史や習慣などを加味しながら絞っていった。1953年、徳宏タイ族ジンポー(景頗)族自治区が成立したとき、監督官や頭領、名士などが招集され、協議された。真頗、珍頗、真博などが候補として挙がったが、景頗に統一された。民国時代には山頭族という名称もあったが、これは蔑視とみなされた。

 紀元220年頃、三国時代のはじめ、チンポ・マシャ・ニ、すなわちジンポー族祖先がチャイク・マジョイにいた頃、木の葉の形状が盆のようになった。この頃生活の工具が生産されはじめた。刀、斧、のみ、きり、やっとこ、はさみ、矛(ほこ)と盾(たて)、弓と弩、矢などが作られた。ジンポー族は石器時代から脱しようとしていた。

 チャイク・マジョイの頃、首領シャワ・プン・ガムらは、シャム・サム・グ(Sham Sam Gu)という獲物をとっていた。盆の形の木の葉だけでなく、この獲物の形状もまたジンポ・マシャ・ニ(ジンポー族)を啓発し、智慧をもたらした。

 ジンポ・マシャ・ニは獲物シャム・サム・グを解体して、人々の生活や生産を占い、建築のアドバイスを与えた。たとえばシャム・サム・グの脚を見て、木を切り柱を作って家を建てた。獲物の背骨を見て、家の梁を作った。獲物のあばら骨を見て、家の垂木を作った。獲物の皮を見て、家の外壁を作った。獲物の口を見て、庭に柱を立てた。獲物の毛を見て、屋根の草葺を作った。獲物のひげを見て、屋根の端、あるいは前後のひさしをヌムゴ・プイ・ムン・シャヤ(Numgo pui mung shaya)という草で覆った。獲物の内臓を見て、部屋の数を決めた。獲物の腹の皮を見て、竹を編み、建物を作った。獲物の心臓や肺を見て、吊りかごや吊り炊事場を作った。獲物の口やへそ、肛門を見て、対称的な扇門や窓をこしらえ、快適な竹楼(竹でできた家)を建てた。

 ジンポー族の祖先ジンポ・マシャ・ニがチャイク・マジョイにいた時期、すでに木を切り、山を焼き、刀で耕し、穀物の種を植えることができた。人々は畑にコーリャンやアワ、トウモロコシなどを植えた。焼く、あぶる、混ぜる、煮るなどの調理法を編み出し、社会は一変した。

 ジンポー族の社会は進化し、発展し、当時の三国時代の中国から思想や考え方、技術を取り入れた。チャイク・マジョイにいたジンポー族は停滞していた石器時代から発展しようとしていた。このチャイク・マジョイの時代はジンポー族にとって四番目の橋頭堡である。


つづく ⇒ 4 クランク・マジョイ