ジンポー族五千年史

――祖先の魂の移動経路――

宮本神酒男 編訳

 

4 クランク・マジョイ

 紀元300年頃、中国の晋代、ジンポー族の祖先ジンポー・マジョイ人はクランク・マジョイの土地が肥沃で、植物は生い茂り、樹木は蒼天に向かって伸び、花は咲き誇った。村を作るのにいい場所もあった。

 ジンポー・マシャ人の首領は宣した。

「ここカリン・カラン(Karing karang)は植物が生い茂り、樹木は蒼天に向かって伸び、花が錦のように咲き誇るすばらしい地方である」

年月がたち、歴史が発展し、この地方はクランガ(Hkrang Ga)、そしてクランク・マジョイ(Hkrang hku majoi)と呼ばれるようになった。またピュイウォ・ンゴドマウ(Hpyui wo Ngodo Mau)、すなわち画眉(がび)鳥・野鳩が木に棲む地方と自称した。

 このことから、ジンポー・マジョイ人は晋代の頃から、「鳥がしゃべり、花が香る」景色が美しい山や谷を選んで住み始めたということがわかる。

 彼らは採集生活、狩猟生活をはじめ、簡単な植物を植えて飢えをしのいだ。こうして原始氏族部落は消えていき、小さい単位に分かれ、生産性は上がっていった。言い換えれば奴隷社会に移行する前段階である。

 このクランク・マジョイの時期に、ジンポー・マシャ人はジンポー(Jingpo)支系、ロンウォ(Long wo)支系、ラチク(Lachik)支系などに分かれた。

 またこの時期、ジンポー族の祖先ティンリ・ヨ(Tingli yo)は史上はじめてマナウ祭をおこなった。各支系から参加したので、盛大な祭りとなった。マナウ祭の形式と内容はジンポー族の伝統文化をよく表している。

 クランク・マジョイ期はジンポー族の歴史における第五の橋頭堡である。


つづく ⇒ 5 ニン・ランガ