シャクティ、神の女性原理 

おお、ラーダよ、あなたは比類のない思いやりの流れる川だ。

どうかあなたに仕えるのをお許しください。

    アルチャナ・パッダティ 『神崇拝のプロセス』 

 

 かつてムンバイで講演をしているとき、ひとりの若者が言った。「すべての成功した者の背後には女性がいるといわれます。このことはあなたのような禁欲者にもあてはまるのでしょうか」

 そう、当てはまる。わたしが求めるスピリチュアルな贈り物は優美さ(グレース)がいなければ得ることができないのだ。そして聖なる優美さ(グレース)はシャクティ、すなわち至高者の母性的な女性性の本質に源を発している。わたしのような僧侶の背後には、至高の女神がいるのだ。わが宗教ではそれをラーダと呼ぶ。彼女はクリシュナの女性のカウンターパートである。

 ヴェーダ文学によって、無限の存在が男であり女でもあることがわかっている。愛を交換して、1が2になる。彼らの愛はほかのすべての愛、すべての美しさ、すべてのエクスタシー、すべての思いやりの起源である。彼らにはたくさんの名前がある。たとえばクリシュナ、ラーダ、シャクティマン(男性原理である力の源)、シャクティ(女性の聖なる活性化したエネルギー)など。類推によってこの二つについて考えるのは簡単だ。シャクティマン、あるいは力の源は太陽。シャクティ、あるいは太陽のエネルギーは日差し。二つはけっして分かれることはない。他方がなしで一つでは意味がない。

 この男性原理と女性原理のコンセプトは他のスピリチュアルな伝統にも見られる。道教のヤン(陽)とイン(陰)を思い出してほしい。キリスト教のロゴスとソフィア、ヘブライ(ユダヤ教)のヤーウェンとシェキナー。シェキナーという言葉は住む場所を意味する。古典的なユダヤ教においては、シェキナーがヤハウェに近づくとき、彼女は彼を見やすくすると考えられる。

 これらの宗教において、優美さ(グレース)が神の女性面として人格化される。許し、思いやり、智慧と愛によって苦しむ魂を育むこと、これらはすべて優美さ(グレース)の要素である。優美さ(グレース)はパワフルである。しかし彼女自身はもっともやさしく、おとなしい姿をあきらかにする。優美さ(グレース)は聖なる領域から、至高の者の意志によってこの世界に降臨する。ほかの信仰心の厚い宗教と同様に、バクティ・ヨーガの実践は優美さ(グレース)とふたたび結びつけるのが狙いである。

 聖なる優美さ(グレース)は魅力的な概念である。迷いのパワーも、打ち勝つべき飽くなき欲望も海のように大きな世界で、優美さ(グレース)は罪を軽減し、許すよう懇願し、不足したものを補い、潜在的なスピリチュアルなものを目覚めさせる。聖なる母のような優美さ(グレース)は、とても手の届きそうにない贈り物を持って、わたしたちを祝福する。それは尽きない希望と不退転の決意を促し、わたしたちのなかの受け取りたいという抑えられない欲望を目覚めさせる。

 純水が流れ落ちるように、優美さ(グレース)は流れ落ちてもっともつつましやかなものになり、もっとも心地よいものになる。わたしは人々の生活のなかで優美さが物事に驚いているのを見たことがある。優美さは母であり、至高の者の柔らかく思いやり深い本性であり、優美さの源泉であるラーダへの信仰は、愛と許し、幸福と自由の世界への鍵となる。

 なぜ宗教の旗のもとにこの神のためになる、思いやりのある側面が頻繁に力と制御を追って否定されるのか、悩ましいことである。神の名においても人々は征服し、収奪し、あやつる必要があると感じてしまう。バクティ派は人間性、生命、本性を重んじ、神の男性面と女性面の両方を信仰しながら、生活のバランスを取るべきだとわたしたちに教えてくれる。トマス・シップフリンガー神父は『ソフィア―マリア:ホリスティックな創造のヴィジョン』のなかで探索を試みる。

 

バクティ信仰のチャイタニヤ学派は、聖なるカップル、ラーダ・クリシュナを「2」だが「1」でもあり、すべての存在の元型(アーキタイプ)であり、存在の中央で、もっとも近しく、神聖で、原初の形であると理解している。ラーダとクリシュナの本文は……旧約聖書の一節を思い出す。それはソフィアをヤハウェのアモン、すなわち彼の前で踊り、演じる、神の命を分かち合う、神のプランを知っていて、それらの中から選ぶ、愛される者である。

 

 母なる自然はこの世界の聖なる女性のあらわれである。わたしたちの聖なる母として、自然はわたしたちの身体と魂を、食べ物と水と空気と美で育み、支える。幼児のようにわたしたちはすべても息まで彼女に頼っている。それゆえバクティ・ヨーギたちは環境をリスペクトするのである。母なる地球に気を使いながら、彼女の資源を守りながら、彼女の子供たちはみな至高の者への愛の表現の不可欠の部分となるのである。

 満月の心やすまる光に誘われて青い蓮花の花弁が開くように、優美な聖なる女性原理に誘われて、わたしたちのスピリチュアルな愛は目覚め、花開き、その芳しい香りを世界に広げる。

 

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