犬の智慧 

 何年も昔、わたしはインド・ビハール州のガンジス川沿いの小さなアシュラムに住んでいたことがある。毎日わたしはヒンドゥー教徒のナラヤン・プラサドという名の八十歳の男と彼の親友でモハンマドという名のムスリムと会っていた。ある日わたしはナラヤン・プラサドにたずねた。「ヒンドゥー教とイスラム教の間に大きな軋轢がある国で、あなたは異なる宗教の人ととても仲よくしていらっしゃいます。これについてどうお考えになりますか」

 ナラヤンはわたしがけっして忘れることのできないことを言った。「犬は主人がどんな服を着ても見分けることができます。主人は礼服を着るかもしれないし、スーツを着るかもしれないし、ネクタイをつけているかもしれないし、裸で立っているかもしれません。しかし犬はいつもあなたのことがわかります。わたしたちが愛すべき主人である神を見分けることができないなら、主人がほかの宗教の異なる服を着て現れたとき、わたしたちは犬からたくさん学ばなければならないでしょう」

 ナラヤン・プラシドの単純な、しかし考えさせる類推はわたしの頭の中にずっと残った。現代は今まで以上にわたしたちは多様性のなかの合一を理解しなければならない。わたしたちはそれぞれがつまらないこと、自分勝手、偽善に抵抗する勇気を持たなければならない。そしてわたしたちがみなおなじ至高の真実、つまり究極の愛人であり、愛される者の子供であることを知らなければならない。

 

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