ダーキニーの化身           宮本神酒男 

 チベットで絶大な人気を誇る詩聖ミラレパ(10401123)といえば、女色を絶ち、長いあいだ人里はなれた洞窟にこもって修行をした大成就者(マハーシッダ)であり高僧というイメージがある。ところが伝記を読むかぎり、ミラレパは女色を遠ざけるどころか、性的タントラの実践者であった。

 ある日ツェリンマという女と侍女である4人のダーキニーがミラレパの洞窟にやってきて、お香や食べ物、飲み物、楽器、衣類、花などを捧げる。彼女らは歌と踊りを捧げ、さらには彼女ら自身を「四楽の知恵をもつ至福の空の捧げ物」としてミラレパに献上したのである。

 彼女らはすなわちカルマ・ムドラーである。

 カルマ・ムドラーとは、明妃のことだ。ジューン・キャンベルによれば、ヴァジュラヤーナ(金剛乗)において性的実践は必要不可欠なのだという。

 古代インドの成就者ナローパはいう、「カルマ・ムドラーなしにマハー・ムドラーはありえない」と。マハー・ムドラー(大印契)というのは「ティローパ → ナローパ→ マルパ → ミラレパ」と伝承されてきたカギュ派の教えの根本である。古代インドの大成就者(マハーシッダ)84人のうち、56人がカルマ・ムドラー(明妃)とともに描かれている。

カルマ・ムドラーは、瞑想のなかで観想されたものではなく、生身の女性でなくてはならない。

 ジューン・キャンベルが強調するのは、この点、マハー・ムドラーが想像上の産物なのではなく、実際に呼吸をしている女性であるということだ。つまり「私は架空の存在じゃない、生身のマハー・ムドラーだったのよ」といいたいのだ。

 つまり「高僧ラマはマハー・ムドラーを通じて悟りの境地にいたったかもしれないけど、じゃあ、マハー・ムドラーであった私はどうなるのよ。使用済みはポイ捨てなの?」と悲痛の叫びをあげているのだ。

 高名な女性成就者といえば、イェシェ・ツォギェルやマチク・ラプドゥン、デンチェン・ペマなどが浮かぶが、みな古代のなかば伝説的な存在であり、近代以降となるときわめてまれになってくる。単発的に女性の聖者が生まれることがあっても、女性成就者の系譜というものは、ほとんど存在したためしがない。男性のトゥルク(転生ラマ)は星の数ほどいるのに、女性のトゥルクは希少なうえ絶滅しかけている。

 キャンベル女史はあたかもセクハラでチベット密教を訴えているかのようである。

 カルマ・ムドラー(明妃)であった彼女は、高僧ラマとの関係を明かさないよう無言の圧力がかけられていたと証言する。もし秘密を軽率に漏らしてしまったばあい「(女は)気が狂ってしまうか、トラブルに巻き込まれるか、あるいは死に至らしめられる」と信じ込まされていた。実際この転生ラマの先代の明妃が秘密を漏らしてしまったとき、先代ラマは呪文によって彼女を病気にし、死に至らしめたという。

 しかしその死は仏の慈悲によってもたらされたと理解される。なぜなら彼女は劣等の地位から解放されたのであり、よりよい転生が高僧ラマによって約束されたのだから。

 ジューン・キャンベルのこういった論調には私怨がにじんでいるように見える。とはいえ前述のレビューのように、カル・リンポチェを崇拝する人々の激怒を買ってしまったのも事実である。そして西欧のチベット仏教徒のほとんどはむしろ彼女を黙殺するほうを選んでしまったようである。


[付記]
 宗教に男女差別はつきものといえる。たとえばキリスト教。新約聖書のなかでパウロはつぎのようにいう。
「婦人たちは教会では黙っていなければならない。(…)もし何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねるがよい」(コリント人への第一の手紙 14−34)
 

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