仏教のカーパーリカ 宮本神酒男

五清浄根花(khro bo'i dbang po lnga tshogs)

 ここまではヒンドゥー教のカーパーリカについて述べてきた。しかしもちろん、グゲの八大屍林を描いたのはヒンドゥー教徒ではなく、仏教徒である。

 ロナルド・M・デーヴィドソンが引用するところによると、仏教徒がカーパーリカに転向しやすかったのは、いくつかのヒンドゥー教(シヴァ派)、仏教に共通の聖地があったからだという。

ロバート・ルイス・グロスは、その例としてデーヴィ・コータ(Devikota)、カーマーキヤー(Kamakhya)、ブバネーシュヴァル(Bhubaneshvar)、ヴァーラーナシー(Varanasi)、ジャーランダラ・ピータ(Jalandhara-pitha)などの聖地を挙げている。

 また『クブジカーマタ(Kubjikamata)』には仏教徒からシヴァ派に転向した9人のナータが登場する。8世紀のシヴァ派の『ジャヤドラタヤーマラ(Jayadrathayamala)』にはあきらかに仏教の『グヒヤサマージャ(Guhyasamaja)』の引用がみられる。これらはどちらが先かというより、互いに影響しあい、融合しあったということではなかろうか。

 とはいえ、仏典を読めばいたるところでヒンドゥー教を外道として非難し、貶めているのに、仏教徒のカーパーリカというのは、本質的に自己矛盾しているような気がしてならない。とくにグヒヤサマージャやヘーヴァジュラ(シャムヴァラがそう呼ばれることもある)の過激な内容は、ヒンドゥー系のタントラとしか思えない。

 それは15世紀の偉大な宗教改革者ツォンカパによってようやく相克される問題なのだった。

 

 マハームドラー(大手印)の「84人の大成就者」は、ルイーパやヴィルーパ、サラハ、ゴラクシャ、クリシュナーチャーリヤなど著名な修行者を含み、チベットでは人気が高く、よく知られている。カギュ派やニンマ派の寺院をはじめ、そのタンカはいたるところで見かける。この修行者たちは仏教のタントリストなのだが、実際ヒンドゥー教のタントリストといってもさしつかえないほど、よく似ている。

ドクロの鉢を持つ大成就者カパーリー(カパーラパ)

 72番目のカパーラパ(Kapalapa)は、まさにカーパーリカのことである。固有名詞とはいえない一般的な名前である。

 カパーラパは妻と5人の子と暮らすラージャプリーの低カースト(シュードラ)の労働者だった。あるとき彼の妻が死んでしまう。彼は妻の遺体を火葬場まで運んだ。そうして涙の乾く間もなく、今度は彼の子供たちも死んだという知らせを受ける。悲嘆に暮れる彼を救ったのは、大成就者のひとりクリシュナーチャーリヤ(カーンハパ)だった。

 クリシュナーチャーリヤは彼に、ヘーヴァジュラの灌頂を授ける。グル(クリシュナーチャーリヤ)はさらに息子たちの骨から修行者のために6つの装飾品を作り、妻の頭部を切ってドクロの鉢をこしらえた。現代ならば、遺体損壊で訴えられそうな話である。

こうしてカパーラパはカーパーリカになった。ただし細かい違いをいえば、カパーラパはヘーヴァジュラを崇拝し、カーパーリカはバイラーヴァを崇拝する。

 グルであるクリシュナーチャーリヤ(カーンハパ)もカーパーリカの風格をもった修行者だった。彼の伝説のなかで、(彼が探し当てた神のような)織工は、彼に人間の遺体や糞を食べさせる。常識を逸脱するのは、カーパーリカの真骨頂といえよう。


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