キュンルン銀城(中) Khyung lung dngul mkhar   宮本神酒男

夢は古代を駆けめぐる

 グゲ王宮(写真下)は、テーマ・パークのようにワクワクさせてくれる。その最上部に立つと、映画『地底探検』が始まるかのような気分になってくる。地面にぱっくりと暗黒の穴が開いていて、設置されたロープを握り、垂直に近いと感じさせるほどの急勾配の斜面を下っていく。30メートルほど降りると、小ホールぐらいの大きさの真っ暗な空間に出る。そこから右にも左にもどこへでも行ける。たくさんの空間があり、大小の穴によって通じているのだ。巨大な蟻の巣を想像していただきたい。


グゲ王宮。側面には多数の岩窟。

 トルコ・カッパドキアの地下宮殿を思い出した。カッパドキアの場合、本当に地下へ降りて行くのだが、グゲ王宮の場合、岩山の頂上からその内部に入るのである。

 暗闇のなかで右往左往するうち、遠くに小さな光点が見える。光点に近づいていくと、それはどんどん大きくなり、窓ほどの大きさになる。眩しくて、目が慣れるまで数分かかる。外には雪を被った美しい山なみが見えた。頭を出すと、下は数百メートルの断崖絶壁だった。巨大なストゥーパがオモチャのように見える。頭がくらくらして、気分が悪くなってしまった。

 グゲ王宮は、言うまでもなく、グゲ王国の国王の居城であり、王族や家臣、兵士らが住んでいた。しかしこの丘の内部に造られた蟻の巣状の空間は、おそらくシャンシュン国の時代に造られたものだろう。シャンシュン国の王族は滅亡し、主のいなくなった王宮の丘に、政治難民である吐蕃(ヤルルン朝)の王族の子孫、イェシェオーが入城したのではなかろうか。

 そうすると、西チベット全体にグゲ王宮のような洞窟群が広がっていて、これらすべてが同じような構造を持っている可能性がある。(⇒ シャンシュン洞窟群) 断崖絶壁の上のほうに洞窟が無数に見られる場所がじつにたくさんある。そのすべての内部が蟻の巣状になっているのである。

 しかし、高い絶壁の洞窟に入れるのは、グゲ王宮だけだった。ほかの洞窟群では、洞窟が崩れてしまったり、洞窟から他の洞窟への通路がふさがれたりして、もはや行くことができなくなっていた。

 200以上の洞窟を擁するキュンルンでも、蟻の巣状の洞窟群が丘の内部に存在するのではないかと思うが、残念ながら確かめるすべがない。大規模な発掘調査は行われていないし、これからも行われないだろう。

 

 7世紀、ソンツェン・ガムボの妹セマカルはシャンシュンの国王リミギャ(Lig mi rgya)のもとに嫁いだ。当時珍しくない政略結婚である。しかし彼女は兄にひそかに情報を渡し、それがシャンシュンの敗北につながった。国王リミギャはタンラ・ユムツォ湖近くで毒矢に射られて死亡する。(これは8世紀のティソン・デツェンの御世に起きたことかもしれない)

 セマカルはキュンルン銀城に住んだ。彼女の歌は、数少ないキュンルン銀城の証言である。

 

キュンルン銀城に来たのは

避けられない私の運命。

ここではすべての人が言う

外から見ると、岩だらけの崖

内から見れば、金銀宝石がいっぱい。

でも私にはそんなのどうでもいい。

こんな場所で人は生きていけるの?

なんて悲しく、孤独なのでしょう。

 

 この場所がキュンルンかカルドン(次ページ)かわからないが、いずれにせよこの描写はキュンルン銀城である。ラサやヤルルンと比べ、シャンシュンの城砦は住むには厳しかった。この丘の頂上にあったと思われる王室に下から上っていくだけでも大変な労力を要する。海抜もラサより数百メートルも高い。たとえ内部が宝石で飾られていたとしても、それが何だというのか、とセマカルはせつに訴えている。

 とはいえキュンルンの麓の温泉はセマカルも気に入ったのではないかと、浅い温泉池に身を横たえながら、私は考えた。

 

⇒ キュンルン銀城(下)
⇒ MAP

キュンルン銀城。一見わかりづらいが、2枚とも石窟がたくさん。

城砦側から寺院の廃墟を見下ろす。

廃墟の寺院の壁と、わずかに残った壁画。

削って門にしたもの(左)。右は自然の造形でカッパドキア風。

蔵のような建物の下に空が見え、だまし絵風。

寺院とは別の岩窟内に壁画が残っていた。

サトレジ川を渡ってキュンルン銀城に入る。

熱水が湧き出て水に入る(左)。温泉地のせいか特殊な地層(右)。

段々状になった浅い温泉。

マニ石の堆積。仏教徒によるもの。