岡本綺堂とフォーティアン現象 宮本神酒男
*フォーティアン:超常現象研究の先駆者チャールズ・フォートの熱烈な支持者のこと。フォーティアンが好む現象をフォーティアナ(フォーティアン現象)と呼ぶ。
半七捕物帳シリーズに『広重と河獺(かわうそ)』という少し奇妙な雰囲気を醸し出した作品がある。なぜこの作品かといえば、話の舞台がまさにわが「近所」であるから(私は袖摺稲荷の近くに住んでいたこともある)だが、それ以上に、ここに出てくる超常現象が気になってしまうからである。文中の一節がUFOのことを述べているように思えるのだ。いま現在ならありふれた表現だが、1920年代はじめに書かれたのだとすると、かなり異質な、いや先駆的な書き方だと言えるだろう。
本作は、例によって青年のわたし(作者)と半七老人が散歩しながら会話を交わすシーンから始まる。向島土手を老人と歩きながら、「わたし」は隅田川の対岸の葉桜の並木を眺めている。
聖天(しょうでん)様や袖摺(そですり)稲荷の話も出た。
「いや、まったく昔はいろいろ不思議なことがありましたよ。その袖摺いなりで思い出しましたが……」
安政五年正月十七日、浅草田町の袖摺稲荷のそばにある黒沼孫八という旗本屋敷の大屋根の上に、当年三、四歳ぐらいの女の子の死骸がうつ伏せに横たわっているのが発見される。屋根の上であったため、屋敷の者もすぐには気づかなかった。
黒沼家は千二百石の大身(たいしん)で、屋敷には用人、給人、中小姓、足軽、中間のほか、乳母、腰元、台所働きの女中など20人以上が働いていたが、だれひとりその女の子の素性を知らなかった。
武家屋敷の屋根は町屋よりもはるかに高かったので、長梯子を架けても、幼いものが容易に這い上がれようとは思えなかった。
そんなら天から降ったのか、あるいは天狗にさらわれて、宙から投げ落とされたのではあるまいか。
去年の夏から秋にかけて、江戸の空にはときどき大きい光り物が飛んだ。ある物は大きい牛のような異形の光り物が宙を走るのを見たとさえ伝えられている。
所詮はそういう怪しい物に引っ掴まれて、娘の死骸は宙から投げ落とされたのではあるまいかと……。
主人の黒沼孫八はその説明に満足しなかった。彼はふだんから天狗などというものの存在を一切否認しようとしている剛気の武士であった。
江戸の空を飛ぶ光り物と聞けば、いまならだれでもUFO(未確認飛行物体)を思い浮かべるだろう。江戸時代なら、怪異現象があれば、ここに出てくるように大概は天狗のせいにしたかもしれない。天狗は実際、翼を持ち、空を自在に飛び回る神か妖怪とみなされていた。
ただし空飛ぶ光り物は天狗に見えないし、天狗の乗り物のようにも思われない。この作品が書かれたのが大正時代で、UFOという言葉もまだ使われていなかった。言葉だけでなく、現象自体、日本では知られていなかった。世界中でUFO目撃例が爆発的に増えるのは、ケネス・アーノルド事件(1947)やロズウェル事件(1947)以降のことである。
こういった常識で測ることのできない不可思議な現象は、フォーティアン現象と呼ばれる。超常現象研究の先駆者、チャールズ・フォートにちなんで名づけられたものである。オタク的な熱狂的ファン、ティファニー・セイヤーによって設立されたフォーティアン協会がのちにこの現象をメジャーにするのに一役買っている。
岡本綺堂(1872−1939)とチャールズ・フォート(1874−1932)の生没年を見ればわかるように、両者はほぼ同時代の人である。岡本綺堂が中国の志怪小説を読み、江戸時代の怪異譚を調べている間に、チャールズ・フォートは米英を中心とする各地の新聞や雑誌の記事を読み漁り、超常現象のデータを収集していた。
同時代ということは、直接的な影響はなかっただろう。チャールズ・フォートは晩成型で、死の十年前にようやく高い評価を得ていたので、綺堂にその著書を読む機会はなかったはずだ。しかしフォートの作品を読むと、19世紀末から20世紀初頭にかけて、世界中でフォーティアン現象が爆発的に増加していることがわかる。空からカエルが降ってきたり、人間が自然発火したり、幽霊船が現れたり、狼少年が発見されたり、ポルターガイストやテレポーテーションが起きたりしている。そして空を飛ぶ謎の飛行物体の目撃報告が増えているのだ。
この現象が流行しはじめた時期にあたる1898年に、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』が出版されている(オーソン・ウェルズによってラジオ・ドラマ化されて世間を騒がせたのは1938年のこと)。われわれにUFOのように見える神秘的な物体は聖書にも出てくるし、中世ヨーロッパの宗教絵画にもたびたび描かれているが、それが現実的な現象として認識されるようになったのは、この古典的SF小説がヒットし、宇宙船という存在がリアルになり、身近になった頃のことである。
<新しき地>(抜粋) チャールズ・フォート
1897年4月28日、金星、内合(ないごう)。「大衆天文学」によると多くの読者が編集者に「この時期(内合)に飛行船を見た」と書いて寄こしたという。編集者は、ほとんどの場合、金星の見間違いだろう、一部はさまざまな色を放つオモチャの風船を見間違えたのだろうと述べている。
ニューヨーク・サン紙(4月2、11、16、18日)に取り上げられているのはカンザス・シティの空の強力なサーチライトのような「ミステリアスな光」だった。それは地上に向かって急降下したあと、時速60マイル(100キロ)の速度で東へ向かって飛んでいった。
一週間後、シカゴで何かが目撃された。
「シカゴの飛行船と称せられるものはつくりごとと思われている。しかし実際、じつに多くの人が、夜空をさまようミステリアスなものを目撃している。(ニューヨークの)ダウンタウンの高層ビルの最上部から大勢の人が奇妙な光を見ている。エヴァンストン(ノースウェスタン大学)の学生たちは点滅する赤や緑の発光体を見ている」
4月16日のテキサス・ベントンからのレポートによると、暗い物体が月を横切ったという。テキサスのほかの町、フォートワース、ダラス、マーシャル、エニス、ボーモントからのレポートによると、それは中央部が太くて両端が細いメキシコ葉巻のような形をしていて、大きな翼を持ち、巨大な蝶に似ていた。それはきらきらと輝いていて、2本の大きなサーチライトが発せられていた。それが風のような速度で南東へ向かって航行するさまは荘厳だったという。
4月11日付のニューヨーク・ヘラルド紙によると、4月9日から10日のシカゴで、「未明の2時までに、何千人もの人々が北西の空に発光体を見た。それらは地上何マイルかの上空を航行する飛行船か、浮遊する物体だった。それらは大きな翼を持つ2つの葉巻型の物体だった」という。またそれらは白、赤、緑の光を発していた。
1897年4月頃、米国では未確認飛行物体の目撃情報がきわめて多かったことがわかる。H・G・ウェルズの『宇宙戦争』が出版される前年のことなので、ウェルズの作品はむしろこうした新聞記事に触発されて書かれたのかもしれない。
目撃が多発したのは、金星の内合の時期に当たったからだとも考えられる。金星が輝きを増す時期、しばしばUFOに見間違えられるのだ。
しかしほとんどの場合、星の光ではなく、あきらかに物体、しかも具体的に翼を持つ葉巻の形をした飛行物体である。いま現在も目撃情報が多数報告される葉巻型UFOは、少なくとも1世紀半の(目撃の)歴史があるということになる。
実際に飛行船が目撃されたということはないだろうか。この1897年の1月に死亡したオーストリア人のシュヴァルツは、飛行船の開発成功まであと一歩のところまで来ていた。この年の11月、開発を引き継いだ未亡人とベルグによって、最初の飛行実験が行われる。一応上昇には成功するが、飛行するまでにはいかなかった。しかしこのとき実験を見ていたツェッペリン伯爵がこのプロジェクトに参加し、推進することになり、1900年のツェッペリン号完成へとつながっていく。
もちろんこれはヨーロッパでの話であり、1897年4月の時点の米国で飛行船の実験飛行がおこなわれているとは考え難い。しかし飛行船が試験飛行段階にあるという噂は相当広がっていたのではなかろうか。だれかがとっくに飛行船を作っていて、夜間ひそかに飛ばしているかもしれない、と考える人もいただろう。フォートは、光る物体が宇宙からやってくると考えていた。まさに現代のわれわれの「UFO=宇宙からやってきた飛行物体」とおなじ捉え方をしていたのである。
ツェッペリン号が日本にやってくるのは1929年であり、それから30年後のことであるが、1920年頃の(綺堂が執筆する)時点で、情報としての飛行船の存在は日本人にも知られるようになっていただろう。
チャールズ・フォートは、いわゆるトンデモ学者ではなく、あくまで論理や常識では理解できない不可思議な現象に興味を持った人物であった。光る飛行物体も、目撃例が多いことから、何か実際に起こっていると考え、記事や報告を収集したのである。そして理性的、論理的に考えて、この飛行物体は大気圏外からやってきているという結論を下した。しかも目撃の内容から、彗星や流れ星でないのはあきらかだった。
われわれがどう考えるかにかかわらず、船はときおり金星から地球に航行してきて、戻っていくのかもしれない。それを示す決定的なデータもあるのだ。考えられようが、考えられまいが、輝く物体はどこかから、おそらく外宇宙からやってきて、金星の上あたりに浮遊している姿が見られるのだ。空には、この地球の近くのどこかに、それらが浮遊するエリアがあることをデータは物語っている。(同上書)
岡本綺堂が欧米のトレンドをどのくらい知っていたかわからないが、フォートとおなじように神秘的な現象に興味を持っていたにちがいない。光る物は、一見すると天狗と関係がありそうだが、欧米のフォーティアン的なミステリアスな物体であったと思われる。綺堂の光る物体は「牛のよう」に見えるが、おそらく「葉巻のよう」と言い換えてもよかったのではないだろうか。
半七老人と桜の季節の向島土手を歩く
怪しげな雲を眺めていると、何か光る物が……
かつては怪異現象が起きると、天狗のしわざと考えられることが多かった(写真は鎌倉の建長寺)
袖摺稲荷神社。狭すぎて鳥居がつっかい棒のよう