大衆的神秘文芸としてのケサル王物語 

 トゥルンパが底本としたケサル王物語のバージョンは、現在ではチベット人のだれもが読むことができる。それは彼が若いときに、トゥルンパの寺の影響が及んだ地域に隣接した遊牧民の地域と深い関わりがあった。

 公共の書であるということは、だれもがそれを利用することができるということである。それは全国民のための講話のようなものであり、地域によっては独自の命を持つようになる。その意味では秘教的チベット仏教の伝記のようなものである。チベット密教の教義と実践は文字通り秘密であるが、テクストを公にして秘密を人々の目にさらすこともあるのだ。密教の修行と実践は、こうしてひとつの場所で、すべての人々のための修行と実践になることもある。

 私はいま偉大なる米国のチベット学者E・ジーン・スミスが「ギャプ」テクスト、つまり「背景」テクストと呼ぶテクストについて考えている。これらは、秘教的テクニックによって精神修行を行ない、悟りを得ようとしているタントラの英雄に光を当てた物語である。スミスがなぜそれらを背景テクストと呼ぶかといえば、それらが秘密の素材のバックグラウンドとして読まれるからである。それらは大衆の目に触れ、人気もある。背景テクストの歌は庶民に口ずさまれ、そのフレーズはだれもが愛用する。しかしながら秘密の入門の誓いを破るかのようだが、それは大衆のための秘密の教えの鍵なのだ。

 たとえば、文字の読めるチベット人ならみなツァン・ニョン・ヘールカの『ミラレパ伝』や自伝的な歌の集大成である『ミラレパ十万歌』を読むだろう。これらふたつの叙述的作品は、マハームドラー(大印)として知られる瞑想のタントラ・システムを通して、いかに普通の人が悟りを得るかということを示している。

 マハームドラーの実践システムは複雑で、生涯における苦行、ヨーガの修練、名状しがたい儀礼、そして瞑想修行によって段階をへて行われるべきである。グルに対して自分たちの能力を証明し、グルに従い、忠実な委託をすると誓ったあと、イニシエーションが与えられ、つぎの段階に進む。

 段階から段階へ、ある秘密からつぎの秘密へ、弟子は秘密のなかの秘密の道を、神秘の後ろに隠された神秘の道を旅していく。

 実際、完全に公にされているミラレパの2巻の伝記に、マハームドラーの秘密の教えはすべて述べられ、記され、描かれているように思われる。これらの歌はミラレパがいかに神々を観想したか教えてくれる。理論的には、人が観想(ヴィジュアライゼーション)する権利を得るには、アビシェーカ(灌頂)を受けなければならないが。

 伝記には、ヨーガ行者が微細な身体のなかで、ナーディ(気脈)を通るエネルギー(サンスクリットでプラーナ、チベット語でルン)をいかに統御するかというミラレパの体験が描かれている。

 一般的に、これらのヨーガの教えを受けるためには、3年の修行(リトリート)が必要とされる。修行について書かれたマニュアルを読むと、相当に厳しいものである。しかしミラレパの歌はこの伝統のギャプ(背景)テクストであり、それゆえ歌はヨーガに言及し、その中身も少しだけ描いている。

 いくつかの章では、ミラレパは、極秘としている体験や論争を起こしているタントラの性ヨーガについても述べているのだ。グルによっては一般公開を拒んでいる、もっとも深遠で、発展した、形のない瞑想修行についても描かれている。

 ミラレパの歌は、マハームドラーに関連した修行システムの公にされた背景テクストである。東チベットでは、ミラレパの歌は広く愛唱され、学ばれている。この背景テクストを通じて、秘教的な宗教が公の修行の場に移されたということができるだろう。

 この意味で、パドマサンバヴァの伝記は、ニンマ派のタントラの系譜の背景テクストであるといえる。その韻文は歌の素材を供与し、ニンマ派の詠唱の基礎となった。

 同様に、ゾクチェン(大いなる完全)と呼ばれるニンマ派とボン教の秘密の教えは、背景テクストとして、あるバージョンのケサル王物語を擁している。そしてアムドのゴロク地方(青海省)では、この秘教的修行法は公にされた宗教システムなのである。

 チベット仏教を学んできた人々にとっては、ゾクチェンが公共の財産であるべきだという主張は奇妙に映るだろう。ニンマ派の哲学者ジャンゴン・コントゥルは、ゾクチェンを9つの乗(ヤーナ)の最後でもっとも高いものとして挙げている。その彼が匪賊として有名で、独立した反乱者の一団であるゴロクの人々を哲学者とみなすのは、もっと奇妙かもしれない。マチェン・ポムラ山周辺の野卑で、ほとんど無法の地域が、もっとも深遠で哲学的な思想の故郷であるというのは、奇妙なことかもしれない。

 何人かのチベットの偉大な思想家は、この地域の出身である。ジグメ・リンパの転生であるド・キェンツェ。イェシェ・ドルジェやその注釈書集成が現代のニンマ派の学術研究の基礎となっている19世紀の大博学者ミパム・ギャツォもそのなかに含まれる。

 実際のところ、超宗派運動のリーダーたちは、家族や近接性、法統によって、ゴロクの遊牧民部族と何らかの関係があるのだ。チョギャム・リンポチェにとってもゴロクは縁があった。彼は生徒たちにイニシエーションを与え、この地域の山神であるマギャル・ポムラ信仰に導いたのである。彼はマギャル・ポムラの庇護のもとにアメリカン・リトリート・センターを建設した。そして彼が口にするケサル王物語は、ゴロク語を話す語り手(叙事詩人)が構成を作ったものなのだ。

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