チョギャム・トゥルンパの全作品中に見られるケサルの痕跡 

 ここまで学んだように、チョギャム・トゥルンパはチベットから亡命したとき、厖大な量の書き綴ったものを残してきた。それは彼がチベットですごしたわずか19年の間に書かれたのである。彼が発見し、書写した古代のテルマ(埋蔵経典)や彼が作った儀礼、啓示されたビジョンの記録、瞑想マニュアル、詩歌作品などが東チベットに散らばっている。それは彼が若い瞑想家として、あるいは研究生としてあちらこちらを歩いたからである。そしてトゥルク(転生ラマ)として仏法を教えた。これらの作品はトゥルンパ・リンポチェの甥であるカルマ・センゲ・リンポチェが収集した。

 そんなチョギャム・トゥルンパの初期の作品のひとつは、その存在は知られていたが、完全版が発見されていなかった数百ページに及ぶ叙事詩的韻文『黄金の玉模様 ラ(神)の叙事詩、シャンバラ王国年代記』である。

 トゥルンパ・リンポチェはチベットから脱出したあと、そのオリジナルの作品を再構築しようとした。われわれが言及するのは、この亡命後に再構築した作品のほうである。

 その第1章で、世界は9柱の宇宙神(シペラ srid pa’i lha)によって創造される。シペラはダラ神(dgra bla)として知られる戦神の姿をとって現れる。これらの神々は、現象世界の原初の、根源の面を代表している。

たとえば、これらのラ(lha)の一柱は、すべての種類の光のために立っている。さまざまな方角を見ながら、太陽、月、惑星の光、星々、意識自体の内なる輝きを含むすべての種類の光をこの神は創ったのである。

 もうひとつのラの一柱は、空間と方向の感覚を代表している。さまざまな方角を見つめ、仕草をすることによって、この原初の神は、物理的な空間を含むすべての種類の空間を創造した。この物理的空間に関し、「二つの物事に分ける能力」という興味深い定義がなされている。

 また一柱の女神は、あらゆる水の形と世界における水のすべての身体を創った。

 ほかの一柱の神は山や丘の創造に責任を持っている。

 トゥルンパの叙事詩のなかでは、これらの神々はシワ・ウーカル(zhi ba ’od dkar)すなわち「静寂の白い光」という9番目のラ神の指示を受けている。これは創造の背後にある絶対的原理であり、リアリティの本性である。

 これら9柱の宇宙の神々が世界を創造したあと、「静寂の白い光」は彼らが創造した物事のところに行き、それぞれにアニミズム的な精霊であるダラ(drala)を投入する。

 たとえば、それぞれの水の身体にル(klu)、あるいは竜の精霊が付与される。山には山の精霊ニェン(gnyan)が付与される。もっとも高度な身体にはラ神、あるいは天空の(ouranic)神々が付与される。

 長大な作品である『ラの叙事詩』はこのように進行するが、不幸にも中国人がチベットに侵攻し、亡命を余儀なくされたときに失われてしまった。西欧に着いたとき、彼は最初の2章を書き直したが、それ以上は書けなかった。

 この『ラの叙事詩』の2章に関して驚くべきことは、われわれが期待するものとはひどくかけ離れていたことだ。人はチベット仏教の(タントラ、スートラ、注釈論考)経典のようなものを思い浮かべるかもしれない。しかしそこにあったのは、チベットの王統年代記やケサル王物語のなかに見出される創造神話だったのだ。

 これらの文芸が呼び起こす宇宙論は、土着のチベットの宗教のものであって、仏教ではない。彼らはまず世界の創造を、それからチベットの部族の創造と進化を記録する。その部族からチベットの代々の王は生まれたのであり、リンのケサルも同様だった。

 大半の仏教文学と対照的に、この土着の文芸スタイルは、超越の概念を表わしていた。形而上学的ではなく、古代性と原初性の言葉を用いていた。宗教的儀礼は典型的な内陸アジア様式だった。仏教の作品が犠牲と火の供養を描いているとき、人はここで中央アジアのステップの遊牧民の儀式、ラサン(lhasang)を開いた。これは煙の浄化儀礼である。

 王室の起源は、ラ神が地上に降臨したときとも、山神が人間と仲良くなったときとも言われる。

内なる生理学もまた、非仏教徒の文化を喚起する。仏教徒の作品が人間の身体を容器としてとらえ、その容器に中央の脈管が走り、左右にも脈管があることを描く。これらの脈管にはさまざまな風(プラーナ)が縦横無尽に走る。

一方の非仏教徒のほうの作品は、司祭や守護神、さまざまな種類の魂を描くが、それはどこか錬金術的道教を偲ばせるものがあった。

 身体を守るオーラのようなエネルギーがあり、それは戦闘のとき、戦士を守護した。このエネルギーにはカラフルな名があり、それもまたわれわれに中国の宇宙論を思い起こさせた。すなわち風馬(ルンタ rlung rta)、力の場(ワンタン dbang thang)、生命力(ソク srog)、長寿力(ツェ rtse)などである。

 これらのエネルギー、宇宙論、部族年代記へのアプローチは、ケサル王物語とシルクロード東部の要所の戦記文学特有のものである。それらは、モンゴルの年代記、チベットの口承文学、そして前述のように、『三国演義』などの中国の古典小説にも見られるものである。

 トゥルンパ・リンポチェが文学作品のなかで混交的な伝統文化を喚起したとき、彼は自身をわれわれがチベットのルネッサンスと呼ぶ新しい宗派、超宗派運動、すなわちリメ運動と関連づけた。この宗派の創立者は19世紀の博学な仏教学者大ジャンゴン・コントゥル、ジャムヤン・キェンツェ・ワンポ、ジュ・ミパム・ギャツォらである。

 リメ運動は、チベット仏教の4大宗派と、ボン教として知られる組織化された非仏教宗教、そしてシャーマニズム的、アニミズム的な土着の宗教を、ひとつのシステムに統合しようとした。

 このことは、内陸アジアのシャーマニズムとインド仏教の高度に学問的な形而上学や認識論とを妥協させねばならないということを意味した。

 この理論的な学問作業を成し遂げたのがミパムだった。ケサル王物語のミパム・バージョンは、タントラ仏教とマハーヤーナ仏教の一般原理を示した。しかし同時にシャーマニズム的、魔法物語的要素も導入していたのだ。

 通常のボーディサットヴァと違い、ケサルは呪術師であり、とくに戦士が用いる呪術には熟練していた。ミパムの仲間たちはこうした呪術の実践について注釈し、ケサル王物語は、少なくともミパム・バージョンは、チベットのシャーマニズムの実践的手引書となりえたのである。

 すでに述べたように、E・ジーン・スミスが言うには、ゾクチェンは一般的に秘教とみなされているが、事実上ゴロクでは、大衆的な宗教である。おなじことは、ケサルのシャーマニズム的スタイルについても言えるのだ。

ケサル王物語に登場するあらゆる戦士は多かれ少なかれ、呪術師である。彼らはみな話すことも飛ぶこともできる馬に乗る。彼らはみなラサン儀礼を行い、戦いにおいて呪術を使い、個人的な防御能力を高める。彼らのほとんどが守護神を持っている。その守護神は、古典的なインドの組織立ったタントラの神々と、荒々しくカラフルなアニミズム的な神々とが混合した複雑な外観を呈している。

 多くのテュルク系の神話でも見られるように、戦士は戦うとき、当然のことのように呪術を使い、弓、槍、剣にも呪術的な力を加えて神の能力を発揮する。

 このようにしてミパムは、ケサル王物語を仏教徒と地元の信仰のハイブリッドに仕立て上げたのである。彼はやはり同様に混合宗教的であるケサルの賛歌を書くことによって、このように読まれることを確信したのである。

 これらの儀礼の実践は、「ミパム大全」の「ナ章」に見出される。このなかでもっとも有名なものは「長いウェルマ神のラサン」だろう。それは叙事詩マンダラとしてケサルとその宮廷の呼び出しである。

 ここにわれわれは、ニンマ派主体の仏教と土着の宗教との混合を、注意深く見ることになる。たとえば、さまざまなブッダとともにパドマサンバヴァが呼ばれる。それからケサルと宮廷と仲間たちに注意が移る。そのときの配置は、ケサルが中央でその四方に取り巻きがいるのではなく、御前会議のように、ケサルが前に座するのだ。またそれは物語の中でムクポ氏族が集まるときとおなじである。ケサルの宮廷式のマンダラでは、彼らはダラ神や土着の神々、比較的力のある人物などに囲まれている。

 ミパムのケサル王物語のバージョンは、ラサン儀礼のときに現れる神々のマンダラのシンクレティズム的な形式に、正当化の根拠を与えている。ケサルは、悟りを開いたタントラ仏教のグル、パドマサンバヴァがアミターバ(阿弥陀)やアヴァローキテーシュヴァラ(観音)、たくさんの土着の神々と協力して創り出したものである。

 ケサルは文字通り、アミターバとアヴァローキテーシュヴァラから現れた光線から形作られ、パドマサンバヴァのなかに溶け込み、パドマサンバヴァによって輝くと、土着の神々の身体に送り込まれ、変成して密教の男女の守護ブッダとなった。

 これらのブッダは合体し、「聴くに楽しい者」(*トゥパガワ Thos pa dga’ ba)という名の悟りを開いた神が生まれた。この神はケサルとして降臨することを同意した。「聴くに楽しい者」(トゥパガワ)は部分的には、土着の神々から変じてブッダとなったのだが、同時にたくさんのチベット土着の動物頭のダラ神も、降臨に際して帯同させた。

 ダラ神はケサルの体内に住み、ひそかに体内パワースポットを作った。それはインド仏教が信じる脊柱に沿ったチャクラではなく、頭、両肩、胴などの部位だった。そこに土着のアニミズム的な守護神が住み、それらがそろったとき、ケサルはきわめて有能な戦士となるのである。

 ミパム版ケサル王物語を注意深く読むと、ミパム大全の「ナ章」に書かれた「ケサル・サーダナー(修練法)」の精神的テクニックについて説明されているのがわかる。しかしミパム自身がこのシンクレティズム的なテクニックを創り出したわけではない。

 ニンマ派の哲学的世界と詠唱する賛歌経典は、チベット仏教の初期にまで遡ることができる。たとえば、とても長い「山の浄化の奉納」(リウォサンチュー Rib o bsang mchod)というラサン儀礼がおこなわれる。この儀礼のとき読まれるテクストには、絶対的原理が顕現し、ダラ神のような相対的なレベルに移行する場面が含まれる。

 「長いウェルマ神のラサン儀礼」は、ゴロクで、チベット全体で、そして難民のコミュニティーの間でも行われている。

 もうひとつのミパムの人気がある賛歌は、題こそないものの、タルチョ(祈祷の旗)に書かれている。この賛歌には、私が「顕現的秩序」と呼ぶ順序で神々が登場する。

 それは絶対性を代表する神々の呼び出しからはじまる。それから悟りを開いた個人や教師に移り、そしてインドの神ガネーシャを呼ぶ。ガネーシャはダラ神の聖なる軍隊を率いる。そのつぎに明白な世界と相対的な真実の神々、すなわち因果を(あるいは偶然、業による原因と効果を)指揮する宇宙の系統の神々があらわれる。

 ミパム大全の「ナ章」には、おびただしい数の短文のケサルへの請願文が収められている。7行のケサル請願文は、よく知られたパドマサンバヴァへの7行の請願文とよく似ている。

 トゥルンパ・リンポチェは、ミパムのケサル修練法(Ge sar skor)から上記の賛歌を取り上げ、彼自身の生徒に歌わせた。

 上記のミパムの全作品は、トゥルンパ・リンポチェとともにナーランダー翻訳委員会が翻訳している。そして上級の生徒にはそれを歌わせている。

 ミパムのケサル修練法のなかで、もっとも興味深い実践法は「競馬の請願」だろう。「競馬」の場面はミパム版のケサル王物語の第3巻である。「競馬」のほとんどの場面においてケサルは神でもなければ、聖なる王子でもない。醜くて不快なジョルなのである。

 ジョルは競馬の「賞品」である愛らしい王女ドゥクモに招かれた。リンに戻ってくるということは競馬に参加するということだった。勝利を得れば、それはドゥクモを手に入れるということを意味した。

 この章は、物語の目覚めた見方に関するメッセージに満ちている。相対的な世界の因習的な現実をよく見ているのである。

 あるメッセージは皮肉たっぷりに、相対的でしかない世の中の人生の空虚さを批判している。ほかのメッセージは英雄的で、現象世界のパワーと派手さを見せながら、絶対的真理からかけ離れてしまったことを言おうとしている。

 ある章では、たとえば、愛すべきドゥクモがマの国の見るも恐ろしい孤高の城塞にケサルを訪ねる。マの国へ行き来するとき、ケサルはドゥクモに意地の悪いいたずらをする。コヨーテのようなトリックスターになって彼女を苦しめ、同時にさまざまな人物に化けて彼女を誘惑した。この章は「尊い王女」と呼ばれ、奇妙な女性性の仏教の試験になっている。

 ドゥクモの小難しい女性のエゴイズムは彼女のすばらしさでもあったが、容赦なくケサルから攻め立てられた。ケサルは彼女を一時的に痛めつけもした。同時に彼はこの明らかな世界において、彼女が必要不可欠な存在であるとして、賛辞を贈っている。

 ケサルのドゥクモにたいする批判と攻撃は、アンフェアではないかと読者は感じるかもしれない。しかし目覚めたトリックスターという観点からすると、ドゥクモの因習的な女性性のモラルの弱さにたいする批判であり、適切な罰なのである。

 チベットの貴族の女性は、彼女の人生を揺るがすほどの争う相手と交渉するとき、不誠実さを武器として使う。要求の多い兄弟たち、ずるがしこい父と叔父、ほかの女たちの妬みと将来の夫の家族の敵愾心、そういったものと戦うのだ。

 まさに数えきれないほどの社会的圧力が若くて美しい女にかかってくる。ドゥクモはこういった圧力の蜘蛛の巣の罠にかかってしまったようである。ケサルは親戚関係の偽善性と人間社会の因習が彼女に課す女性の策略を批判した。

 ケサルのトリックはグロテスクであり、ときには暴力的で、仏教的皮肉に満ちていた。ケサルはドゥクモの忠誠心をたしかめるため、自殺をみせかけたこともあった。泣きながら彼女は彼の遺体を埋め、英雄なしに家に戻ったなら兄弟たちは彼女を罰するだろうと歎き悲しむ。彼女は自殺することを決め、馬に乗って川に入っていこうとした。彼女はこのようにすれば、来世はケサルといっしょになれるだろうと、メロドラマ風に言う。

 しかしながらケサルは蘇り、不適切に遺体を埋めたと彼女を嘲笑った。彼女は真の慈愛の心を示していない、というのも彼女とともに馬を溺れさせようとしたからだとケサルは指摘し、彼女の古臭い同情心をさげすんだ。

 この巻のほかの章では、ドゥクモとケサルの母が魔法の力を持った馬を探しに行く。この馬は馬頭のタントラ仏であるハヤグリーヴァの化身だった。馬はすばらしい筋肉をもった理想的な生き物として描かれた。われわれは遊牧民の馬にたいする愛情、いや聖なるエネルギーそのものへの信仰を見ることができる。

 競馬の最後の章で、ケサルはリンに到着し、レースがはじまる。レースが陽気に行われる間、ケサルは浮かれ騒いでいて、彼の支持者はぎょっとさせられた。たとえば、彼はゴールラインから逆向きに馬に乗った。レースの間も彼は、止まってはほかの参加者にからみ、難解な話をしようとした。見物人はケサルの子供じみたいたずらによって、彼が勝利を逃すかもしれず、彼は運命を理解していないと、不平をこぼした。

 しかし賢人であるムクポ部族の首領は言った。

「もしあなたが、俗世の力と覚醒した力がどのように働くか理解できるなら、何事もケサルの勝利を妨げないことがわかるだろう。というのも、人のカルマと場の力が引き起こした運命は、戦略や努力以上の結果をもたらすものだからだ」

 このようにそれぞれの章で、タントラとシャーマニズムの力を分析している。哲学的な意味で、完全とは女性性との合一である。それによって馬の超常的な能力がもたらされるのだ。このようにしてカルマと場の力から運命が決まるのである。

 実際、第3巻の「競馬」の巻には、さまざまなレベルの秘教的意味が散りばめられている。それぞれの章がミパムによってチャクラヴァルティン、すなわち世界の王の宝にちなんで命名されている。尊い王妃、尊い大臣、尊い象、といったぐあいに。これは古代インドのリストである。

 トゥルンパは相対的な力の図像学的な地図として、このリストに秘教的な意味を与え、それを米国での講義に用いた。このリストをマスターできるのは、エコロジーの世界に生きる熟達者だけである。

 社会のすべての人は、世界において成功を知っている世界の帝王のようでなければならない。人は、尊い王妃を(つまり性的配偶者を)、尊い大臣を(つまり健全なアドバイザーである友人を)、尊い将軍を(つまり物事を得るのに助けてくれる友人を)、尊い象を(つまり旅をしたり、移動をしたりするときの問題のうまい解決法を)持たなければならない。

 ミパムが弟子のギュメに「競馬」の章をこのような構造に再編集させたとき、口承の物語に含まれているこのテーマの教えを引き出してきて、思慮深い読者のためにわかりやすくした。

 彼の方法は奇妙で、タントラ的だった。弟子に編集させる前に、ミパムはつぎのように書いた。

「競馬(の章)は祈願である」

 それはテクストそのものを崇拝する儀礼という意味である。祈願文はかなり長く、謎めいた神託の言葉を思い起こさせるようなシンボル的な言語で書かれていた。ミパムはこの賛歌を編集者に渡し、秘められた意味について教え、「競馬」の章を、シンボルを帯びた、神託的な、謎めいた賛歌と合致するよう再編集を命じたのである。

 自然にできあがった民間の口承芸能という現象に、宗教的な、哲学的な秩序をもちこむのはミパム独自の方法だった。こうしてケサル儀礼は物語を補完するものであり、物語がすべてがそうであるように、ごく自然に伝播され、ミパムの特別なケサルの宗教もまた伝播されるのである。

 これは、超宗派運動(リメ)が用いるテクニックの典型例といえるだろう。彼らは土着のシャーマニズム、口承の叙事詩、タントラ仏教、錬金術的道教、ゾクチェン、奇妙で厖大なカーラチャクラ・タントラ、こういったものを織り交ぜて新しいものを創造するのである。

 このシンクレティズムの文献的材料は、ミパムのケサル王物語に関する注釈・コメントや儀礼、超宗派運動の哲学的論説などに見出すことができる。

 トゥルンパ・リンポチェはこの伝統にのっとって、彼のグルたちが創り出した融合を意識しながら『ラの叙事詩』を書いたのである。

 鍵となるのは「流出」である。この概念はネオプラトニズムの読者にはなじみ深いものだろう。すべての特質を持った相関的世界からの流出、あるいは確定していない現実の絶対的基礎から出た特性、それらは鎖でつながれた宇宙的なできごとである。米国の歴史家アーサー・ラヴジョイが言うところの「存在の大いなる連鎖」である。

 仏教はいつも「流出」システムというわけではない。それはプラトンの理想主義と比較すべきではないだろう。しかしタントラ哲学においては、このアプローチはうまくいくのだ。実際、究極の真実から相対的真実が「流出」するという感覚があるのだ。

 仏教哲学には、ふたつの真実の教義がある。単純にいうなら、混乱した者が見る、相対的真実(サムヴリティ・サティヤ samvriti satya)と、混乱していない、騙されていないブッダたちが見る、究極の真実(パラマルタ・サティヤ paramartha satya)のふたつである。

 相対的真実は、事象と人の世界である。究極の真実は、自性の空である。それはあきらかに存在する事象の堅固さの欠如である。相対的真実は見かけであり、究極的真実は実在である。

 さまざまな仏教システムの形而上学は、主に、ふたつの真実の本性におけるポジションの違いによって区別される。もっとも一般的なポジションは、相対的真実は欺瞞であり、そこにはなんら真実がないというものだ。ナーガールジュナやチャンドラキールティが書いているように、相対的真実はない、という考え方である。

 ミパム版ケサル王物語に含まれ、かつ明白な哲学は、超宗派運動のなかでさかんな哲学的論戦とつながりがある。すべてのチベット仏教の宗派は、その哲学的見解から、チャンドラキールティのマディヤマカーヴァターラ(中観導入)をみな根本テクストととらえている。それはマディヤマカ、すなわち中観のイントロダクションであり、2世紀のインドの偉大なる哲学者ナーガールジュナによって発展したアプローチなのである。

 ナーガールジュナの著作は、「プラジュニャーパーラミター・スートラ(知恵の完成の経典)」として知られる大乗経典の翻訳である。ナーガールジュナは弁証法による証明を提起する。それによって人は、完全なる知恵の直接体験と、実在の空虚な本質の直接的な洞察へと至ることができる。

 この神秘的な洞察がいかに譬えようがなかろうと、考えたことを描くのがいかに困難であろうと、この弁証法を通して、人は正確な体験に到達することができるのだ。

 大乗仏教哲学の半分は、ナーガールジュナの違った読み方や解釈の仕方の提議だといっても過言ではない。たとえば、ナーガールジュナの著作が出版されたあと、1世紀ののちに出たチャンドラキールティの著作は、相対的真実は明確な真実ではないという点において、欺瞞的であると主張している。つまり、いかなる真実の言葉も述べられない、ということになってしまう。というのも、どんな言葉も、堅固なもの、あるいは相対的ないしは欺瞞的な真実の具象化されたものを含んでいるのだ。

 しかし人は相対的真実を批判することによって、究極の真実に到達することができる。中観のスポークスマンは独立した考え方を述べることができるが、否定することができるのは、敵対手のポジションだけである。

 これはプラサンギカ・マディヤマカと呼ばれる。プラサンガとは、サンスクリットで帰謬法という意味であり、チャンドラキールティが敵対手である本質主義派を批判するときに用いる方法だった。

 仏教がはじめてチベットに到来したとき、ナーガールジュナから生じたスヴァータントリカ・マディヤマカが読まれた。それを推し進めたのはバーヴァヴィヴェーカ(清弁)だった。スヴァータントリカとは「自立した言説」という意味だった。(*自立論証派と訳される)

 この派の方法論によれば、実在の本性についてポジティブな推論も可能だった。そしてこのポジティブな推論は、すべてを破壊する弁証法でも手が出せなかった。中世においてスヴァータントリカは、プラサンギカが登場したために影が薄くなってしまった。そしてこのことからタントラの解釈に問題が生じてしまった。

 タントラは、マンダラという装置を通して複雑な隠喩体系を表現する。マンダラは宮殿、あるいは宮廷であり、神々の世界でもありえる。それぞれのマンダラは理想的な世界を表わしている。マンダラとその神々を観想することは、瞑想者にひとつの、統合された図像学的な神秘哲学のかたちを提供することになる。

 マンダラには質、面、属性を持った神々が描かれているので、まるで相対的真実の生き物であるかのようである。このように厳格なプラサンギカの枠組みでは、その象徴が煩雑で、多彩すぎるので、形而上学的な基礎を見つけるのは容易ではない。

 容易ではないが、不可能というわけではない。人は神々を寓話的に解釈しないよう注意する必要がある。また人はプラサンギカ・マディヤマカに従って、それを誤謬に縛られた自律弁証の基礎としてはいけない。

 スヴァータントリカ(自立論証派)は、タントラ経典のシンボリズムにより豊かな解釈をもたらしてくれる。というのも、それらは非欺瞞的な、相対的な意味をシンボルに与えるからである。

 しかし19世紀頃までに、スヴァータントリカ・マディヤマカは流行遅れになり、廃れてしまった。それを再評価したのは超宗派運動(リメ)である。彼らは心が広く、喜んで異なる場合に異なる哲学を用いたのである。

 ミパム自身インドの経典全体に注釈を施し、多様性に厳格な基盤を与えた。プラサンギカの解釈のためにいくつかの仏教の修行法が呼び起こされた。一時的に形而上学やスヴァータントリカのような思考法に切り替えることをすすめた。

 実際のところ、仏教哲学史において、それぞれのやり方がそれぞれの場所を修行法の階梯に見出してきたのである。トゥルンパ・リンポチェもこの考え方を超宗派運動から学び、生徒たちに教えてきた。

 このように彼は、何が儀礼や瞑想の実践として行われるかに応じて、ふたつの真実に対し、さまざまなアプローチの仕方を決めてきた。たとえば、1973年、トゥルンパ・リンポチェは「欧米の生徒のための3か月リトリート(こもり)」を行ない、タントラの厳格なテクニックを示した。そのとき、彼は「マンダラのヴィジュアライゼーション(観想)を教えるこのセクションでは、とくにスヴァータントリカ・マディヤマカの見方に依拠する」と宣言したのである。

 じつはその一年前、彼はロッキー・マウンテン・ダルマ・センターでチャンドラキールティの「マディヤマカーヴァターラ」をもとにした「10のブーミ」という拡大レクチャー・プログラムを実施したばかりだった。

 のちに彼はナーラーンダ・トランスレーション・コミッティーという翻訳組織を創設した。この組織によってミパムの2冊の著作物が翻訳された。その財政援助によって三番目の取り組みの対象となったのが、ひとつの中観、すなわちシャントン(他空)だった。

 議論を呼ぶ問題のふたつの論文のタイトルは、『他空を宣言する獅子の咆哮』(gZhan stong khas len seng-ge’i nga ro)と『獅子の咆哮 スガタダルバの偉大なる本質注釈』(bde gshegs snying po’i stong thun chen mo seng-ge’i nga ro)である。

 トゥルンパ・リンポチェが言うには、これらのテクストについて熟考したことにより、大いなる覚醒のときがやってきたという。

 他空学派の根本テクストとなったのは、『マハーヤノッタラタントラ・シャストラ』という名の論考だった。これはアサンガによって書かれたとされるものだ。アサンガの兄弟であるヴァスバンドゥはアサンガの韻文の根本賛歌に散文の論考を寄せている。このタイトルは『無比無限論考』である。

 無比無限論とは、仏性、不死、偽りのない意識であり、潜在的にはすべての生きるもの、実際上、すべての本性の心に悟りが存在しているのである。

 通常、仏性哲学は、論理的には中観(マディヤマカ)に反するとされる。というのも、それは実在を肯定的にとらえていて、仏性はだれの心にも存在すると仮定しているのだ。

 ところがチベットには、中観(マディヤマカ)と矛盾しない形をとる考え方の学派があった。ジョナン派である。その創始者はドルポパだった。

 ジョナン派の多くの寺は、事実上、ダライラマ5世の軍隊によって破壊されてしまった。そして、この教派は絶滅してしまった。(*四川省のザムタン、ンガバ、バルカム、青海省のゴロクなどに小中規模の寺院が残っている。インド・シムラ郊外に亡命寺がある。ジョナン派、あるいはチョナン派については、「チョナン(ジョナン)派 抹殺されかけたチベットの人気宗派」を参照)

 しかし超宗派運動はジョナン派に注目し、教義の重要な部分として取り入れたのである。スヴァータントラのように、シャントン(他空)は、仏教マンダラに現れる神々の本性について肯定的に述べる時、活用されるだろう。

 実際、仏教宇宙論に、それはユニークな存在論的基盤を提供するのである。それはケサル王物語や、その関連の儀礼に登場する低ランクの神々や、自然神、土着の神々の存在を説明している。

 ミパムの手にかかれば、ケサル王物語の宇宙論やスピリチュアリスト、シャーマニズムの実践が新たな命を持つようになる。いま、相対的真実を理解する方法が、ここにあるのだ。それは、単純に認識のまちがいなのではなく、形のない「絶対」からの「流出」なのである。

 「流出」はインドの古典的な仏教タントラの神々に達し、それからさらに土着の神々、チベット民族のアイデンティティを表わす自然の精霊たちを抱く。すべては究極の意味においてつながっていると考えられる。

 トゥルンパ・リンポチェは「ラの叙事詩」の流出説を表現する。このなかで「絶対」の神は9柱のラに相対的世界の輝かしい存在、すなわち光、空間、方向、山々、水の総体を創るよう命令を下す。事象、それはマディヤマカ(中観)の標準的な観点から見れば、幻影をのぞけば存在しないのだ。「絶対」の直接的行為が、この世界の山や谷に、自然の精霊を授けた。

 つぎのステップは、人間の部族、動物、そして記録された歴史のできごとを創ることである。それはあたかもアリストテレスが、いかにパン(牧神)やサテュロス(好色な森の神)、ナイアス(水の精)が原初のヌース(知性)として存在するようになったかを説明するようなものである。

 われわれはこの考え方が、仏教の伝統的宇宙論といかに調和しないか特記しなければならない。通常、すべての神々や精霊は、本質的に、人間や動物と変わらないと考えられている。すべてはサムサーラ(輪廻)の6つの世界のなかの幻の存在なのだから。6つの世界の永遠に回転する輪の外側は、ブッダの世界を超えた規定できない、無制限の世界なのである。

 神々は、その世界の一部でもなければ、それととくに結びついているわけでもない。彼らはとくに高位の存在というわけではなく、彼らの形も宇宙的な意味を持つわけでもない。ブラフマーは、詩的寓話のなかを除けば、創造の神ではない。シヴァは破壊の本質ではない。ヤマとして知られる神は本当に死の神というわけではない。土着の神々は彼らが占める場所の性質を表わしているわけではない。こういった神々は、いかなるものの本質でもないのだ。

 これらはすべて、長く生きてきただけの、われわれの目に見えない身体を持った、混乱した存在である。相対的真実においては、すべてが欺瞞的である。

 トゥルンパ・リンポチェはアビダルマ宇宙論について説明するとき、そのことを一言に集約して言った。

「すべての神々は単純に、輝かしい幽霊(ゴースト)である」

 神々の「流出」説は、このような考え方と一致しない。シルクロードの宗教のアニミズム的神々は、場所や、現象世界の自ら存在する質とのつながりを表わしている。というのも、現象世界の詳細な形象は、「絶対」の本性、すなわちダルマカーヤ(法身)を表わしているからだ。

 空虚で輝かしい絶対は、無比無限論が「ガンジスの砂の数ほど」と言うように、数えきれないほどの質を含んでいる。そして「流出」によって、これらの質は現象世界でもっとも細かいものにも行きつくのだ。

 それらはチョギャム・トゥルンパが「精確」と呼ぶものによって自らを表わしている。「絶対」はそれ自体を「流出」のなかに表わしている。彼はこう言う。

「てんとう虫の背中にまでそれは形や色を刻む」

 トゥルンパ・リンポチェが、彼の叙事詩の神話的な形のなかにおいてこの哲学を説明するとき、彼が典型的な神として選んだのはインドの仏教の神々でもヒンドゥーの神の体系でもなく、チベットの土着の戦争の神、ダラ神だった。

 これはミパムのケサル王物語の戦略でもあった。それはほかの超宗派運動の哲学者、とくにジャムヤン・キェンツェ・ワンポの著作にも見出されるものである。彼はこの考え方でケサル儀礼の儀軌を書いている。

 東チベットと、中国と接する北東チベットのアムドの口承文学にはこの考え方の特徴が出ている。たとえばゴロクの大師であるド・キェンツェ・イェシェ・ドルジェは、ニンマ派のもっとも偉大な思想家であるジグメ・リンパの転生とされる。その有名な先代の転生の誕生が第1章に描かれている。

 ド・キェンツェの伝記は、有名なラマの伝記にありがちだが、奇跡的な話に満ちている。ただし母と子がケサル王物語のように、仏教の神々に取り囲まれていないのは、この種の奇跡譚としては異例である。奇跡的な子供が生まれる間、戦神たちは武器の儀礼を行い、姿の見えない叙事詩の語り手が、祠でお香を焚いて踊りを捧げ、物語を歌う。姿の見えない戦士が母のテントの周囲を馬に乗って回る。山神がインドのゾクチェンの神々とともに祝福を与える。

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