ミケロの旅日記 独竜江ふたたび

2011年3月中旬 独竜族からのメール

 数年ものあいだ音信不通だった独竜族の女性Nさんからメールが届いたのは3・11の大震災の直後だった。メール・アドレスを教えた記憶はないのだけれど、雲南省の共通の知人のだれかから聞き出したのかもしれない。このときのメールの内容はこちらの安否を尋ねるものだった。海の向こうから見れば東北だけでなく、日本全体が甚大な被害を蒙ったように映るのだ。

 独竜族には思い入れがあった。

1996年6月、雨季がはじまる直前、ガイド兼お目付け役の(貢山県)旅遊局の青年に案内され、友人(デザイナーの三宅さん)とともに貢山から鬱蒼とした森の中を歩いて三日、高黎貢山(海抜3600mの峠は深い雪に覆われていた)を越え、独竜江村(巴坡郷)へと向った。

高い樹々のあいまの青空を一瞬よぎった太陽鳥の残影がいまも残っている。太陽鳥は手のひらに載るほどの小さなオレンジ色の鳥だった。

 輪になって歌い踊り、天神に犠牲を捧げる。

村に着いた二日後、紺碧の独竜江の川辺で、独竜牛(ミタン牛)を殺して天神に捧げる祭天儀礼を行ってもらった。儀礼の前日、散歩をしていたら木の下に牛がつながれていた。このあたりからミャンマー北部、インド東北部にかけてみかける日本人にはなじみの薄い牛だ。頭上の帽子のような部分がチャーミングで、見れば見るほどかわいい牛だった。私は近くにいた農夫に「かわいい牛だね」と声をかけると、彼は「そりゃあんたが買った牛さね」と答えた。

祭天儀礼をやってもらうために、私は大金をはたいてこの牛を購入したのだった。儀礼は冬のはじめに行われるのだが、冬になると峠が雪で閉ざされてしまうので、この時期に行うよう村長らに頼んだのだった。ヤラセである。ヤラセでも、民間宗教儀礼を観察するのにはまたとない機会だった。

 天神に牛を捧げる。

祭りのなかで村人たちが踊りの輪を作り、そのなかで杭につながれた牛は槍でチクチクと刺されながら、ゆっくりと殺された。動物愛護団体が見たら卒倒しそうな残虐な殺し方だった。

貫頭衣の民族衣装を着た村人たちは、銅鑼の鈍いリズムに乗って歌い踊りながら、しだいにその頬をゆるませていった。残虐だなんていう言葉は彼らにはなかった。動物はゆっくりとステーキに変わろうとしているのだ。最近になって知ったのだけれど、独竜牛の牛肉は上質で、独竜牛牧場も増えているという。貴重種とはいえ、個体数が管理されているなら文句はいえまい。

祭りの終盤になると牛は解体され、平等に(一人当たり2キロぐらい)肉は分けられた。参加者だけが並んで肉を受け取ることができた。

儀礼直後に雨季がはじまり、激しく雨が降るなか、険しい山道を歩いて独竜江に沿って遡上した。吊り橋は想像を絶するほど危なかった。足場は三、四本の朽ちた竹から成り、両手でつかむ鉄製のロープは川の中央で低くなり、膝あたりにまで下がった。強い風雨にあおられながら下を見ると、独竜江の激流がさかまいていて、体が流されていくような錯覚をおぼえた。

お米だけは持っていったものの、途中で入手できるものは芋くらいしかなく、たまたま道で出会った老婆と孫娘からかかえていたにわとりを買い取ったり、支流で魚釣りをしていた青年から魚を買ったりしてなんとか食欲を満たすことができた。百年余り前に独竜江にやってきたソルレアン王子率いるフランスの探検隊が報告しているのとおなじような貧しさが残っていた。

 道中、私は十人ほどの顔に刺青の入ったお婆さんと出会った。文面女(私は紋面女と呼ぶことがあるが、正確には文面女だ)には不思議な味があった。顔の刺青は先天的欠陥でもなければ、おしゃれでもない。では何か、と気にしはじめると、頭から離れなくなってしまうのだ。この秘境とさえいえる奥地にひっそりと暮らす老女たちに私はいとおしさのようなものさえ感じた。

 無愛想な刺青のお婆さんと孫にも風格が漂っていた。

 ロンイェン村の草地で会ったお婆さんは私のお気に入りだ。孫らしき男の子を抱いているその姿がさまになっていた。日本なら「まあ、かわいい」などとまわりからおだてられて、赤子も柔和な顔になるのだろうが、こういう厳しい環境下では甘えが消え、子供とはいえ厳しい顔つきになるのだろう。お婆さん自身もまた愛想など知らずに生きてきたかのようだった。

 私にとってのエポックは、ディツェンタン村のドゥナとションダン村のクレンとの出会いだった。ふたりとも顔に刺青を入れた紋面女でありながら、シャーマン(ナムサ)だった。

 盲目のシャーマン、ドゥナ。

最初に見たドゥナは、遊牧民が羊を追うように(それをスケールダウンしたかのように)「コッコッコッ」と声を出しながらにわとりを追っていた。彼女が盲目であることはすぐには気づかなかった。ドゥナは50歳のとき失明し、視力を失うとともにナム(精霊)が見えるようになった。8人のナムはそれぞれ病気を担当していて、ドゥナが治療を施すときに協力した。

 パワフルなシャーマン、クレン。

クレンは大きなパワーをもつシャーマン(ナムサ)として近隣に名が知られていた。しかしはじめて見た独竜江最上流のションダン村は、独竜江地域においてもとくに貧しく、クレンの家の中に家財道具のようなものがほとんどないことにショックを受けた。クレンも10人ほどのナム(精霊)を有し、治療を施した。クレンはときどき変成意識状態のなかで天上世界へ行くことができた。その世界はナムたちが住むきらびやかで美しい理想郷だった。

 私が独竜江に魅せられたのは、この峡谷にはまだまだ多数の精霊がはびこっていたことだった。たとえば崖や洞窟に棲む狩人が変じたという悪鬼ジプラン。人が突然倒れたり、激痛を覚えたりするのはこのジプランのせいだ。また、森と野獣の守護神、レムターは顔の半分が黒、半分が緑というバケモノ。しかしきちんと祀ってやれば、村人を守ってくれるのだ。


▲レムターは顔の半分が黒、半分が緑の妖怪。

このような精霊が人間とともに生きているような里が私は大好きだ。このあと毎年のように独竜江を再訪しようと考えたものの、実際に行くことはできなかった。ある意味では、二度と行かないほうがむしろ記憶のなかで「神話化」が起こり、いつまでも独竜江へのあこがれの気持ちが残ったかもしれない。少なくとも、幻滅するなんてことはなかったはずだ……。

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