ミケロの旅日記 独竜江ふたたび
2011年6月某日 叔父さんはミャンマーの呪術師に呪殺された
6月になってNさんから来たメールには、彼女が久しぶりに独竜江に里帰りするかもしれないと書かれてあった。彼女は純粋な独竜族ではなく、母方が独竜族だった。親戚は独竜江の南部からミャンマー側に散らばっていた。そもそも独竜江は北部と南部に二分され、言葉も文化も異なっている。顔面刺青も独竜江北部のみの風習だった。また南部はキリスト教徒が多く、ミャンマー側の独竜族(ラワン族)となると、ほぼ全員がクリスチャンだった。
メールの一文に目をみはった。
「二年前に叔父が病死しました。でもこれはミャンマー側の呪術師が呪いをかけたからなのです。わたしはミャンマーに行ってそれをたしかめたいと思っています」
突然、雷に打たれたかのように「おれもミャンマーへ行って呪術師に会うべきだ」という考えがひらめいた。なにをためらう理由があろう。いや、ある。外国人が国境線を越えることなどできるはずがないではないか。あんなところに国境検問所があるなんて聞いたことないし、国境線に近づくこともできないだろう。そこで私はいくつかの起こりうるパターンを考えた。
1)国境まで行ってNさんだけが越境し、自分は待つ。あるいはほかの場所へ行く。
2)森の中の抜け道を探し、ひそかに越境する。これは非常に危険だ。
3)あきらめてふたりで親戚の家を訪ねる。
正直言って、雲南省に着き、彼女と会って独竜江に入り、国境に近づいてからでないと決定することができないと思った。それまではなすがまま、状況に身をゆだねるしかないだろう。
それに私はもうひとつのテーマを見出していた。それは独竜江の顔面刺青のお婆ちゃんたちに再会するとともに、もうひとつの顔面刺青の宝庫、ミャンマーのチン族の地域へ行くということだった。インドシナの民族、とくにラオス南部からベトナム中央高原にわたって分布するカトゥ族のあいだにも顔面刺青の風習が残っているかもしれないので、雲南のあとベトナム、ラオス経由でタイからミャンマーに入るのがいいだろうと私は考えはじめていた。久しぶりの長旅になりそうだ。
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