ミケロの旅日記 独竜江ふたたび
2011年7月8日 リアルな夢
雲南省昆明茶花賓館の青年旅舎(ユースホステル)のツインルームに宿泊。
未明、生々しい夢を見た。あまりにもリアルだったので、頭の中ではそれは夢ではなく、記憶に分類されているほどだ。
4人か5人乗ったランクルが崖っぷちの道を走っている。私は後部座席に座っている。インド北部などでこの手の危ない道は慣れているのだが、やはり恐いものは恐い。運転手は顔見知りの青年。下手なのに乱暴な運転だ。案の定、スピードの出しすぎで、崖っぷちのカーブでバランスを失い、車はスピンしはじめた。くるくる回る車体のなかで私は「これはまずいな」と考える。やっと車の回転は止まったのだけど、道の端の上で微妙なバランスをとってかろうじて落下しないでいる。
ドアをゆっくりと開け、そろり、そろりと足をのばして、車外に出た。地面に立った瞬間、車は傾き始め、スローモーションのようにゆっくりと落ちていった。恐ろしくて下を見ることはできなかったけれど、地響きのような音が砂煙とともに舞い上がってきた。自分だけ助かってしまった。
恐る恐る崖の下をのぞいた。つぶれた車体の下敷きになっているふたりのうつ伏せになった遺体が見えた。こめかみから鮮血が流れていた。ほかの人たちがどうなったかはわからない。悲しいとか恐いといった感情はいっさいなかった。
場所はかわり、私はだだっ広い会場にいた。何千人もの人が群れていた。東京ビッグサイトのような場所のように思えるが、屋外のようでもあった。人だかりの向こうにTVモニターがあるようだ。TVを見ただれかがこちらに近づいてきて、「おい、おまえの名前が事故死した人のなかに入っているぞ」と知らせてくれた。
これはまずい、自分は死んだと思われてしまう。親に心配をかけさせてはいけないと考え、携帯で母親に電話をしようとする。しかしどうしてもかけることができなかった。たとえば8をプッシュすると、8888…と数字が止まらなくなった。1をプッシュしようとすると、今度はまったく反応しない。ああどうして電話できないんだ……とあせるうちに、目が醒めた。
目を醒ましながら、車体の下敷きになっていた遺体が自分であることに気がついた。
正直なところ、これは一種の予知夢だと思った。あまりにもリアルすぎて、未来の体験としか考えられなかったのだ。二日後、貢山(ゴンシャン)から独竜江へと向う道は夢の中の道よりももっと危険だったので、ここで車が谷底に落ちるのではないかとひやひやしたが、結局そのようなことは起こらなかった。とはいえ予知夢が今回のことを予知していたとはかぎらない。それは来年起こるかもしれないし、10年後に起こるかもしれないのだ。
ロバート・モス(後述)はふたつの歴史上の予知夢を紹介している。ひとつはジュリアス・シーザーの妻カルパーニャの夢。もうひとつはリンカーン自身が見た、自分の体が棺の中に安置されている夢。両者とも夢によって予知されているにもかかわらず、暗殺を防ぐことはできなかった。
夢について考えてみた。(⇒ つづき)