ロバート・モスに夢を学ぶ

 すこし視点を変えて、夢のポジティブな面について考えたい。

 夢の大家といえば真っ先に浮かぶのは、夢の探求者であり、アクティブ・ドリーミングの提唱者、ロバート・モスだろう。モスはオーストラリアの生まれながら、エコノミスト誌の編集者やBBCのコメンテーターとして、英米で幅広く活躍するジャーナリストだった。のち作家に転身して著したジャーナリスティックな作品やサスペンス小説の一部は邦訳も出ている。

 ところがある時期を境にモスはもっぱら夢を追求するようになった。じつは夢との関わりは少年期の体験にはじまっていた。メルボルンに生まれたモスは、9歳のとき盲腸が破裂しそうになり、搬送された病院で緊急手術を受けた。肺炎の手術を受けたばかりだったので、医者は少年が手術に耐え切れないのではないかと母親に話したという。

 手術のあいだ少年は肉体から抜け出し、廊下を伝って外に出て、窓を抜けて海の上を飛び回った。さらに町の上を飛んだあと、鉱山の竪穴のような地下へ落ちていくと、そこには別の世界があった。その世界の住人は彼を歓迎し、「夢の中であなたが来るのを待っていた」と言った。彼はそこで父となり、祖父となり、シャーマン、長老となり、死のときを迎える。彼の体は火葬され、その煙とともに銀河にまで上昇し、それから手術台の上の少年の体に戻った。

 この胡蝶の夢のような体験によって、モスは夢世界の存在を知ることになる。しかしそれを深く理解することができるようになったのは、80年代半ばにニューヨーク州北部チャタムの農場に移り住んでからだった。ある日彼はイロコイ族の居留区に近いハドソン渓谷を歩いた。それ以来夢の中にたびたびアイランド・ウーマンが訪れるようになった。アイランド・ウーマンは部族の太母であり、古代のシャーマンだった。夢を通じて彼にコンタクトしてきたのである。

 イロコイ族およびアイランド・ウーマンから彼はさまざまなことを学んだ。そのうちのひとつが「大きな夢」という概念だった。「大きな夢」は魂の目的と状況について教えてくれる。夢見る人の健康や寿命についても情報を知らせるのだという。「大きな夢」のなかでは精神的ガイドが死んだ親戚や鳥、動物、神の姿をとって現れるのだった。

 夢と死の関係についてはどうだろうか。

 モスはこう述べる。

「夢は死と再生を見るための装置」

「夢は死者からメッセージを受け、死者にメッセージを送るトランシーバー」

 夢を通じて死者(家族や親戚、友人)がコンタクトしてくるのは、われわれ自身の死への準備だという。彼らや動物にエスコートされてわれわれはもうひとつの世界へ旅立つことができるのである。


 ロバート・モスの夢シリーズのなかで邦訳されたのは現時点で『コンシャス・ドリーミング』(2002 原作は1996)と『夢力を鍛えて未来を変える』(2008 原作は2007)だけなのは、ほとんどの作品がおなじテーマのバリエーションなので致し方ないことかもしれない。しかしイロコイ族の夢の技法に学ぶ『Dreamways of the Iroquois』(2004)や死と夢に焦点を当てた『The Dreamer’s Book of the Dead』、歴史上の夢について書いた『The Secret History of Dreaming』などさまざまな角度から夢を眺めた興味深い作品が目に触れないのは残念なことだ。

 ロバート・モス導師の忠実なる弟子ともいうべきワンダ・イースター・バーチの『She Who Dreams』(2003)は夢の技法を実践した女性の記録として興味深い。彼女は夢を毎日詳細に記録し、そこから症状が現れる前に乳がんを察知し、また夢を解析することによって治療することにも成功する。

 ロバート・モスについて語り忘れてはいけないのは、彼がずっと夢のワークショップを開催してきたことだ。日本とは比較にならないくらい米国ではさまざまなニューエイジ的なワークショップが開かれる。それは土壌の違いとでもいうべきだろうか。日本にも夢のワークショップはあるけれども、オームの事件以来こういったものにたいしてわれわれは疑心暗鬼すぎるようである。

 モスは夢のシェアリング(分かち合い)のすばらしさを強調する。われわれの祖先は夢を大切にする文化に属していた。夢の分かち合いは「家族や同じ地域に住む人たちにとって、健康や安全、そしてアイデンティティを確かめるうえで大切なものだった」のだという。現代人が古代人やネイティブと同様の精神生活を送ることはできないが、夢のワークショップで夢のシェアリングを体験することは可能なのだ。

⇒ つぎへテンズィン・ワンギェル・リンポチェに学ぶ)