テンズィン・ワンギェル・リンポチェに学ぶ

  ヒラリー・S・ウェブはインタビュー集『Traveling between the Worlds(2004)のなかで23人の「同時代シャーマン」と会って対談をしているが、その末尾を飾るのがボン教の転生ラマであり、いくつかの著作の人気著作家であるテンズィン・ワンギェル・リンポチェだ。シャーマニズム的観点を巧みに取り入れたその先進性は高く評価されている。チベットの活仏のイメージからはかけ離れた、さわやかで精力的で、それでいて知識があり、修行者としてもすぐれた得がたい宗教家である。

 リンポチェはいわゆるチベット難民二世である。生みの父親は仏教の僧であり、母親はボン教徒だった。父親の逝去後、母親はボン教ラマと再婚した。リンポチェが10歳のときインド・ヒマチャルプラデーシュ州ソーランの静かな谷、ドランジのボン教寺院メンリ寺に送られたのは、夫婦とも信仰心の篤いボン教徒だったからだろう。そして少年僧として数年過ごしたのち、ロポン・サンギェ・テンズィン・リンポチェによってキュントゥル・リンポチェの転生と認定されたのである。

 キュントゥル・リンポチェはいまなおボン教徒のあいだで語り継がれる偉大な導師だった。すぐれた学者であり、修行者、瞑想家であるだけでなく、ヒーラーとしても絶大な能力を有していた。テンズィン・ワンギェル・リンポチェがひとつの枠に収まらないのも、キュントゥル・リンポチェの転生だからだといえるだろう。

 師のロポン・サンギェ・テンズィン・リンポチェからはシャンシュン・ニェンギュなどゾクチェンの根本思想を学んだ。さまざまなことを教わるが、夢もそのうちのひとつだった。師はリンポチェを含む生徒たちにその日見た夢について語らせた。チベット文化において夢はとても重要なものなのだ。リンポチェが夢ヨーガを学ぶのはずっとあとのことだけれども。

「この世界は夢である。師も教えも夢である。修行の結果も夢である」

 そうテンズィン・ワンギェル・リンポチェはいう。唯識ならぬ、唯夢だ。いや、やはりそれは唯識なのだ。そしてこうつけくわえる。

「すべてのものは空(くう)である。すべての苦悩は教えである」

 

 夢は三種類に分けることができる。

(1)サムサーラ(輪廻)の夢 通常の夢。読書にたとえられる。本には紙の上の記号があるにすぎないが、そこから意味を汲み取ることができる。日常生活や感情から夢が生まれる。

(2)明晰なる夢 夢の修行を行えば行うほど夢を明晰にすることができる。ある程度の段階に達してはじめて安定的に見ることのできる夢。

(3)光明夢 原初のプラーナ(風)から生じる夢。夢、思考、イメージから解放された状態。夢見者(ドリーマー)が自然状態の心にあってはじめて見ることのできる夢。

 

 夢ヨーガに入るにはまず集中力を高め、心を落ち着かせねばならない。この実践作業をシネー(zhi gnas)という。サンスクリットのシャマタ(shamatha)の訳で、寂止という訳語が与えられる。シネーには、強制的シネー、自然のシネー、究極のシネーの三段階がある。

 心はすぐに集中力を切らしてしまうので、はじめは強制的なシネーが必要となる。つぎの段階(自然のシネー)では任意の対象に精神を集中する。身体の要素が調和し、プラーナが体の中を平静に流れるようになったところで、対象を宙に移す。第三段階では、心はありのままの状態になる。生まれ出る思考は瞬時に溶解する。(思考をストップするわけではない)心は純粋で、不二(non-dual)の状態にある。

 

 四つの基本的な修行。

(1)人生は夢のようであることを認識する 朝起きたとき「夢の中に起きた」と考える。台所に入ると「夢の台所に入った」と認識する。そして夢のコーヒーを作り、夢のミルクをそそぐ。このようにすべては夢と考える。こうして認識を変えるだけでおなじ日常生活が劇的に変化するのだ。また同時に目の醒めている状態もまた夢であることを理解する。

(2)反応の感情をなくす あらたな状況や対象にたいし、心はそれを把握(grasping)しようとする、あるいは反感(aversion)を抱く。そういった反応には欲望、怒り、嫉妬、誇り、嘆き、喜び、不安、恐怖などが含まれる。物事に接するとき、自分、物事、物事にたいして起こる反応(感情)のすべてが夢であることを認識する。

(3)意図を強める 寝る前にその日のことを吟味し、夜の夢ヨーガの意図を強める。記憶は夢と似ている。しかしたんなるラベル貼りではなく、記憶のひとつひとつが夢であることを認識する。

(4)朝目覚めたとき、夜(夢)の記憶の容量を大きくするようにつとめる。もし夢の記憶をとどめるのがむつかしいならば、寝る前に夢を記憶するという意図を強く持つ。

 

 夢ヨーガに入る前に、九つの浄化の呼吸、そしてグル・ヨーガを実践する。詳細は省略。ボン教徒の場合、タピリツァ(Tapihritsa)やシェンラ・ウーカル(Shenla Odker)をヴィジュアライズすることが多い。仏教徒ならばグル・リンポチェ(パドマ・サンバヴァ)やイダム、ダーキニーなどかもしれない。

 

 メインの修行。

(1)中央気道に意識をそそぐ ライオンのポーズ。男は右側を、女は左側を下にして寝そべる。(男は)右手を頬の下に置く。体をリラックスさせる。のどのチャクラに四弁の赤い蓮をヴィジュアライズする。四弁の中央からチベット語のアの字が浮かび上がる。このチャクラに集中することによって夢の中にダーキニーが現れるという。ダーキニーは夢見る物をガルダや獅子に乗せ、うつくしい浄土へと導いてくれるだろう。

(2)明晰を増す 二時間ほど寝たあと、つぎの段階に移る。ふたたび(1)とおなじポーズで横になる。息を吸い込んでそれをとどめる。会陰(えいん)をつかんでとどめた息を上方へ持ち上げる(という感覚をもつ)。呼吸法についてもここでは省略。つぎに眉のあいだのチャクラにティグレ(tigle 白く輝く光る球)をヴィジュアライズする。これによって心は浄化され、夢の質が増すだろう。

(3)パワーを強める ふたたび二時間寝たあと、つぎの段階へ。よりリラックスした姿勢を取る。高い枕に頭をのせ、足は交差する。21の深呼吸。心臓のチャクラの上にフーンの文字をヴィジュアライズする。これによって内部にあるパワーを見つける。

(4)恐怖に克つ 朝まで起きる必要なし。(3)のあとやはり二時間ほどくつろいで眠る。起きるのは暁の前。性器のうしろにあるのが秘密のチャクラ。黒いチャクラである。このチャクラに入り、それそのものとなる。

 

 以上、駆け足でテンズィン・ワンギェル・リンポチェの『The Tibetan Yogas of Dream and Sleep』の夢ヨーガの部分をまとめてみた。(睡眠ヨーガの部分はカット)まとめながら自らも学んでいるので、消化しないまま文章にしているため、稚拙で用語も適切でないものが多いが、それは許していただきたい。

 またナムカイ・ノルブの『Dream Yoga and the Practice of Natural Light』という珠玉の作品が『夢の修行』というタイトルで出版されているけれど、残念ながら原本(英語)しか持っていない。永沢哲訳なのでクオリティーの高い本だろう。テンズィン・ワンギェル・リンポチェはこの作品の影響を当然ながら受けているだろう。ボン教と仏教(ニンマ派)の違いはあれ、両者ともゾクチェンをベースに置いているのだから。

 ロバート・モスが夢から学んで未来をも変えようとしているのにたいし、テンズィン・ワンギェル・リンポチェは夢をもゾクチェンの修行に取り込み、自己を向上させようとする。彼らの夢に対する考え方はおなじではないけれど、秘められた、そして知られざる夢のパワーをふたりともまだまだ引き出せると信じているのだ。


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