ミケロの旅日記 独竜江ふたたび

2011年7月10日 怒江(サルウィン川)を遡る

チベット自治区に発しミャンマーの海へ注ぐ長い川なのだ。

 六庫から怒江に沿って60キロ近く北上すると、老虎峡という両側の山が迫ってくる地域がある。老虎(ラオフー)というのは中国語で虎という意味なので、たんに虎峡と呼んでもさしつかえないだろう。ここにかかる吊り橋から怒江の川面を眺めた。こんなにも水の流れは激しく逆巻くものだろうか、と思わせるほど足下で浪は竜のごとくのたうちまわっていた。

虎峡の激流。冬は碧色の川面も雨季は茶褐色に濁る。

「怒江という名にぴったりの川ですね」とH君。

「いや怒江(ヌージャン)という名はたぶん怒族という民族の名から命名されたんだよ」と私はトリビアな知識をひけらかす。

「そんな怒ってばかりの民族がいるんですかね」とH君は苦笑した。

「彼らは自分たちのことをヌス(怒蘇)と呼んでいる。それだけのことさ。中国人は周辺民族の名前にいろんなへんな差別的な漢字を当てるからね」

 古代中国人は苦心して周辺民族に貶めた名前をつけていた。動物や虫の字を挿入するのが一般的な方法だった。江南の人々に自称モンが多いと、彼らを蛮(マン)と呼んだように。わが邪馬台国だってそうだ。さらりと馬という字を入れる。もっとも大和政権も中華のまねをして土蜘蛛や熊襲などと周辺民族を呼んだのだが。

 吊り橋の近くに石碑があり、この付近に伝わる伝説が記してあった。

<碧羅雪山(東側の山脈)に漁師の父娘が住んでいた。娘は美しくて善良だった。高黎貢山(西側の山脈)には一頭の虎がいた。虎は魔法によって虎に変身させられていた王子だった。ある日虎は川の向こうに美しい娘を見て、ひとめぼれした。しかし(当時は吊り橋もないので)川を渡るすべがなく、日に日に思いをつのらせるばかりだった。ついに虎は川を飛び越える決心をした。到底不可能と思われたが、川の中央にあった岩に飛び移り、それから向こうの河岸に着地することができた。そのさまを見た天神は感動し、魔法を解いてやると、虎は本来の王子の姿にもどった。それからふたりは幸福に暮らした。彼らがリス族虎氏族の祖先である>

 ま、ありきたりの伝説だ。この手の氏族由来伝説は本当に古いのかどうかさえわからない。シャングリラ県の名勝・虎跳峡をまねて創作した可能性さえある。とはいっても類型的でも神話・伝説というのは心を潤してくれるものにはちがいない。

山にぽっかりあいた石月亮。異次元への入り口のよう。

 福貢で昼食をとったあとしばらく行くと、巨大な山の穴が見えてきた。石月亮だ。月亮とは月のことなので、これも石月と呼んでもさしつかえないだろう。しかしなぜ石月なのだろうか。巨大な砲撃をくらって山に穴があいてしまったようにしか見えないのだが。

 15年前にはじめて石月を見たときは、落ち着いて見られる場所がなかったせいか、それほど強い印象を受けなかった。いまは観光スポットとして整備され、広い駐車スペースもある。この巨大洞窟は見れば見るほど不思議だった。いわば特異点であり、無限のパワーがあり、またここから異次元へ行くこともできそうだった。どうしてもそこへ行ってみたくなった。いつか石月の中に入ってみたいと思う。

 見晴台の前後にふたつの土産店があった。そのほとんどが水晶だった。研磨されているものはほとんどなく、苔むしていたり、土がついていたり、形がいびつだったりの天然の水晶だった。

「これってどこでとれたものなんですか」

「みんな石月亮で取ってきたもんだよ」と店の女主人。

 洞窟のなかで水晶が取れるのだという。本当だろうか。行って確かめるわけがないだろうと、高をくくってそう言っているのだろうか。ますます石月に行きたくてたまらなくなった。

 しばらく行くと鋼のワイヤーのロープ橋(中国語で溜索という)が架かっていた。いくつも架かっているのだけれど、ここは利用者が多い。15年前に写真に撮ったのとおなじロープ橋だろうか。独竜江のガイドをした貢山県旅遊局の青年がこれを見ながら「西洋人はこういうロープ、アドベンチャーっぽくて好きでしょう! 観光の目玉になるかもしれない!」とはしゃいでいたのを思い出す。

溜索(ロープ橋)で怒江を越える母子。リス族の村から来た。

もちろん利用客のほとんどが川向こうに住む村人たちであり、遊びに使う人はいない。そのとき私はワイヤーと滑車のあいだに指をはさんでしまいそうで、恐かった。いやな予感がしたので、結局、川の上のハイスピード旅行は避けることにした。

 それから10年後、インド北西部のスピティの真冬、怒江のとはタイプの違うロープ橋にチャレンジしたことがあった。犬をのせるのにちょうどいい大きさの小さな籠に自分のからだを入れて、ロープで川を渡るのである。このときはなんとロープがからまって川の中央で進めなくなってしまった。からだを折り曲げた状態でにっちもさっちもいかなくなったときの不安感といったら!

 それ以来のロープ橋だった。しかし今度は地元の人といっしょに乗る(というよりロープに引っかかる)ことになった。地元のおっさんと相乗りとはなんと風流な…とは思ったけれど、若い娘さんと相乗りなんてことになったら、それこそ集中力が切れてロープにまきこまれるような事故にあっていたかもしれない。

15年前の怒江の吊り橋。こういう光景は見られなくなった。


⇒ NEXT