失業シャーマン
ネウィット・エルギン 宮本神酒男訳
私はそのうち生から削ぎ落とされるだろう。それならば私のほうから生を削ぎ落としてはどうだろうか、私はそう考えた。
事実と空想のはざまで、見えない現実のフェンスを出入りしながら私は生きてきた。いつかこの三次元の感覚の館からの出口を私は見つけることができるだろう。
北極の薄明なら疑いを一掃するだろうと聞いたことがあった。北方の光は荒んだ、年老いた肉体にあたらしい息吹を与えるだろう。
くじらや鳥たち、その他の生き物が惹きつけられる北方へ私は旅立った。
ある午後、乗ってきた二人乗り軽飛行機が飛び立つと、エスキモーの小さな村に私はぽつんと取り残された。冬が来る前に飛行機は迎えに来てくれるはずだった。小さな村というのはしかし、病んだ老人が何人かいるだけのほとんどゴーストタウンだった。
氷山にはさまれたくじらを救出するために数人が村にいた。ほかの人たちは天上から降りてきた精霊に連れ去られたにちがいない。
老人や病人のために働いていた中年男がいた。彼は自分をシャーマンだと名乗った。
「シャーマンなら生について何か言ってくれないか」と私は言った。
「もし魚が大気を発見したなら、水を知ることになるだろう」と彼は笑いながら言った。
彼からもっといろいろなことを聞きたかったけれど、彼から聞き得たのはそれだけだった。そこには本も神像も寺院もレクチャー・ホールもなかった。
私はここに腰を落ち着けて、シンプルな日常生活を送るようになった。つまり釣り、ハーブ採集、そして年配者や病人の世話など。
喪失の王国とでもいうべき地方で、日々弱まる光の中で、私は凍てついた沈黙に耳を傾けた。夜になると、暖炉の前でシャーマンのとなりに坐った。彼は夜のあいだずっと歌っていた。私も加わり、唱和した。それは終わりのない歌だった。肉体も、また魂も、発作的なリズムで伸び縮みした。泣きたい気分だったけど、できなかった。というのも私はそれほど無垢な人間ではなかったからだ。
ある朝、目覚めると、いままで見たことがないほど彼は興奮していた。
「あいつらがやってくる!」
「誰のこと?」
「精霊さ。あんたも会えるよ」
彼の顔をのぞきながら、心の準備ができているか私は自問した。
「そうさ、準備しなよ。ハーブ茶をいれ、毛布と寝袋をバックパックに詰め込むんだ」
われわれはその日の午後出発し、丘に向かった。彼は私の前を元気よく歩いた。遅れまいと後ろをついていくのは至難の業だった。私は彼にもっとスピードを緩めるよう頼んだ。
彼は崖を指差し、暗くなる前にそこに到達しなければならないと言った。
私は恐くてそこに何があるかたずねることができなかった。登りつめたところに、氷壁にあいた小さな洞窟があった。そのなかの地面には残飯があった。あきらかに彼はしょっちゅうここに来ているのだ。彼は洞窟の隅に毛布と魔法瓶と食料箱を置いた。
「あんたはここで精霊を待てばいいんだよ」と彼はいう。
私は助けを乞うかのように彼の顔を見た。「ひとりで?」
「ひとりで。おれは町にもどるから」
私は恐かった。彼もそれを知っていた。
「あそこに何があるか理解するには、それぞれの時間が必要なのだ」と彼は上空を指しながら言った。「あんたにはあんたの時間が必要なのさ」
彼は運んだものすべてを残し、何も言わずに立ち去った。まもなく夜が天上の星々をもたらした。私は分厚い氷の沈黙のなかで、凍った小さな虫になったかのようだった。私は寝袋にもぐり込み、目をあけたまま横たわった。からだは冷え、じっと耐え忍んだ。手をのばすと、魔法瓶があった。シャーマンが選んで摘んだハーブから作ったお茶が入っていた。
二口ほどお茶を飲んだ。苦くて辛かった。私はもっと飲んだ。何匹かの腹をすかした狼たちが外で咆哮していた。私は待って待ち続けた。それから眠りに落ちた。
目が覚めると、空は暗褐色に燃えていた。私は外に出た。赤色にかぶさるように冷たい緑色があらわれた。何か厳かなことが起きようとしていた。聖なるシンフォニーのリズムで上空を北から南へ流れる尋常ならざる色があった。しのぎあう色や音に私は圧倒された。奇跡を見ていることを私は確信した。
空から目を下ろすと、自分自身が洞窟のなかで繭のなかの蚕のように寝袋にくるまって寝ているのを見た。私は時間と場所の感覚を失っていた。いまようやくシャーマンが魚について語ったことを理解した。
おそらくこの聖なる天空ショーはオーロラ・ボレアリスと呼ばれる自然現象にすぎないだろう。あるいはシャーマンからもらった幻覚ドリンクを飲んだため、幻覚を見ているのかもしれない。まあ、どっちだっていい。私が繭にくるまった者でないことはたしかだ。私は外にいて、天上にはさまざまな色や音があった。許された者だけがそれらを見たり聞いたりすることができるのだ。
翌日村に下りると、シャーマンはひとことも発しなかった。私は村人らに昨夜オーロラを見たかどうかたずねた。彼らは頭を振るばかりだった。ある老人によれば、もう何年もオーロラは出ていないということだった。そしてそのときは何人もの町の人間を天上に連れ去ったという。
「故郷にもどって人々を助けたいんだ」と私はシャーマンに言った。
「ここにいなさい。喉の渇いた人々が泉にやってくるのだ。泉が彼らのほうへ行くのではない」
「しかし私は必要とされている」
「あんたの場所じゃあシャーマンは役に立たないだろう。残念ながらね」
私は彼のいうことを聞かなかった。
故郷にもどったあと、私はシャーマンの雇い主を求めて履歴書をたくさん書き、また多くの家のドアをノックしてはシャーマンを雇わないかと聞いてまわった。よい返事はなかった。厳しいご時世になったもんだ、シャーマンが失業中だなんて。