カウンティ・フェア

ネウィット・エルギン 宮本神酒男訳

 私はカウンティ・フェア(家畜や農産物の品評会で祭りをともなう)が好きだ。埃やビール、バーベキュー、人々のにおいに満ちた空気、点滅する光、けたたましい音楽が鳴り響く夜がたまらなく好きなのだ。

 大きな白いカウボーイハットにブーツの男たち、フランネルのシャツにジーンズの女たち、つぎはぎだらけのズボンをはいてはしゃぎまわる子供たち。

 フェアがはじまるということは、夏が終わったことを意味した。名残惜しい夏の息吹にかわって、秋のひやりとした風がまぎれこんできた。

 イルミネーションで飾られた木が神々しく見えた。大きな枝の下にはゴミと騒音にあふれるブースやテントがあった。

 私はメリーゴーランドの前の草の上に何時間も坐っていた。またジェットコースターやバンパーカー、特大滑り台などを見てまわりながら、子供たちの表情に浮かんだはつらつとした喜びを共有しようとした。十代の男の子や女の子が手を取り合って歩き、立ち止まると、風船にダーツを投げた。的にうまく当たると、私自身が青やピンクの剥製の動物を得たかのような気になった。

 フェア会場の一番端に、四方に開かれた大きなテントがあった。なかには観覧席があり、観衆の後ろには夜空に半月が見えた。

 私は疲れて観覧席に腰掛け、つぎのショーを待った。

 ある夜、観覧席に腰掛けたときはいつもよりも遅くて、レイト・ショーが終わってから一時間がたっていた。サーカス・テントにはだれもいなかった。ステージを照らす照明ひとつをのぞいて、明かりはすべて消えていた。私は前列のベンチに坐り、コーヒーを飲んだ。後方ではフェアがまだ盛況だった。

 突然少年が、おそらく八歳くらいの少年が、歩み出てステージの中央に立った。少年はシャツを着ていなかったし、裸足だった。髪の毛は長く、顔は汚れていたけれど、笑うと左の頬のえくぼが際立った。

 はじめに少年は存在しない聴衆に向かってお辞儀をした。私のことは見えていなかったと思う。それから手をあげ、演奏家たちにスタートの合図を送った。元気のいいカーニバルの音楽がはじまった。それから少年は激しいリズムに乗って踊り始めた。まわったり、跪いたり、ジャンプしたりした。少年は裸足のまま、悦にひたって踊りつづけ、叫んだり、シャウトしたりした。それから動作を止めると、またお辞儀をして、ステージから走り去った。

 私は拍手喝采したあと、少年のあとを追った。サーカス・テントの後ろには移動式家屋やキャンプカーがあった。少年はそのなかに消えたのだ。

 少年は出演者の息子のひとりにちがいないと私は考えた。彼とどうしても話がしたかったが、私は疲れていたし、捜すのが容易でないこともわかっていた。

 ゆっくりとフェアのほうにもどると、人出がかなり減っていた。それでもマジック・ハウスの前に列を作っている子供たちがいたし、軽食コーナーでは人々が食べたり飲んだりしていた。

 出口のほうへ歩きはじめたとき、私はまたも少年の姿を見かけた。10メートルほど前を少年は歩いていた。少年はひとりで、私と彼のあいだに何人かの人がいた。追いつこうと私は歩を早めた。少年もまた早足になり、ついには駆け出した。私もまた駆け出したけれど、群衆のなかに姿を見失ってしまった。

 私はゲートで少年が来るのを待った。係官にも裸足の少年を見なかったかきいたが、何も知らないようだった。

 私にとって夜はまだ終わっていなかった。カーニバルを去るわけにはいかなかった。私はまた道を逆にたどり、中道のほうへ向かった。その方向へ歩いているのは私ひとりだった。乗り場やマジック・ハウスやブースを過ぎ、ふたたびからっぽのサーカス・テントにやってきた。

 私のコーヒーカップは立ち去ったときのまま観覧席にあった。ステージの照明はまだついていて、テントのなかには人影がなかった。

 おなじ場所に私は坐った。コーヒーは冷めていて、苦かった。私は奇妙な感覚にとらわれていた。彼はまわりにいて、私を追っているのだ。

 私は正しかった。少年はシャツを着ないで、裸足で、ステージに向かって走り寄ったのだ。汚い顔も甘い笑顔もおなじだった。私は立ち上がり、拍手した。

 彼は私に会釈をし、それから聴衆にむかって会釈をした。彼は演奏家のほうを向き、手を上げ、音楽をスタートさせた。彼は踊り、旋回し、手をたたき、タップダンスを見せた。

「ブラボー」と私は声をあげた。「ブラボー」

 彼は手を上げ、私に謝意を示した。彼は動作を止め、ステージの中央に立っていた。私は彼に近づいた。

「君はぼくがいままで見たなかでも最高のダンサーだ」

 少年は笑った。

「君はだれなんだね」と私はたずねた。

「ぼくは毎晩違った風に踊るんだよ」と彼は言う。

「なんていう名前だい? 両親はどこにいるの?」

 少年は笑った。「いまから特大滑り台を滑ろうとしているんだ」

 私は彼が別の次元に生きていることを理解した。私の世界とは交わらないのだ。私は彼となんとか話をしようとしたけれど、答えてくれようとしなかった。

 少年との会話はふたつに分かれていた。彼はフェアの乗り物やゲームのことばかり夢中になって話した。私は少年にたいし質問攻めばかりしていた。君はだれなの、どこから来たの、どんな家族なの、そういったことばかり。しまいに私は疲れ、いらいらしてきた。私は何か飲み物でもどう? と尋ねると、彼はほしいと答えた。私は軽食コーナーで飲み物を買った。

 もどると、少年は消えていた。あたりを走り回って捜しても無駄なことを私は知っていた。私は何もできずに、観覧席にただ坐って呆然としていた。

 自分のすぐわきに財布が落ちていた。すぐにそれがはじめての財布であることがわかった。8歳の誕生日にもらった財布だ。自分の写真がなかにあった。それは小さな8歳の少年だった。髪が長く、笑顔がかわいい、左頬にえくぼのある少年。

 私はこの少年を覚えていた。私はカウンティ・フェアでこの少年を永遠に失ってしまったことを知っていた。

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