足指を()かれ、川に流され……タイ北部で不運の連鎖(1988)  

 タイ北部のチェンマイで私は山岳地帯トレッキングツアーに参加した。このツアーのメンバーはほかにフランス人3人、英国人2人だったかと思う。この結婚間近の英国人カップルとは仲良くなり、私はのちに英国に行ったとき、サセックスの(男性の)大きな家に数日間泊めてもらっている。*クリスマスシーズンだったので、リビングルームに友人や親戚が20人ほど集まり、サークルになって坐った。正直、きれいな白人男女ばかりで圧倒されてしまった。しかも話している内容がほとんど理解できなかった! 話題がなじみのないものばかりだったので、致し方ないともいえるが、はじめて人種的コンプレックスを感じてしまった。英米のテレビドラマをよく見ていて、オーディブルで英語本の読書をし、ニューヨークタイムズを毎日聞いている現在なら、もう少しどうにかなったかもしれない。もっともオーストラリア英語のもとになったかのようなサセックス方言はいまでも聞き取りづらいかもしれないが。

 小雨季らしく、数日間小雨が降っていた。小型トラックを改造した乗り合いバスのような車に乗り込んで北方の山岳地帯に入ったところまではよかったが、山道はしだいにぬかるみ、ついには立ち往生してしまった。降りて見てみると、大きなタイヤはすっぽりと泥の中に埋まっていた。しかたなくわれわれは左右から押して、運転手がエンジンをかけた。ブルンブルンとタイヤは回転し、泥の礫(つぶて)が後ろに飛び散った。なんとなくいやな予感がした。「足を滑らせたらやばいな」と思った。もし足が巻き込まれたら……。そんな最悪の事態を想像してはいけない、その通りになってしまうから。

 その通りになってしまったのだ。「ワン、ツー、スリー!」で思いっきり体重を前にかけ、タイヤもフル回転する。そのとき車体が前に動いたため、足が後ろに滑り、タイヤに踏まれてしまったのである。痛みはなかった。無感覚になってしまった。しばらくしてから信じられないほどの痛みがやってきた。骨が折れたのだろうか。ヒビだらけになってしまったのだろうか。のちにバンコクに戻ってから近代的な病院で親指の爪をはがすことになる。看護婦は親指のまわりに麻酔の注射を何本も打ってから、ヘラのようなもので爪をペリペリとはがした。回転するタイヤに圧迫されたはずなのに、なぜ爪がはがれそうになるのか、よくわからなかった。そのような状態で私は何日も山を歩かねばならなかった。

 片足を引きずりながら山を歩くのはつらかった。もう片方の足に負担がかかりすぎて、ついにはそちらのほうに痛みが出てくるようになった。二日目の夜、メオ族(ミャオ族、モン族とも)の村に着くと、シャーマンの治療を受けた。といっても簡単な儀礼がおこなわれ、阿片らしきものを水パイプで吸わされただけである。まるで阿片戦争の頃の阿片窟で廃人になった中毒患者になったかのようだった。それでもいくぶん痛みが薄らいだような気がした。

 翌日お昼前にはカレン族の村に着いた。ある家で昼食を取ると、ガイドが「もうしばらく待っていてくれ」と意味ありげな顔で言ってきた。一時間ほどすると、地響きが近づいてきた。ズシン、ズシンという音がしだいに大きくなってきた。パオー。象だ、象がやってくるのだ。私は父親が連れていってくれた場所が遊園地であったことを知ってはしゃぐ子どものように喜んだ。ガイドが象を連れてきたのだ。

 タイやインド、ネパールなど、アジアには象に乗れる場所がたくさんある。しかし両足をダンボのような大きな耳にはさみ、頭上にまばらに生えた剛毛のあいだに両手をついて乗る機会はそう多くはないだろう。耳の裏はとても暖かかった。ときおり大きな耳たぶをバサバサとはたくと、風が起こり、気持ちがよかった。湿地帯をものともせず進んでいくさまは風格があり、たのもしかった。なんといっても、もう足先の痛みを気にかける必要がなくなったのが、ありがたかった。

 トレッキングツアーの最後を飾るのはラフティングだった。数日来の雨によって増水し、川は暴れる竜のような凄みを見せていた。数十本の竹を組み合わせた筏(いかだ)の中央よりやや前には枝を組み合わせた小さなポストが置かれ、それにパスポートや現金など貴重品の入ったビニール袋が結びつけられた。リュックサックなどもそのあたりに固定された。筏から落ちるということも当然想定されているのだろう。

 落ちそうで落ちないことこそ、スリルというものだ。風を切って川を下る筏から見た「動く風景」は新鮮だった。ときおり川がカーブする地点にさしかかると、振り落とされないように足元の竹をつかんだ。

 川が大きく曲がる箇所にやってきた。そこには中州の数メートルの高さの木の枝葉が行く手の邪魔になっていた。増水した川の深さは3メートル以上あったのではないかと思う。気がついたら体で枝葉を受け止めなければならなかった。運の悪いことに、私は筏のいちばん後ろに乗っていたので、ただひとり枝葉の圧力を受けるかたちになった。意外と太いアーム状の枝によって、こらえきれなくなった私は弾き飛ばされてしまった。

 世界が一変した。暗い琥珀色の世界である。時が止まった。仲間のかまびすしい声も川の流れる重低音も消え、静寂が支配した。私はぼんやりとして流れに身を任せていた。水面からずっと下のほうに沈んでいたのは、海水のような浮力がないからだろう。

 不幸中の幸いは蛇行していた川がしばらくまっすぐ流れていたことだ。私は筏からそれほど離れていないところを流されていた。上方の明るい琥珀色の光の中から何かが闖入(ちんにゅう)してきた。棒のようなものである。おそらくオールなのだろうが、私にはそれが何かわからなかった。つかもうとしても、なかなかつかめない。やっとつかめた。それを梃(てこ)にして、一気に浮上する。久しぶりに忘れていた呼吸を思い出したかのように大きく息を吸った。私は軽く泳いで筏の端をつかんだ。

 失うものはなかったと思ったけれど、メガネがなくなっていた。原宿のメガネ屋で買ったおしゃれな(つもりの)メガネである。今も川底に沈んでいるのだろうか。このメガネやカラコルム山脈の氷河でなくしたフリースのジャケットなど、大自然のなかでなくしたものは、いつまでも心の中に引っかかっているものだ。

 チェンマイに戻ってからメイド・イン・フランスのブルーのメガネを買った。とても気に入り、数年間愛用していた。あとで述べるように中国広州で乗っていたタクシーが中央分離帯に激突し、私は運転席と後部座席を隔てる金網に顔をぶつけてしまう。そのとき目を損傷しなかったのは、粉々になりながら顔を守ってくれたこのメガネのおかげだった。



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