(2)1997年から訪ねたかったハミ(クムル)のウイグル人シャーマン 

                     宮本神酒男 


 時は1997年に遡る。広西チワン族自治区の僻地で見舞われた謎の大ケガから四年たっていたが、なおもときおり予言めいた夢や明晰夢を見ることがあった。夢の中で私の体はバラバラにされ、釜の中でグツグツ煮られていた。そのとき神のごとき威厳ある声が私に命じた、「アルタイへ行け」と。私はアルタイへ行くことにした。

アルタイといえば(その地名を知っている人は)シベリアのアルタイをイメージするだろう。実際調べてみると、アルタイの領域は広く、シベリア(ロシア)だけでなく、カザフスタン、中国、モンゴルの四か国にまたがっていた。アルタイは金山という意味らしく、この黄金を埋蔵する地域はシャーマニズムの本拠地のひとつだった。私にとって、もっとも行きやすいのは中国領アルタイだった。そこで新疆ウイグル自治区のアルタイ山脈の南麓にある阿尓泰(アルタイ)をめざすことにした。

 ウルムチから夜行バスに乗ってジュンガル盆地の西側の外縁を回って(おそらく千キロ以上)阿尓泰市に到着すると、中国ジープをチャーターし、さらに300キロ走って森の中の絶景のハナス湖まで行った。私はここでモンゴル人シャーマンと会っている。このあたりのことは1997年の項を参照されたい。また阿尓泰ではカザフ人の歴史学准教授と(彼の自宅で)会い、彼から長時間におよぶ歴史のレクチャーを受けている。このときに一部のカザフ人の謎の「大移動」のことをはじめて聞いた。

 この時期に私はカザフ人やウイグル人のパクシと呼ばれるシャーマンについての情報を得ている。カザフ人の有名なシャーマンがいる村はアルタイからそんなに遠くはなかった。しかし残念なことに、当時、すでに亡くなっていた。せめてシャーマン儀礼に用いた道具や衣装だけでも見てみたかったが、カザフスタンとの国境にも近く、無理してこの地域に入るのは危険が伴うため、断念した。

 もうひとつがハミ(クムル)のウイグル人シャーマンだった。このときはレコン(青海省同仁県)のチベット人のハワと呼ばれるシャーマンが活躍する祭りを見るため(もう五年連続で見に来ていた)ハミに行く時間がなかった。2007年のハミ行きは、じつに十年越しで念願がかなったということだった。

 1997年、レコンに行く前に、私は省都の西寧でドゥンパ(ケサル王英雄叙事詩の語り手)のツェリン・ワンドゥとはじめて会っている。彼の存在感は圧倒的だった。彼の生涯はシベリアあたりの本場のシャーマンたちの生涯と共通点があった。シャーマンの多くは幼少期、あるいは少年期に病にかかったり、精神的危機に陥ったりしたあと、イニシエーション儀式を経て、トランスをコントロールできるようになっている。ツェリン・ワンドゥは幼少期、遊牧民の村で過ごしていたとき、匪賊に襲われ、両親や親戚が殺されている。孤児になったツェリンは巡礼をはじめ(実際は乞食の子供だったのだろう)ナムツォ湖のまわりを巡礼しているときに昏倒し、仏教寺院のラマのもとに連れていかれる。ラマがおこなった儀礼はイニシエーションであり、シャーマンになるように彼は若き吟遊叙事詩人となった。さて、遊牧民村を襲ったこの匪賊こそ移動しているカザフ族だった。当時私は気づいていなかったけれど、夢の声に導かれて訪ね歩いたさまざまなことは、みな関連性があったのである。



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