ばけ猫オパリナ あるいは九度転生した猫の物語 

ペギー・ベイコン 宮本神酒男訳 

 

第六の生(1880 モンタギューの双子(1)
 

 

 つぎの夜、目覚めたオパリナはあくびをし、手足を伸ばし、風に飛ばされてミルクウィードのさやから実が飛び出たかのようなクシャミをしました。気乗りしない様子でオパリナは顔や耳、前足、後ろ足、指の一本一本を掃除しました。それから空中に揺れるしっぽをなめました。それをながめるジェブはとてもしあわせそうでした。フィルとエレンはじぶんをおさえて待っていました。

「さあて」とオパリナはいいました。「あたしの六番目の生で起こったことを語るとしようか。エミリー・カンバーランドがおとなになり、荒れ野原村から15キロ離れたところに養鶏農場をもっているオースティン・モンタギューと結婚したときの話からはじめましょう」

 

 エミリーが農場に住むようになってから、この屋敷は死んだようになってしまいました。カンバーランド夫妻といっしょに閉じ込められて生活するのは退屈そのものでした。でもかれらの孫たちがやってくるようになって雰囲気はだいぶよくなりました。

 あたしは家族がふざけあうのを眺める見えない聴衆のひとりでした。4番目の生のときをのぞくともっとも静かな時期でした。年老いたベンジャミン・ペイズリーと過ごした4番目の生は純然たる退屈な日々でしたが、6番目の生はけっこう楽しめたのです。だれもあたしの存在を知らなかったとしても。

 

「でもオパリナ」とフィルがあいだに入りました。「エミリーはどうなったの?」

「エミリーは子どもたちにあなたのことを話さなかったの?」とエレンはたずねました。

「話しませんでした。エミリーはあたしのことを忘れたのです。おとなになった人間は、子ども時代のことの半分を忘れてしまいます。すばらしいことが起こっても、かれらはそれが夢だったと思うのです。こんなんだからかれらはじぶんの子どもたちのことを理解できないのですけど」

 

 エミリーはすばらしい主婦になりましたが、母親としてはだらしないほうでした。養育係を兼ねた女家庭教師に育てられたせいか、あるいはじぶんの両親といっしょにすごした時間が少なかったせいか、じぶんはちがった仕方で子どもを育てようと決めたのです。できるだけ子どもたちには楽しく、自由に感じられるように育てたのです。モンタギュー家の子どもたちには厳しい規則がありませんでした。もうひとつの極端に走ってしまったのです。そのため子どもたちは自由奔放に育ちました。

 上の姉、兄であるアリスとネッドに関してはすべてがうまくいきました。かれらはやりたい放題に育ちましたが、堅実な性格の持ち主だったのでよかったのです。しかし双子のパトリックとペリーはちがいました。かれらは徒党を組んで、いたずらばかりしていたのです。かれらが生まれたときから、この家は活気があふれるようになりました。あたしもこの双子の近くにいるだけでうれしかったのです。しかし年老いた頑固者のカンバーランド夫妻はそんなふうに感じなかったようです。

 カンバーランド夫妻は娘の子育て法を認めませんでした。子どもたちには規律も、マナーもなく、かれらをきちんと育てる女家庭教師も乳母もいなかったのです。罪を犯してもかれらは罰を受けることがなく、叱責されることもありませんでした。

「かわいい子には旅をさせよというではないか」とカンバーランド氏は表情をくもらせながらいいました。

「あの子のやりかたは理解できないわ」妻はつぶやきました。「わたしたちは注意深くあの子を育てたというのに」

 カンバーランド夫妻は、孫たちが農場のある家のほうに住んでいることには満足していました。しかしエミリーにはあえてそのことをいいませんでした。彼女はきっぱりとした性格の持ち主で、両親はじぶんたちの娘を恐れてさえいました。

 エミリーは両親の態度を気にとめませんでした。父の家は大きく、寝室がたくさんあり、召使もたくさん働いていました。両親はけっして助けようとはしませんでした。かれらは喜んで孫たちを受け入れるにちがいありません。喜んで娘を助けるにちがいありません。しかし娘にたいしてそれほど気をつかうほうではありませんでした。ある一定の期間、かれらは家族の絆を感じました。

 アリスやネッドがときおり訪問することには両親が反対しないことは知っていましたが、もっと手軽な方法は双子とかれらがもたらす騒動からエミリー自身が抜け出すことでした。しばしば彼女は運転手を雇い、トランクといっしょに双子をワゴンに乗せ、カンバーランド家に送り、一週間過ごさせたのです。

 当時は電話がなかったので、かれらが到着するとみなおどろきました。玄関ホールが振動で音がすると、カンバーランド夫人は顔を真っ赤にしました。彼女はまっすぐにすわりなおし、落ち着かない様子で、プディングのように小刻みにふるえだしました。

 カンバーランド氏は立ち上がり、二重あごのあごをぐっとひき、時計のくさりを鳴らし、眉をあげ、くちびるを結びました。

 男の子たちは奇声を発しながら客間に闖入すると 、アメフトの選手のようにこの不愛想な老夫婦にタックルし、頭を押し込み、思い切りだきしめました。双子は心の底から興奮してやったのです。祖父母はこの双子の両方とも愛せずにはいられませんでした。

 かれらはおとなの顔を考察したことがなく、いわれたことをきちんと理解したこともなかったので、おとなのひきつった表情を見ることも、叱責を耳にすることもありませんでした。そしてつかまえられて尻をたたかれるほど長くとどまることもありませんでした。かれらはバッファローの群れのように家の中をのっしのっしと歩きまわりました。しかしだれかがかれらをつかまえようとすると、トンボのようにひらりと逃げていきました。このように急襲されたカンバーランド夫妻はおじけづいてしまいました。

 ある夏、双子の十度目の誕生パーティのあと、オースティンとエミリーは「もうたくさんだ」と思いました。パーティにやってきた子どもたちから、双子はたくさんの楽器の贈り物をもらいました。それはドラム、シンバル、ホイッスル(呼子)、タンバリン、フルート、トランペットなどでした。かれらはこれらの楽器の練習を朝から晩までおこなったので、農場は休まるときがなく、メンドリたちも卵を産むのをやめてしまいました。それゆえ双子は祖父母のもとに送られ、贈り物も各自1個に限定されてしまいました。かれらはおなじようなものを選びました。かれらは銀のホイッスル(呼子)を選び、もってきました。このホイッスルは、ホイップアーウィル・ヨタカのすっきりとして冷たい感じの3つの音調の声を正確にまねすることができました。

 かれらが来た日は雨模様で、外に出ることができませんでした。それはもっともアンラッキーなことと考えられていました。かれらは客間でぶらぶらしていましたが、大理石のマントルピースから小さなイスに飛び乗ったとき、イスを壊してしまいました。パトリックのあとを追い回していたペリーは飾り棚にぶつかり、骨董の装飾品がいくつか壊れてしまいました。双子は平謝りしましたが、残念でしかたなかったのはもちろんカンバーランド夫妻でした。

 昼食のときパトリックはミルクをこぼし、ペリーはソース入れをひっくり返してしまいました。意図的にやったわけではありません。かれらはモップで掃除するはめになった執事や従僕に謝罪しなければなりませんでした。モップがけがまたカンバーランド氏にたいして攻撃しているようでしたので、かれらは申し訳なく感じました。

 午後のあいだじゅう、かれらはかくれんぼうをして遊びましたが、そのときずっとホイッスルを鳴らしました。「それ」である者が「準備していようがいないだろうが、来て!」と叫んだとき、家の中の別の場所にいる双子の片割れが鋭く、長い声で「ホイップ、プアー、ウィル」と叫びます。そして最初の位置からできるだけ遠くの隠れ場所に向けて奪取するのです。ホイッスルの音とともに競って階段を駆け上がったり、駆け下りたりし、扉をバタンバタンと鳴らし、捕まったとき叫び声をあげるのです。こんなやかましいゲームもありません。

「こんなバカ騒ぎはただちにやめなさい!」スピードをゆるめたパトリックに手を伸ばしながら、カンバーランド氏は雷を落としました。しかしパトリックは小魚のように指のあいだをするりと抜け、全速力で駆けて、消えていきました。

 夕食前のお風呂と着替えの時間がやってきました。このことは双子もよく知っていました。かれらは首を洗うのを忘れ、髪もとかしてなかったのですが、きれいになって食堂にあらわれました。スープとカスタードをすこしだけこぼしはしましたが、食事がとてもおいしかったので、四六時中ペチャクチャしゃべりながら、たらふく食べました。テーブルクロスとひざかけの上が食べ物のクズできたなかったので、また口の中でスプーンを曲げるなどふるまいがよくなかったので、祖父はかれらをしかりつけました。またかれらがイスの脚を蹴り、火のついたロウソクの熱いロウをつまむのを見た祖母はぶつぶつ不平をこぼしました。

 夕食のあとすぐ、カンバーランド氏はかれらが聞く耳をもたないことに怒り、ぞんざいにかれらをベッドに送りました。でも子どもたちはなんとも思いませんでした。かれらはおしゃべりをやめることがなかったからです。もし聞く耳をもっていたとしても、恥ずかしく思うことはなかったでしょう。

 ともかく夜は更け、朝から晩まで活動していたので、かれらは疲れはてていました。床に服を脱ぎ落すと、かれらはベッドに飛び込み、子犬みたいにあっというまに寝息を立てていました。

 カンバーランド夫妻も大騒ぎにすっかり疲れ切り、いつもより早く居間から退出し、大きな階段をはうようにのぼって寝室にもどると、負けでもしたかのように感じながらベッドに沈み込みました。

 翌朝はうららかに晴れました。双子は外に出てぶらぶらと田舎を探索しました。カンバーランド夫妻はそのあいだリラックスしてすごすことができました。しかし夕方七時になっても双子は家に戻ってきませんでした。庭師が命じられてふたりを探しに出たのですが、どこにも姿がみえませんでした。

 このような夕食時間の軽視には、カンバーランド夫妻も我慢がなりませんでした。サラダの時間に双子がホイッスルを鳴らすにいたっては、ついに祖父の堪忍袋の緒が切れてしまったのです。もしふたたび食事時に間に合わないなら、罰として鞭を打つとおどしたのです。

 双子は祖父がいっていることをきいて驚きました。食事に遅れたことのなにが悪いというのか? 家では、もし食事に遅れても、出されたものを食べているかぎりなにも問題はありませんでした。それに祖父はほんとうにお尻をぶつのでしょうか? しかし表情を見るかぎり、ほんとうにやってしまいそうでした。

 パトリックとペリーはとまどいを禁じえませんでした。カンバーランド氏の怒りには衝撃を受け、恐怖を感じました。つぎの日のかれらの奇妙なふるまいはこのことから説明できました。

 

 とても輝かしい朝でした。動物の王国全体に歓喜をあふれさせるのに十分なほどきらめいていたのです。しかし双子はいままでになく寡黙でした。朝食のとき、いつもの陽気さはなく、話をすることも、目を皿から上げることもありませんでした。

 カンバーランド夫妻は双子がおとなしくしているのを見て満足でした。双子がぐずぐずしていてもあまり気にしませんでした。朝食が終わると祖母は、コックがピクニックのための食事をつくっているところだと、高らかにいいました。

「行儀がよくなったごほうびとして、あなたたちはピクニックに行けるのです」とにこやかに笑いながら甘い声でいいました。

 祖父は子どもたちにあまり遠くまで行かないようにと注意し、六時までにはもどるよう命じました。

「だけどどうやって時間を知るのですか」パトリックは不安そうにたずねました。

「時計をもっていないのです、おじいさま」ペリーがいいました。

「教会の時計の音をよく聞くんだ。一時間ごとに時を打つ音が聞こえ、15分ごとに鐘が鳴るからね」祖父はこたえました。

 双子は元気になり、キッチンまで走っていくとコックからランチを奪い、家を飛び出しました。

 当時、このあたりの森は大木がつらなる原生林で、何キロも広がっていて、木々がもつれあうような茂み、花崗岩の崖や峡谷、山あいの流れへとつづいていました。そのなかを通る道はなく、古いインディアンの小道だけが残っていました。しかし道には草がぼうぼうと生え、人がたどっていったつもりでもすぐになくなってしまうのです。以前も、双子が森の中を歩いていくと、この有名なインディアンの小道に出くわし、しばらくその道を歩いたことがありました。今回は、この小道を徹底的に探索しようとかれらは考えたのです。

 小道を見失うのは簡単でした。それをまた見つけるのが困難だったのです。しかし双子は耐えて、うっそうと茂る木々のあいだを流れるわかりにくい水路をたどり、シダのなかを歩き、岩山をまわり、積み重なった落ち葉のなかを進み、転びそうになりながら小川を渡りました。

 太陽が高く昇ったとき、かれらは流れのほとりで止まり、ランチのはいったかばんをあけました。ランチはコックが丹精を込めて作ったものでした。双子は下僕たちのなかでとても人気が高かったのです。それはかれらの性格がよく、貴族面(づら)しなかったことが評価されたからです。ランチの中身はハム・サンドウィッチ、ピクルス、りんご、ケーキ、チェリー・パイ、ジンジャーエイル入りのボトルでした。

 食べ終わるとかれらは流れの中をさかのぼり、ビーバーのダムを発見しました。かれらはビーバーにおどろきのプレゼントをあげようと枝木を加えました。そしてオタマジャクシを捕まえ、それらを水に放ちました。祖父母のところをはなれ、野生の束縛されない自由世界に逃げることができて、かれらはうれしくてなりませんでした。

 最終的にかれらは山道にもどり、まるでふたりの勇敢なインディアンであるかのように、できるだけしずかに進んでいきました。これに関して言えば、かれらは成功をおさめることができました。家の中やカンバーランド夫妻のもとのだれも、やろうとすればパトリックとペリーが静かにできることを知りませんでした。枝がたわむ音や小石が動く音がかすかに聞こえました。かれらは小さなものに囲まれていることを認識しました。リスや鳥、シマリスが動くと枝がさらさらと鳴りました。ウズラとキジはやぶのなかではばたきをしていました。コットンテイル(ウサギ)やウッドチャック(リス)、そして森の空き地に棲息する鹿の群れをつかまえました。

 たくさんの姿を隠した生き物が近くにいるのは、とてもエキサイティングなことでした。窪地の中のキツネ、木の洞(うろ)のなかのフクロウ、そしてスカンクやイタチ、割れ目にトグロを巻く蛇、ゴツゴツした岩だらけの丘の上のほうにまちがいなくいるヤマネコや熊などがいるのです。しかし双子からは見えない、まったく知らない異なる種類の動物もいました。かれらはどんな動物よりも恥ずかしがり屋で野性的でした。それはベイツィ・ディグスという名の年老いた隠者でした。彼はだれにも知られず森の中に住んでいたのです。山道にそって押し進んでいけばいくほど、すこしずつ、双子はベイツィ・ディクスの生活範囲に近づいていたのです。

 ベイツィはよく知られていますが、そのときはまだそれほど知られていませんでした。村で彼を見かけることもありましたが、しょっちゅうというほどでもなかったのです。人々は彼のことを「風変わりなやつ」と見ていました。これは彼が頭のいい人間とは人々が考えていなかったことを意味します。しかしじっさい彼は頭がよくて、大自然のなかで、ひとりきりで、機智をもって生きていました。狩猟をしたり、食べ物をあさったり、罠を仕掛けてウサギをつかまえ、野生のフクロウを縄でとらえ、川や湖で魚を釣ったりしていたのです。たしかに彼は読み書きができませんでしたが、探検家ダニエル・ブーンのように手先の器用な森の男だったのです。

 人々はまたベイツィのことを「素行の悪いやつ」とも呼んでいました。それはだれも見ていなかったら、ものをとってしまう男という意味です。ものといっても、それはわずかな量で、高価なものではないのですが。卵を抱いているメンドリの下から卵を抜き取り、自分の麻袋に入れるといったことです。だれかの庭からニンジンやトウモロコシをとったり、乳製品を作っている小屋の窓からチーズをかすめとったりしました。

 めったにないことですが、ベイツィがいくらかの硬貨をもって店に現れることがありました。まっとうな手段で得たお金でないことはだれもが知っていました。彼は生涯において一銭たりとも稼いだことがなかったのです。彼はロウソクやマッチ、噛みタバコを買い、パン屋で多少のパンを手に入れました。パン屋から出てくるときに、彼は払った金額分のひとかたまりのパンのほか、カウンターからくすねたロールパン二つを持っていました。森に戻ったとき、彼のバッグには食料雑貨店の樽からとったインゲン豆や肉屋の塩漬けの豚肉、釣り針、より糸、金物屋からひったくった釘などがはいっていました。でも彼がつかまったことはありませんでした。曲芸師のようにすばやかったのです。商人たちは彼のすばしっこさに驚きました。しかし彼が盗んだものは重要なものではなかったので、だれもそれほど気にしませんでした。こうしてこの野蛮な男はだれにもじゃまされずに、手なずけられていない無法者の野獣たちといっしょに暮らすことが許されたのです。

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