『英国できごと史』に描かれる驚異的なできごと 

ゾンビか吸血鬼か 

 

 遺体が墓場から勇んで出ていき、さ迷い歩いて、生きている人々に恐怖を与え、あるいは人々を破滅させ、ふたたび自ら開いた墓石の中に戻っていく、なんていう話はほとんど信じがたいかもしれない。しかしめったにないとはいえ、それはわれわれの時代に起きているのであり、証言者もたくさんいて、十分事実として確立されようとしている。

 いま現在、吸血鬼(ヴァンパイア)を知らない人はほとんどいないだろうし、同時にその存在を信じている人もほとんどいないだろう。もしかするとドラキュラによって吸血鬼伝説ができたと考えている人も多いかもしれない。しかしドラキュラが有名になったのは、ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』(1897)が大ヒットし、何度も映画化され、類似の小説や映画、漫画などがたくさん生まれたからにほかならない。

 そうやって考えると、12世紀に書かれたこのニューバーグのウィリアムの文の存在そのものが奇跡のように思える。八百年も時代を先行していたということになる。いや、先行していたというより究極のネタ元なのである。

上述の一節が書かれている章の2つ前の章には、バッキンガム郡で起きた「死者よみがえり」の話が出てくる。これなど元祖ウォーキングデッドといえなくもない。作者ははじめ友人から、のちに当事者のひとりである大執事(archdeacon)のスティーブンから直接証言を得ている。

 ある男が死んだ。昇天祭の前日、慣習にしたがって残された妻が血縁者として墓に遺体を埋葬した。しかしその夜、妻が休んでいるベッドに夫が現われ、彼女の肝を冷やしただけでなく、全体重をかけてのしかかり、ほとんど彼女の体をつぶさんばかりだった。

 つぎの日の夜も同様に妻を驚かせ、のしかかってきた。そこで三日目は、友人をたくさん呼んでベッドのまわりで見張ってもらった。それでも亡き夫はやってきた。見張りの友人たちにどなられ、悪さをすることのできなくなった彼は、すごすごと立ち去った。

 しかし妻に追いやられた夫は、おなじ通りに住む自分の兄弟たちの前に現れた。しかし妻の対処法を聞いていた兄弟たちは、おなじように友人をベッドのまわりに集めて、死者に何もさせないように準備を整えた。

 実際、死者が現れると、兄弟たちは突然睡魔に襲われたが、友人たちが死者を近づけないように奮闘した。すると今度は、死者は家の外と内の動物たちのなかにパニックを起こさせ、大きな騒ぎになった。

 よみかえった死者の体が故人の肉体であったことはまちがいないが、性格は生前とまったく異なっている。これは映画やドラマのゾンビとそっくりである。ゾンビ自体はアフリカ原産のハイチなどの宗教、ブードゥー教の枠内で語られる伝説的存在である。伝説的ではあるが、かつてハイチでは、ゾンビが奴隷のように労務者として実際にこき使われていたという。われわれがイメージするゾンビとはかなり異なっている。むしろ中世の英国のよみがえりのほうがゾンビに近かったのである。

 死者(亡き夫)は日中にもそのおぞましい姿を現し、さまよい歩くようになった。彼はすべての人に見えるのではなく、わずかな者のみに姿を見せた。たくさんの人がいる場所に現れたときも、彼が見えるのはひとりかふたりだった。

 結局、教会にアドバイスを求めるべきだという意見が出て、上述の大執事(
archdeacon)に懇願することになった。大執事はすぐにリンカン主教に手紙を書いて事情を説明した。主教は当時ロンドンに居住していたので、手紙はロンドンに送られた。主教は起きていることに驚き、周囲に意見を求めた。そのなかで人々に安寧をもたらすには、この苦悶の人の遺体を掘りだし、焼却するしかないという意見があった。

 しかしこのようなことを尊敬すべき主教が自らおこなうべきではないと考えられたので、主教が書いた赦しの手紙を大執事に渡し、遺体がどのような状態であるか調査させた。そして大執事は墓をあけ、遺体の胸の上に赦しの手紙を置いて、また閉じるよう命じた。

 実際墓をあけると、遺体はそこにあった。そして命令されたとおり、赦しの勅許状を胸の上に置き、また閉じた。それ以来彼(死者)はふたたび起きることはなく、だれをも脅かしたり、迷惑をかけたりすることはなかった。

 付け加えておくと、このよみがえった死者は昼間も出歩くことができたので、その意味でも吸血鬼よりもゾンビに近い。なおだれかの案として、遺体を掘りだし焼却するというのがあったが、これはテレビドラマ「スーパーナチュラル」を思い起こさせる。ウィンチェスター兄弟は悪霊や悪魔のもととなる遺体のありか(普通は墓地)をつきとめると、それを掘り起こしては焼くのがつねである。ドラマとはいえ、西欧人の悪霊退治の一般通念がこういうところに現れているのだ。

 

 似たケースをニューバーグのウィリアムは報告している。それはイングランド北部、といってもスコットランド王管轄下の、トゥイード川河口の都市、ベリックで起きた事件である。

 高貴な町ベリックに、ある裕福だが大悪党とみなされた男がいた。男は死んで埋葬されたが、夜になると(サタンの力によって)墓から勇んで出ていき、吠え立てる犬の一群に追い立てられながら彷徨し、近隣に多大な恐怖をあたえ、夜明け前までにまた墓に戻った。こうしたことが数日つづいたので、日が沈んだあとはこのモンスターと出くわしたくなかったので、だれも家から外に出なくなった。

 中流や上流の人々はみな方策を探し求めた。ある賢明な人は、伝染病によって汚染した遺体から発した空気によって、感染したり腐敗したりすると考えた。そこで彼らは勇敢な10人の若者を集めた。彼らは墓を掘っておぞましい遺体を取り出し、それの四肢を切り離し、小さくしてから炎に捧げた。これを終えたあと、このような騒ぎは二度と起きなかった。

 話のパターンとしては上述のケースとほとんど変わらないが、このゾンビのような男は日光に弱いようである。その意味ではヴァンパイアに近いといえる。この話ではより具体的に伝染病、具体的にはペストの存在が感じられる。黒死病が流行したとき、まだ死んでいない重症患者を土に生き埋めにしたため、自力で脱出した患者がさまよったという事例が続発し、そこからヴァンパイア伝説が生まれたのだという。ただし、黒死病によって人口が半減したのは14世紀のことであり、この歴史書が書かれた二百年後のことなのである。


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