『英国できごと史』に描かれる驚異的なできごと 

元祖吸血鬼 

 

 ニューバーグのウィリアムは墓場からのよみがえりをモティーフにした、より具体的な、いくつかのやや長い話を収録している。『ドラキュラ』を書いたブラム・ストーカーがこのあたりから発想を得ているのは間違いないだろう。

 数年前、ある著名な貴婦人の(邸宅の礼拝堂専属)牧師が運命を受け入れてこの世を去った。その遺体はメルロース(おそらくイングランドとの境界に近いスコットランドの町)の高貴な修道院の墓に入れられた。この男は彼自身が属する聖なる秩序に敬意を払わず、もっぱら世俗的なことにいそしんでいた。聖蹟の聖職者としての名声をとくに汚していたのは、狩猟という空虚なことにはまっていたためで、それゆえフンデプレスト、すなわち犬の牧師などというありがたくないあだ名で呼ばれていた。生前はこうしてその気晴らしぶりが人に笑われ、世俗の目にも蔑まれていた。死後、その罪深い行為の数々が白日の下にさらされたのだった。

 夜になると元牧師の死骸は墓場から逃げ出そうとした。修道院内の聖職者仲間たちの称賛に値する抵抗によって、彼がだれかを傷つけたり脅したりしないように封じ込めようとした。しかしそれを振り切って、彼は壁を越えて彷徨し、とりわけ、以前の女主人の寝室のまわりをうなったり、つぶやいたりしながら歩き回った。

 こういうことがあってから彼女は極度に怖がるようになり、修道院の経営に関することでやってきていた修道士のひとりに恐怖と危険性を打ち明けた。涙を流しながら、彼女の苦悶を解消するように、普段以上の熱心な祈祷を主に捧げるよう嘆願した。修道士の目にも、彼女は最善を尽くすに値する貴婦人に思われた。彼女は普段から聖なる修道院にたびたび寄付をしていた。それゆえ修道士は心の底から彼女に同情し、神の恵みをもってすみやかに解決することを約束した。

 修道院に戻るときには、彼はほかの決然たる精神を持った修道士仲間と、二人の力強い若者を連れていた。彼らとともにみじめな聖職者が埋葬されている墓地を一晩中監視しようと考えたのである。武器を持った4人は精神を奮い立たせ、互いに安全をたしかめながら、夜を過ごすことにした。

 しかし真夜中になってもモンスターは現れなかった。4人のうち3人は夜が冷えてきたため、暖を取るためにもっとも近い家のほうへ行った。墓地にひとりだけ取り残されたのを知った悪魔(死体)は、いまこそ人間の勇気をくじくチャンスだと考えて奮い立って棺から出てきた。

 少し離れたところから見ていた若者は、恐怖のあまりすくんでしまった。なぜならいまたったひとりだからだ。しかしすぐに勇気を取り戻した。近くに隠れる場所もないので、彼は開き直り、勇気を出して魔物の攻撃に立ち向かうことにした。

 魔物がすさまじい音をたてながら襲いかかってきたが、彼は斧を一振りし、撃退した。斧の刃は魔物の身体に深くグサリと刺さった。傷を負った魔物は大きな唸り声をあげながら、くるりと回り、一目散に駆けだした。称賛に値する若者はいまや後ろからモンスターを急き立て、墓に入るよう望んだ。すると墓がひとりでに開き、追っ手の若者の少し前で魔物が飛び込むと、それはまた閉じてしまった。

 その間、夜の寒さに耐えきれず火のあるところに避難していた3人は、遅まきながら走って戻り、若者といっしょに墓を掘り起こした。墓の中央に横たわっていた呪われた死体を取り出したときには、夜が明けようとしていた。

 彼らが死体から土を落とすと、そこに大きな傷があるのを発見した。そしてそこから大量の血が流れ、血だまりとなっていた。彼らは修道院の壁の外に死体を運び出すと、それを灰になるまで燃やした。灰は空中に撒かれると、風に乗ってどこかへ飛んでいった。

 元祖吸血鬼(ヴァンパイア)と言いたいところだが、依然として吸血行為そのものは確認できない。ただし斧で切られて大量出血していることから考えると、新鮮な血は必要だったのではないかと思える。まだ「ゾンビ・レベル」だが、吸血鬼になるまであと一歩といったところである。

 ニューバーグのウィリアムはもうひとつ、より物語色の強い、エイナンティス城で起きた話を収録している。作者はこの地域に住む直接見聞した尊くて権威のある老修道士から話を聞くことができた。

 悪行を重ね、敵や法を怖がってヨーク州から逃げている男がエイナンティス卿の領地にやってきて、居を構え、性格を入れ替えて奉公につとめるようになった。賢明に働いたがそれは悪の性分を正すというより、むしろ増大させていた。

彼は妻をめとったが、それは破滅への第一歩だった。彼女に関する悪い噂を耳にした彼は、嫉妬のあまり身を焦がしそうになった。噂が本当かどうかたしかめようと、何日か旅に出るふりをした。

 その夜、ひそかに帰ってきた彼は小間使いに導かれて自分の寝室に戻り、梁(はり)の上に隠れて妻の部屋を覗き見た。新婚のベッドでよからぬ行為がないかどうかたしかめたかったのだ。その目に映ったのは、近隣の若い男と行為に及んでいる妻の姿だった。憤慨のあまり彼はバランスを崩してベッドのすぐ近くに落下し、身体を地面にしたたか打ちつけた。

 間男はびっくりして跳ね起き、取るものもとりあえず逃げていった。一方、妻はことを取り繕うように、地べたに落ちた夫が起き上がるのをやさしく手伝った。ぼんやりとした意識がかえってくると、彼は妻の不貞行為を激しくなじり、罰をあたえてやるとすごんでみせた。しかし妻阿は落ち着き払って言った。

「旦那さま、まずあなたからご説明してくださいませ。あなたは無作法なことをおっしゃっていますが、それをあなたのせいにすることはできません。あなたが患っている病気のせいなのです」

 落下によって体を打ち付け、体全体が麻痺していた彼は、たやすく病気の餌食になってしまった。前述のこの話を私に語った老修道士は、聖職者としての義務を遂行するためにこの男を訪ねたのだった。罪を告白し、キリストの聖体を正しい形で拝領するようにと彼は男にすすめた。しかし彼の頭は、彼にふりかかったことと妻が語ったことでいっぱいだった。

 翌日まで修道士のアドバイスは耳に入らなかった。翌日は、彼のこの世の見納めの日だった。翌日の夜、キリストのやさしさに抱かれて、不運に身を捧げ、彼は死の深い眠りについたのである。

 それには値しないが、彼はキリスト教式に埋葬された。しかしそれは彼に恩恵をもたらさなかった。サタンのはからいによって、夜になると墓から出てきて、恐ろしく吠え立てる犬の一群に追われながら、庭を抜け、家々のまわりをさまよい歩いたのである。

 日没から夜明けまで、人々は戸締りをきちんとし、どんな用事があろうとも外出は控えた。もしこの彷徨するバケモノに出会ったら、青あざができるほど殴られてしまうからである。しかしこのような注意は無駄だった。この悪臭を放つ死体によって汚染された空気が広がったのだ。感染したバケモノの息によって、すべての家が病気と死に満たされることになったのである。

 ほんの少し前までにぎわっていた町は、いまや死滅してしまっていた。町の破滅から逃げることのできた住人は国のほかの地方に移住した。

 私が話を聞いた修道士は、彼の教区が荒廃したことを嘆き悲しみながらも、棕櫚の主日(パーム・サンデー)と呼ばれる聖なる日に、賢明で信心深い人々を招集して会議を開いた。しかし健康上のアドバイスを与えようにも、大きなジレンマに陥ってしまった。生き残ったみじめな状態の人々を慰め、精神を活性化しようにも、力を発揮することはできなかった。

 住人に説教を述べ、聖なる日の荘厳な儀式をおこなったあと、彼は聖職者のゲストをほかの名誉ある人々とともにテーブルに呼んだ。宴を開いているとき、疫病で父親を失った若い二人兄弟が互いを勇気づけながら言った。

「このバケモノはすでに私の父を殺しています。一歩足を踏み出して、ここで押しとどめなければ、じきに私たちも葬り去られてしまうでしょう。もう大胆な行動をとるしかないのです。そうすれば安全を確保することができ、父の死の復讐を遂げることができるでしょう。私たちの邪魔をするものはいません。牧師の家では宴がたけなわです。そして町全体は死滅したかのようにひっそりとしています。このあいだに害虫を掘りだして、燃やしてしまいましょう」

 彼らは切れ味がそれほど鋭くない鋤をひっつかむと、墓場に駆けつけ、地面を掘り始めた。相当深く掘らなければいけないなと考えていると、突然目の前の盛り土がなくなり、むきだしの遺体が横たわっていた。それはパンパンになるほど太っていた。そして顔もはれ上がり、大量の血の海のなかに沈んでいた。顔を包んでいたタオルは千々に引き裂かれていた。

 しかし若い男たちは怒りに駆られ、恐れることなく、感覚を失っている死骸の上に傷を与えようとした。しかしそこからとめどなく血が流れてきた。多くの人の血を吸った蛭(ひる)が貼りついているかのようだった。

 それから彼らは死体を引きずって村の外にまで出し、急いで火葬用の焚き木を積み上げた。このとき若者のひとりは、感染した死骸は、心臓が取り出されるまでは焼いてはいけないと主張した。ほかの若者は死骸の脇腹を刃がなまくらな鋤で何度もたたき、手を突っ込んで呪われた心臓を取り出した。心臓はズタズタに引き裂かれ、死骸そのものは炎のなかに投げ込まれた。

 そしてゲストたちに向かって、いま起こっていることが説明され、勝利が宣言された。ゲストたちはそのまま証言者となった。地獄の番犬が滅ぼされたとき、人々のあいだにはびこっていた伝染病もまた消えてなくなった。それはおぞましい死骸の汚れた動きによって腐敗した空気が、火によって浄化されたかのようだった。

 ドラキュラやその他の吸血鬼とはあまり似ていないが、どうやら人間の血を吸いすぎてブクブクに太ってしまっているようだ。こういったヴァンパイア伝説(ヴァンパイアはルーマニア語で竜の子を意味するらしい)にヒントを得て、実在するヴラド公の伝承をあわせて作り出されたのがドラキュラなのである。死体が夜な夜な墓地から出て、人里をうろつきまわり、襲って血を吸う、という面ではわれわれがイメージする吸血鬼とおなじだが、元ネタだとするとそれは当然のことである。

 このゾンビのような死骸は伝染病、とくにコレラと同一視されている。中世ヨーロッパでは、病死した遺体を埋葬するだけでは安心できない、掘り起こしてでも焼却せよ、という考え方があったのだろう。生きているうちに埋められた瀕死の病人は、里に戻ってきてコレラ菌をまき散らしたかもしれない。

 それにしても死骸を焼却する前に心臓を取りだすのはどういう意味なのだろうか。一種の黒魔術なのかもしれないが、感染病の死者の死亡確認が取れてからでないと焼くべきではないと信じていたのかもしれない。


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