他性空の変遷

サイラス・スターンズ著 編訳 宮本神酒男

 

 のちに他性空(シェントンgzhan stong)として知られるようになるチベットの初期の哲学的見解を提唱していたのはだれなのか、じつはほとんど知られていない。レー・ギャルツェン(Lhey Gyaltsen)によれば、14世紀以前、多くの真剣な瞑想家が、了義の教えを部分的に理解することができたが、さまざまな経典、論書、秘教的な口伝のなかに見出される了義の教えを完全に理解できたのはドルポパが最初だった。彼はまたそれを哲学体系にまで高めたのだった。

 ターラナータは、中観他性空の口伝の系譜とチョナン派におけるカーラチャクラの伝承を調べた。

中観他性空は、第三転法輪の経典や釈論に源を発する。つまりマイトレーヤやインドの兄弟アサンガとヴァスバンドゥにまで遡るということである。もうひとつの口伝の系譜では、ナーガールジュナを祖としている。このターラナータの論考は、大乗仏教の経典や釈論から他性空の教義が生まれたとみなしている。

 ターラナータによると、チョナン派が得意とし、伝承してきたカーラチャクラの系譜は、タントラ、とくにカーラチャクラ・タントラやその釈論そのものに源を求めることができる。ドルポパ以前の各系統の始祖の教えは、つぎのように示すことができる。

 

1 ドルポパ以前の他性空

 大乗仏教をもとにした他性空の系譜の師のひとりとして、ターラナータはディメー・シェラブ(Drimey Sherab)すなわちツェン・カウォチェ(Tsen Khawoche 1021-?)を挙げる。カウォチェはウッタラタントラ口承の第一人者である。

 チョナン・クンガ・ドルチョク(Jonang Kunga Drolchok 1507-1566)は、さまざまな系統から集めた百の教えのアンソロジーのなかで、このカウォチェのことばをいくつか集録しているが、チベットで他性空を扱ったもっとも古い例だろう。

 彼が記載した抜粋は歴史における他性空の位置をあきらかにするものである。

 

<他性空の教義に関してツェン・カウォチェは言った。「カシミールのパンディタ、サニャジャナは意味のあることばを述べている。「三度、勝利が法輪を回転した。初転は四諦を宣した。第二転は非了義を宣した。第三転は徹底的な差異を宣した。第一、第二転は真実と作り物を区別しなかった。第三転において、絶対性に関し、中庸と極端を区別し、現象と真実性を区別することが教えられた。ダルマダルマターヴィバンガ(Dharmadharmatavibhanga)とウッタラタントラが再発見されなければ、マイトレーヤの伝承は失われていたかもしれない」

 『蓮華鉄鈎』(Padma lcags kyu)と名づけられた釈論のなかで、ツェン・カウォチェは以上のように述べたのだが、のちに、インドで他性空は明確には知られていなかった、それを認識したのは一切智者のドルポパであると主張した。

 どうか一切智者プトゥンの「質問の答え」(dris lan)にも注意していただきたい。そこに引用されるダナクパ・リンチェン・イェシェ(Danakpa Rinchen Yeshe)の哲学体系はドルポパによってさらに高度なものとなるのである>

 

 クンガ・ドルチョクはこのツェン・カウォチェの一節が、ドルポパによって確立される前の先行的な哲学体系を示す重要な例であるとして、重視している。ツェン・カウォチェは師のサニャジャナの意見を紹介している。すなわち、現象とその真実性とをはっきりと区別する第三転の法輪のみがブッダの教えの了義を表していると。

 クンガ・ドルチョクは、ドルポパの時代まで、他性空がインドでもチベットでもまったく知られていなかったのではないかという批判に対し、これで十分反駁できると考えていた。さらに彼は偉大なるプトゥンが、ダナクパ・リンチェン・イェシェによって確立されたチベットの初期の哲学体系をドルポパが高度なものにしたと述べている点、また読者からの問いにプトゥンが答えていることなどを挙げている。

 これはきわめて興味深いが、残念ながら、現存するプトゥンの回答は、ドルポパに触れていない。とはいえ、プトゥンがダナクのリンチェン・イェシェとともに学んでいたのはたしかなのである。

 きわめて若く、1313年、サキャ寺でデビューする前、ドルポパはダナクに三ヶ月滞在し、リンチェン・イェシェとともに学び、彼から『弥勒(マイトレーヤ)五法』の解釈を受けた。五法のうちのひとつはウッタラタントラだった。ドルポパによる他性空の教義の確立への影響については、下に詳しく述べたい。

 チョナン派のカーラチャクラ・タントラ伝承の系譜を見ると、ドルポパ時代よりずっと前に了義方面は認識されていた。最近見ることができるよういなった11世紀のカーラチャクラ大師ユモワ・ミキュ・ドルジェ(Yumowa Migyo Dorje)の『四明灯』(gSal sgron skor bzhi)という論集に明確に示されている。

 これらの論集で扱っている題材は、のちにドルポパが深く掘り下げるものだった。実際、ターラナータはユモワをタントラの他性空の先駆的存在と位置づけている。

 しかしながら意義深いことに、ドルポパが使った用語、たとえばシェントン(他性空)やクンシ・イェシェ(kun gzhi ye shes 宇宙の根本の智慧)などはユモワが書いたもののなかには現れず、大乗仏教や釈論から借りた用語は使用しなかった。

 それにもかかわらず、ゲルク派大師トゥカン・ロサン・チューギ・ニマ(Thukan Lozang Chigyi Nyima 1737-1802)は後代、著書『善説水晶鏡』(Grub mtha' shel gyi me long)のなかで、他性空を発案したのはユモワであり、ドルポパの時代まで他性空は秘伝(lkog pa'i chos)とし口頭で伝えられ、文字に書かれることはなかったと述べている。ドルポパがユモワの『四明灯』を積極的に教えていたことが知られているにもかかわらず、彼はユモワに言及せず、その著作から引用することもなかった。

 ユモワの四つの小論は極論すれば、六支ヨーガの完全な実践、すなわちカーラチャクラ・タントラにおける究竟次第の瞑想体系について述べたものである。これらの小論は統合(ズン・ジュク zung 'jug)、大印(phyag rgya chen po)、輝く光('od gsal)そして空(stong nyid)などのテーマを含んでいた。

 現存するカーラチャクラ・タントラ経典が、チョナン派のなかで受け継がれてきたことは、チョナン派の伝承にしたがって祈りがカーラチャクラ大師たちに捧げられるという事実からも明白である。その系譜は四つの小論のうちの最初の論に書き添えられていたものである。

 これらの小論のなかで論じられているトピックは本稿のテーマからは離脱してしまうので、ここでは触れないことにする。ともかくここで彼が繰り返し論じるのは、精神的道程は悟りのプロセスである、という大多数の学者の意見は受け入れられないということである。空は、すべての現象の究極的自性であり、本性ではない。そして存在、非存在、その両者、あるいはどちらかの極端性からのがれている。

彼は、空が絶対性をもつという哲学体系のなかにおいてのみ、この空の見解が成り立つと考えた。これは秘教的教えの段階に従って瞑想されるのではない。

 簡潔に言えば、瞑想の過程のなかにおける空は、経験的でなければならないということだ。自性による空(rang bzhin gyi stong pa nyid)はダイレクトに経験することができない。

 これらのことばを述べながら、ユモワは六支ヨーガの実践をしているときに起こる特別な体験について触れている。それら「空の形」(shunyabimba, stong gzugs)は、目に見えるものである。これはカーラチャクラ・タントラによる階梯としての空のダイレクトな体験である。それゆえユモワが、論理的な分析と把握できない空は階梯ではないと言うとき、彼は瞑想のあいだに見られる空について言っているのである。これは彼のテーマだった。

 この見方の残響は、ドルポパの著書中にも見出される。

 ドルポパの教えはタントラ群、とくにカーラチャクラに堅固に根を下ろしている。彼の論は既成の教義を単純に追うものではない。マハーヤーナとヴァジュラヤーナの見解と実践の融合を代表しているのだ。このことは彼の見方が、第2章で翻訳された釈論と出会ったとき、いっそうはっきりするだろう。


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