他性空の変遷

サイラス・スターンズ著 編訳 宮本神酒男


2 ドルポパと他性空(2)

 ドルポパの哲学的な試みのなかでもっとも画期的だったのは、仏法の新しいことば(chos skad)を作ったことである。マハーヤーナとヴァジュラヤーナの経典のなかで見出される幅広いテーマを表現するには欠かせないものだった。ターラナータによれば、ドルポパがはじめて他性空について教えたとき、彼はほとんどの学者にも理解できない、おびただしい、新しいことばを用いて論文を書いた。それは学者たちにとって、解釈学上の革命だった。上述のように、ランジュン・ドルジェもまた、ドルポパが革新的な言辞を編み出すだろうと予言した。

 ドルポパは、ことばに関し、ふたつの面でチベットでは前例のない貢献を果たした。まだまだわからない点が多いが、ドルポパがかなりの語彙を大乗経典や経論から抽出して特殊用語、すなわち仏法用語を作り出したようである。それらの元が原典にあるのはまちがいないが、通常の講義で用いられることはなかった。

 テーマを強調するためにドルポパは新しい用語を編み出した。たとえば、他性空(gzhan stong)やアーラヤ智慧(kun gzhi ye shes)などである。彼はまた大中観(dbu ma chen po, mahamadhyamaka)のようなインドの仏典にはないが、チベットで何世紀も使われてきた用語を取り入れた。多くの仏典に見られる見解やテーマを説明するため、彼はなじみのない用語もまた活用した。

 独特のことばの使い方をしながら、ドルポパは大乗仏典や経論から用語を借り、それを自分の著作のなかで活かした。いくつかの例を見れば、彼の著作のユニークさが理解できるだろう。

彼の主張のなかで論議を巻き起こしたのは、タターガタガルバ(tathagathagarbha ブッダの本性、つまり仏性)やダルマダートゥ(dharmadhatu 真実の広がり、つまり法界)、ダルマカーヤ(dharmakaya 真実の仏身)といったことばで表される究極の真実を永遠の状態としたことである。

 もちろん大乗仏典や経論においてこのような趣旨の言説は珍しくないが、チベットの多くの学者にとって、解釈学の立場からすれば、これらの言説は仮説の提示とみなされ、あらたな解釈(neyartha, drang don)を必要とするものだった。

 ドルポパにとって仏典や経論のすべてのことばは了義(neyartha, nges don)であり、字義通りに解釈されるべきものだった。彼はあらたな解釈など必要ないかのように自在に仏典の用語を使用するようになり、そのことは疑いなくショッキングなことだった。

 たとえば、チベット語のダク(bdag)すなわちアートマン(atman)、タクパ(rtag pa)すなわちニティヤ(nitya)、そしてテンパ(brtan pa)すなわちドゥルヴァ(dhruva)は、サンスクリットのシャーシュヴァタ(shashuvata)の三つの訳語、テル・スク(ther zug)、ユンドゥン(g.yung drung)、ミ・ジクパ(mi ‘jig pa)と同様、仏典のチベット語訳のなかに見出される。その経典とは、ウッタラタントラ(Uttaratantra)、ランカーヴァターラ(Lankavatara)、ガンダヴューハ(Gandavyuha)、アングリマーリーヤ(Angulimaliya)、シュリーマーラー(Shrimara)、マハーパリニルヴァーナ(Mahaparinirvana)などであり、真実の仏身(dharmakaya)、タターガタ(Tathagata)、仏性(tathagatagarbha)などを表す。

 「自身」「恒常」「永続」「永遠」などと訳されることばは、全著作を通じてドルポパが使用してきたのであり、仏典の一節の意味を論じるときだけのものではない。仏典で使用されるこれの用語の解釈をめぐってプトゥンが攻撃していることからすると、ドルポパの同時代人がいかに激しく反応を起こしたかがわかる。

 ドルポパの初期の著作『仏教総釈』(bsTan pa spyi ‘grel)は代表作のひとつだが、ここですでに問題となっている用語が使われている。初期のもうひとつの重要な著作『殊勝中観秘訣』(dBu ma’i man ngag khyad ‘phags)はドルポパに戒を与えた師ソナム・タクパ(Sonam Trakpa)のために書かれたものだが、ここにもいくつか用語が現れ、のちに発展するテーマの萌芽が見られる。これらの用語は以後ずっとドルポパの著作に現れつづける。

 彼の最後の重要著作である『第四終結』(bKa’ bsdu bzhi pa)でもこれらの用語を使っているが、それとともに聞きなれないことば「永遠の仏身」(g.yung drung sku, ther zug sku; shashvatakaya)も登場させている。

 残念ながらドルポパは代表的著作をいつ書いたのか、日時を明記しなかった。おそらく将来、用語を比較解析することによって著作を時系列に並べることができるようになるだろう。たとえば『仏教総釈』や『殊勝中観秘訣』は「他性空」(gzhan stong)や「アーラヤ智慧」(kun gzhi ye shes)という用語が出てこない。

 このことからこれらの著作は初期のものだという印象を与える。仏典から語彙を借りて次第に自分のことばを形成していき、のち、彼自身のダルマ(仏法)の用語を創出することになる。

 他性空ということばは通常、ドルポパ自身が考え出したものと思われている。しかしドルポパの時代よりも前に複数のルートでこのことばが用いられた証拠がある。ドルポパ自身は、至尊ポーリパ(Poripa)と呼ぶ大師からこの語を引用した。

 

<相対的真実は自性の空(rang gis stong pa)である。

そして絶対的真実は他性の空(gzhan gyi stong pa)である。

もしふたつの真実の空が理解されないなら

仏道が否定される危機に陥る>

 

 ドルポパに先立つ作者によってこの語が生まれているなら意味深いことだが、ポーリパと呼ばれる初期の大師に関する情報はまったくないといっていい。唯一同定されうる人物があるとするなら、それは初期のカギュ派の大師ポリワ・ゴンチョク・ギャルツェン(Phoriwa Gonchok Gyaltsen)である。

 他性空のほかの例として、ラ・ロツァワ・ドルジェ・タク(Ra Lotsawa Dorje Trak 11c-12c)の伝記が挙げられる。霊的な歌のなかでラ・ロツァワは自性(rang stong)に対比させて他性空を登場させている。しかしながら、この伝記はあきらかに17世紀頃に作り直されたものだ。他性空ということばが含まれていても、それは注目に値しない。

 ドルポパの同時代人で尊敬すべきニンマ派大師ロンチェン・ラブジャムパ(Longchen Rabjampa)もまたヨーガーチャーラ(瑜珈師)学派の三性(trisvabhava)理論について述べている。ロンチェンパは「自性の空」(rang gis stong pa)、「他性の空」(gzhan gyis stong pa)、「両者の空」(gnyis kas stong pa)と三つに分類しているが、ドルポパの使用法とは軌を一にしていない。

 13世紀にペマ・レンテル・ツェル(Payma Lendrel Tsel)によって発見されたパドマサンバヴァ作とされる『ダーキニーの心滴』(mKha’ ‘gro snying thig)においても、仏性の論議のなかで他性空という語が使われている。しかしその使用法はドルポパとはまったく異なっている。

 これらのことから、ドルポパの時代以前に他性空(gzhan stong)という語が現れていたのはまちがいない。散発的であり、ドルポパがこだわった語の意味とは微妙に異なってはいるのだが。伝統的にドルポパが他性空という語を創り出したということになっているが、もっと正確に言えば、彼以前には曖昧に用いられてきた語を明確に規定したのである。かつ彼の哲学を表現するためにこの語に根本的に重要な意味を持たせたのだ。

 ドルポパ哲学のもうひとつ重要なテーマは、アーラヤ識(クンシ・ナムシェkun gzhi rnam shes, アーラヤヴィジュニャーナalayavijnyana)と区別されたアーラヤ智慧(クンシ・イェシェkun gzhi ye shes, アーラヤジュニャーナalayajnyana)である。

 クンシ・イェシェ(アーラヤ智慧)が初期のチベット人の著作のなかに現れるかどうかははっきりしない。ドルポパは彼が理解し、詳細に解説すべきだと考えたチベットで知られていない概念のリストのひとつにクンシ・イェシェを挙げている。

 上述のように、カルマパ・ランジュン・ドルジェがドルポパの考えを発展させるにおいてある役割を果たしているかもしれない。ランジュン・ドルジェの現存する著作には、他性空もアーラヤ智慧も見当たらないが、後者は現在では不明の著作中に記述があったかもしれない。

 ランジュン・ドルジェの『深奥義』への論著のあとがきで、自身他性空の支持者であるジャムゴン・コントゥル・ロドゥ・タエ(Jamgon Kongdrul Lodro Tayey 1813-1899)は、ランジュン・ドルジェのクンシ・ナムシェとクンシ・イェシェの使用法について言及している。残念なことに、コントゥルはランジュン・ドルジェを直接引用したわけではないのだが。

 ランジュン・ドルジェは1322年、ドルポパと会った翌年に『深奥義』を著した。『青冊史』のなかのランジュン・ドルジェ伝によれば、1326年以前に彼はあとがきを書いたという。これはドルポパの著作がチベット中に出回る以前のことである。しかしながらクンシ(アーラヤ)の性について書かれたランジュン・ドルジェの歌のなかには、クンシ・ナムシェもクンシ・イェシェも見出すことができない。この歌に表れる考え方は、ドルポパとも他性空の教義とも相容れない。

 ロンチェン・ラブジャムパの著作中に「鏡のようなアーラヤ智慧」(kun gzhi me long lta bu’i ye shes)という一節が現れる。彼は真実の仏身()を表現するためにこの一節を用いたのである。そして意識の八様態のひとつとして、アーラヤ識と区別したのだ。

 このひとつからしても、ドルポパとの類似性が顕著なのだが、ロンチェンパの立場からすれば、クンシ(アーラヤ)を心の不純な状態として扱うほかなかった。

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