ラカイン礼賛                      宮本神酒男 


コウタウン寺院はミンタイッカ王によって1553年に建立。コウタウンは9万の仏像という意味であり、たしかに仏像だらけだ。

5 隠れブッダ(2) Hidden Buddhas

 私は廃墟が好きだ。だから巨大な廃墟のようなコウタウン寺院が好きだ。修復が進んでいるが、やや手抜きのところもあって、このくらいの修復がちょうどいい。あまり立派になりすぎると興ざめしてしまうのだ。もちろん身勝手な考え方だろうけど、感想をもつぐらいは自由だろう。

私はこの大きな空間をひとりで探索していた。モンスーン・シーズンのさなかで、しかもしのつく雨が降りつづいていたので、ほかに観光客はいなかったのだ。


回廊はこのままつづいて一周すると戻ってくる。修復された仏像は味気ないが、苔むして古めかしく見える。

 回廊は草の生い茂った塹壕のようだった。植物のあいまからいくつもの仏像がすすけた顔をのぞかせていた。場所によっては仏像が修復され、場所によっては荒れ放題だった。

 回廊から下の仏像に移動するとき、石段で私は滑って派手に転んだ。右手甲から血がにじみ出た。カメラが壊れたかもしれなかったので、私は回廊のつづきの壁に千仏が彫られたホールに入った。すると突然激しい豪雨が降り始めた。私はこの雨をビデオ映像に撮れないかと考え、三脚をセットした。


上の回廊から下の回廊をのぞくと仏像が見えた。このあと石段を降りるとき、滑って転んでしまった。

 ビデオの前ににゅっと人影があらわれた。僧侶だった。なにやらわめいているようでもあったが、どうやら英語のようだった。ブロークンすぎてほとんど聞き取れない。にっこりと笑っているので、悪気はないのだろう。

「いままで十人くらいの外国人を案内した」と言っているようだ。「イギリス人、ドイツ人、フランス人、ロシア人も。日本人ははじめてだ」

 とうことはガイドをしようというのか。地元の僧侶と友だちになりたいとは思っていた。テーラヴァーダ仏教について専門家にたずねたいと思っていた。でもいまはそのときでないし、いわんやガイドなど必要ない。もし彼が最低限の英語をしゃべってくれるならそれも悪くないけど、何を言っているのかさっぱりわからないのだ。

 彼はガイドになったつもりでずんずんと歩き出した。せっかく雨脚を撮り始めたのに、やめなくてはいけないではないか。彼はそのままコウタウン寺院から出て行く。

千の沈思黙考(コウタウン寺院)

 彼は徒歩なので、私は傘をさしたまま自転車をついてぬかるんだ道を歩かなければならなかった。彼は私が取ろうとしていた道を見て首を振り、来た道を歩き始めた。どうやら進もうとしていた道はひどい悪路で、たいへんな困難が待っていると言いたげだ。

 私は悪路だろうが、一度も行っていない道を行きたかったが、仕方なく僧侶のあとを追った。彼はまじめな坊さんだろうか。年齢は40歳だという。一般的なお坊さんがどのくらいの経典を知っていて、どのくらいの仏教の知識があるのか皆目見当がつかなかった。

 我々は山の中のショートカットの道をてくてくと歩いた。途中貧しそうな高床式の家があったのでそれを写真に撮った。貧しそうなのに、家を取り囲む森のような庭、あるいは果樹園は広かった。日本の都会のマンションの一室よりよっぽど豊かではないか。なにが豊かでなにが貧しいかなんて、そう簡単に言えることではない。

 サキャ・マナウン寺院に着いた。タノ・ヤカ、ピリ・ヤカという兄弟の夜叉が門を守っているという一風変わった寺院である。コウタウン寺院のつぎに自転車で来ようとしていた寺院だ。お坊さんは「ひとりでは来られなかっただろう」とでも言いたげに、からからと笑っていた。予定していた場所に来ただけのことであり、徒歩のため余計に時間がかかってしまっただけの話なのだが、そのことをお坊さんに伝えることはできなかった。


シャキャマナウン寺院のストゥーパ。暗いレンガ積みのなかに金色に輝くブッダがおわします。

 この寺院のストゥーパにはまっている小さな金色の仏像が気に入った。そんなストゥーパがいくつもあったので私はひとつひとつ写真に撮ろうとした。お坊さんはそれを理解できず、またもずんずんと歩いていく。

 金色ブッダにズームアップ。柔和な表情が印象的。

 ラタナ・マナウン寺院に着いた頃には、日暮れてかなり暗くなってしまった。暗くなったら写真にならないので、早めに切り上げたくて仕方なかった。ここのメインの仏像は妙に弱々しくて不思議な味を醸し出していた。そのあとラタナボン・パヤーあたりまで歩いたところで、あたりは闇につつまれていたので、私は「どうもありがとう」と切り出した。彼が断ることを期待しつつ、千チャット札を3枚、手に握らせた。

 すると「われわれは大変なんです。食べるものが必要なんです。もう一枚どうか」と懇願してきたのは意外ですこし失望した。結局乞食とあまり変わらなかったのだ。外国人はこういう場合、つい払ってしまうのだろう。彼からガイドがもっているべき情報はなにひとつもらわなかったが、こういう僧侶がいるのだということがわかっだけでもよしとしよう。

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