ラカイン礼賛 宮本神酒男
Pizi phara Buddha
5 隠れブッダ(4) Hidden Buddhas
どのガイドブックも記述を避ける遺跡、それがピズィ・パラ(Pizi-phara)の石仏だ。いつだれによって造られたかわからないため、なにか書けば間違いの可能性があり、ガイドブックとしては載せないほうがまし、ということになるのかもしれない。ムラウー中心部からコウタウン寺院へ向うときに通る道の脇にあるので、アクセスは簡単だ。
ある本にはピズィパラ石仏は16世紀か17世紀に造られたと書いてあるが、この時代のラカインのあらゆる仏像と異なっていると思う。メインの石仏の目には黒曜石のような石が嵌められている。こんな特徴をもつのはどの時代のどの王朝だろうか。
ネット上ではコーリヤ王(Kawliya 1118-1123)が贈呈したと書かれていた。その根拠はわからないが、コーリヤ王はレムロ王朝のひとつ、プライン(Purain)第一王朝の末代王である。12世紀に造られたというのは妥当な線に思える。
というのも、この石仏のある丘全体がパゴダか宮殿によって占められていたように見えるが石仏のあたり以外は更地になっているからだ。これはプライン第一王朝のつぎに興ったプライン第二王朝の初代王ダタ・ヤザ(1123−1139)が破壊したということだろう。
ピズィパラ石仏の構成をみると、メインの石仏以外は四体。大乗仏教慣れしている私からすれば、ヴァイローチャナ(大日如来)、ラトナサムバヴァ(宝生仏)、アミタバ(阿弥陀仏)、アモガシッダ(不空成就)、アクショービヤ(阿シュク)の五仏に見えてしまう。もしこの解釈が成り立つなら、この石仏は密教に属する可能性すらある。ここから目と鼻の先にあるウンティの丘にある石碑はヒンドゥー教色が濃い。ムラウーの宗教はテーラヴァーダ一色ではなく、多彩な宗教が並存していたのかもしれない。、
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