ラカイン礼賛
ウェンティのナッ(精霊)
6 精霊(ナッ)たちのムラウー
泊まっているホテルの玄関から、川向こうの丘の上に粗末な屋根のようなものが見えた。それがウェンティのナッ(精霊)だという。10分ほど歩いて林のなかの石段を上がっていくと、獰猛な一匹の犬が吠えかかってきた。二ヶ月のあいだに何十回も吠えられているので、吠えられのプロではないけれど、ひるむことはまったくない。
簡易な高床式の家があり、二階にふたりのお坊さんが寝そべっていた。家の横にはビニール・シートで覆われた広い空間があり、中央にできたての素っ気無い石仏があった。そのあたりからかわいらしい小坊主が出てきて、頼んでもいないのにウェンティのナッのところへ案内してくれるようだった。
草むらのなかをかきわけながら上がっていくと、壊れかけた小屋のようなものがあった。祠なのだろうが、屋根も壁もなかった。草がぼうぼうと生えていて、祠も手入れされていないところをみると、仏教の聖地とはみなされていないということだ。精霊の棲む場所どころか、外道の拝所と認定されているのだろう。
かろうじて残った屋根の下には二枚の石板があった。13世紀に国王がやってきたときには、すでにこのような状態だったという。考古学者によれば、作られたのは遅くとも8世紀頃である。ウェーサリー第二王朝の末期ということだ。この時期は仏教以上にヒンドゥー教が崇拝されていたのではないかと私は考えている。
右側の石板の彫像が何なのかよくわからないが、ヴィシュヌ神ではないだろうか。左側は中央に大きな女性、右に小さな女性、左に小さな男性の姿が確認できる。はじめ男性はヨーガ行者ではないかと思ったが、現地の褌(ふんどし)のようなものをまとった半裸の男性のようにも見えた。中央の女性は女神だろうか。このような石板に彫られるのは神様だけのような気がする。
見終わったあと斜面を下りるとき、横になっていたお坊さんが私を呼び止め、上半身を起こすとおもむろに石板の由来について語り始めた。
昔、おそらく12世紀、レムロ朝の王様のとき、このあたりにふたりの兄弟の修行者がいた。彼らは恐るべきパワーをもっていた。とくにひとりは変身の術にたけていて、だれにでも化けることができた。あるとき国王が長期間国外に出ているとき、修行者は国王に化けて王宮に忍び込んだ。国王が遠征からもどってきたとき、国王の妻(王妃)は妊娠していた。修行者とのあいだに子供ができてしまったのである。もちろん王妃はばけた修行者を国王だと思っていたのだ。妻の不貞に怒った国王は、王妃を殺してしまう。
死んだ王妃を祀ったのがこの丘であるという。王妃のおなかにからは双子の子(男の子と女の子)がいたという。こうして非業の死をとげた王妃とふたりの子供はナッとなったのである。ミャンマーの精霊(ナッ)の由来伝説としては典型的なものだといえるだろう。
しかし何が描かれているかわからないとき、こじつけ伝説が生まれやすいのもたしかなことだ。パキスタン北部では、ブッダの壁画なのに魔女として説明する伝説ができているのを見たことがあった。
右側の石板はおそらくヴィシュヌだろう。そうすると左側の石板が女神である可能性も低くない。足元の草むらには石でできた何かの一部があったが、それはリンガのようにも見えた。あまりはっきりしないが、ヒンドゥー教の祠のように思えてならないのだ。
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