ラカイン礼賛                  宮本神酒男


古代の都市プランナー!? 16世紀、占星術を駆使してムラウーにパゴダや城壁を築いたウ・ムラワ。
 

6 精霊(ナッ)たちのムラウー(4) 

 ムラウーの地図を見ると、城壁が町を守るように囲み、無数のパゴダが立ち、いくつかの人口池(堀)が配置されていることに気づくだろう。いや、大半のパゴダはその名さえ知られていないし、城壁もほとんどが崩れてしまっているので、その複雑な元の姿は想像するしかない。ムラウーは巨大な天然の要塞のようだ。

 このような城市は一朝一夕でできるものではない。ところがじつは、ある一時期にかなりの勢いでもってこれらは築かれたのだった。それはムラウー第二王朝初代王ミンビン(在位15311553)の時代であり、都市プランナーはウ・ムラワ(シン・ムラワ)とマハー・ピャンニャー・チョーだった。とくにミンビン王の兄弟だった僧侶のウ・ムラワはいまも人々の敬慕の対象であり、祠堂まで立っているのだ。

 
ウ・ムラワ丘にあるシン・ムラワ祠堂。訪れる観光客は少ない。

 この祠堂を訪ねたとき、今にも空から雨粒が落ちてきそうな気配だった。アマガエル体質の私は雨が近づくと頭の中に鉛が発生し、すこしつらく感じていた。祠堂のなかに入るとウ・ムラワの金色の彫像があった。尊敬されている僧侶にしては、髭をぼうぼうと生やしていて、むしろ仙人のようである。ラカインにかぎらずミャンマーでは、奇跡的な力を会得したウェイザーと呼ばれ、まさに仏教における仙人なのである。そして没後ウ・ムラワはナッ(精霊)となった。

 
この髭からは想像できないが、僧侶である。修行をして驚異的な力を得た。右は占星術の秘数のダイアグラムが刻まれた石。

 彫像の左右には占星術のための秘数のダイアグラムが刻まれた石のプレートが置いてあった。古くて擦り切れていて、金紙が貼られているので、文字はほとんど読み取れない。このような文字を私はイン(呪符)のなかに見たことがあった。インドのヤントラにもおなじようなものがあった。

 ミャンマー版(ラカイン版)の風水のようなものを想像すればいいだろう。実際にどこから敵兵が攻めてくるかではなく、どこから鬼や魔が入ってくるかということを考え、杭を打つようにパゴダを建立するのだ。人口池(堀)もまたそうした意図でもって造られた。こうしてムラウーは150年のあいだ敵や魔物の侵入を防ぐことができた。

サキャマナウン・パゴダの門前を守るヤクシャ(夜叉)兄弟。

しかしそののち、ムラウーはムガールに侵略され、ビルマにはラカイン国の心であったマハムニ仏を奪われ、大英帝国に屈して併合されることになる。これだけの堅固な城市も現在は草に覆われた廃墟であり、宮殿は壁を残すのみとなった。そのことを認識すると、ウ・ムラワの祠堂も哀愁が漂っているように見えてしまう。

 
タノ・ヤカ、ピリ・ヤカの夜叉(ヤカ)兄弟はもともと魔物だが、調伏されて仏法の守護者となった。やはりナッとみなされる。

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