ラカイン礼賛                  宮本神酒男

7 ナッカドー(霊媒)

(2)ゲイ・ナッカドー

 ムラウーの町中や近郊で祀られているナッ(精霊)を探し回るうち、ナッカドー(ナッの妻という意味。シャーマン)に会いたくなった。ムラウーに隣接するアウマングラ村によく知られたナッカドーがいると聞いて、私はウ・トゥン・シュエ氏のバイクの後部に坐ってさっそく向った。

 町の中心部を過ぎ、橋を渡り、船着場へ向う道のほうに曲がらないで、まっすぐ進むと、舗装された道路が村のなかを貫いていた。舗装されたといっても、ボロボロに崩れていて、未舗装のほうがはるかにいいと思えるほどひどい道だった。道の両側には竹で作った高床式の家屋が並んでいた。でこぼこでバイクがジャンプするたびお尻がしたたかに痛んだ。

 竹垣のなかに入ると、土間(一階部分)の薄暗闇にナッカドーがいた。正直なところ、はじめ男か女かわからなかった。年齢も推定するのがむつかしかった。しばらく話をするうちにいままで会ったナッカドーとおなじくゲイであることがわかってきた。なんとなくラカインであれば女性ナッカドーが多いのではないかと考えていたけれど、そうではなかった。

 

 何年か前、マンダレー近郊で八月に開催されるタウンビョン精霊祭にはじめて行ったとき、ミャンマー全土から集まってきて、個々の精霊儀礼(ナップウェ)に参加している多くのナッカドーを見て驚いた。ほとんどがゲイだったのである。ネットで見ると最近はずいぶん美形ゲイ・ナッカドーが増えているようだけど、当時は千差万別というか、キャラの目立つナッカドーが多かった。マンダレーの下町で自分の費用持ちで精霊儀礼(ナップウェ)を開いたときも、数名のナッカドーのうち半数はゲイ・ナッカドーだった。ポッパ山の麓のナッシン(精霊小屋)でナッカドーと精霊(ナッ)の結婚式を挙行したときは、新郎(ゲイ)の仲間のゲイが十人くらい参加し、なかばゲイ集会の様相を呈していた。

 違和感を覚えるとすれば、それは彼らがほんとうのシャーマンとはいえないのではないかと思ったからだ。社会的マイノリティーである彼らの避難先となっているのではないかと疑ったのだ。そういった意味合い、社会的役割は少なくないだろう。しかしだからといって、ゲイ・ナッカドーすべてが偽シャーマンというわけではない。

 昔からナッカドーの大半はゲイだったのだろうか。メルフォード・スパイロの半世紀前の調査記録を読んでみた。彼は男のナッカドーについてつぎのように記す。

 

 ほとんど例外なく男のシャーマン(ナッカドー)は、公表しているにせよ隠しているにせよ、同性愛者か服装倒錯者、あるいは女男(ときにはそのすべて)だった。

 

 ということは、昔からナッカドーは女性かゲイの男性だったということだ。問題はその割合がどうだったかということなのだが、スパイロは統計を取っていない。おそらく半々くらいだったのではないだろうか。

 当時と比べると、昨今はあきらかにゲイ・ナッカドーが増えていた。それにはどういった原因が考えられるだろうか。先に述べたように、ゲイはマイノリティーであり社会的弱者である。ミャンマーの軍事独裁政治はそんな弱者を生み出しやすかったのかもしれない。しかしまたゲイは感性にすぐれ、精霊とより敏感に接する能力があるのかもしれない。

 エリアーデによれば、男シャーマンが女装したり女性化したりする事例はシベリアのチュクチ族など世界中に見出せるという。それをシャーマンの堕落とみる向きもあるようだが、もしかすると女性化はむしろシャーマンとしての感性を高めているのかもしれない。いずれにしてもミャンマーにはマスキュリンなシャーマンというのはなかなか存在しないようなのだ。



 もともとウ・マウン氏(49歳)は妻がいて、子供に恵まれ、水牛と水田を保有するごく普通の農民だった。ところがあるとき突然病気になり(メンタルの病気のようだ)病院へ行ったが、埒が明かなかった。そして精霊祭のとき、あるナッカドーから精霊儀礼(ナップウェ)を開くことをすすめられた。儀礼をおこなったとき、あるペッ・サラー(太鼓の師匠)からナッカドーになるべきだといわれた。

 ナッカドーになるというのは、ゲイとして生きるということでもあった。

 はじめに憑依した精霊はサンディーマだった。サンディーマは幸運と財をもたらす女神である。いまおもに憑依するのはリグレイマだという。この精霊はとくに失くし物や盗まれた物を探すときに威力を発揮した。

 

 ナッカドーがもっとも本領を発揮するのはやはり精霊儀礼(ナップウェ)である。47もの精霊が憑依される、あるいは扮するのだ。たとえば彼はゾージーの衣装をまとい、ゾージーに憑依される。ゾージーというのは仙人と訳されるが、森の修行者である。果物ばかり摂取するので、その遺骸は香ばしいにおいがして、食べれば超能力を得ることができるとされた。彼は虎になり、猿になり、竜や象になった。ひとり47技という離れ業を演じてみせるのだった。

 

 ジェー・ムー氏(27歳)はもってうまれた天才の踊り手である。彼は12歳のとき病気になり、呆けたようになって外をさまよい歩き、墓場で寝た。そのとき以来ナッカドーだという。

「わたしはバージンです。心は完全に女です」と彼は語る。バージンがどういう意味なのか、よくわからない。

 彼の家はバングラデシュ国境に近いマーユー川流域にあった。マーユーマとはゲイのことだ。この地域に生まれると、ゲイになりやすいのかもしれない。彼には兄弟がふたりいるが、ふたりともゲイであり、ナッカドーであるという。早くに父親をなくしたことと関係があるのだろうか。それともそういった風土なのだろうか。

彼らの「幽体」の撮影を試みた…。


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