レムロ川を行く
埠頭から川の中央に進むと、客を乗せた三艘の舟が雨中寄り添うように横切っていった。
(1)遡上
レムロ川の舟旅について書くべきかどうか、正直なところ私は迷っている。舟旅があまりにも楽しかったので、だれにも教えたくないというケチな根性がもたげてきてしまったのだ! しかし大きな理由は、上陸して訪ねたいくつかのの村がどれも文明の荒波を受けていず、身勝手な考え方だけれども、観光客をできるだけ遠ざけていまの状態を保存すべきと思ったからだ。中国の僻地で開発が進み、昔ながらのよさが失われていくのをごく最近まのあたりにして、近代化に幻滅したばかりでもあった。生活が向上することは多くの村人にとって悲願かもしれない。しかし同時に物質主義は多くの破壊をもたらすのだ。
舳先から見たレムロ川。
レムロ川はマーユー川、カラダン川とならぶラカイン北部三大河川のひとつだ。ムラウーの南東数キロのレムロ川流域はレムロ諸王朝(818-1406)の都があった地域であり、もともと文明から隔絶していたわけではなかった。しかしこのあたりから上流になると、車道が通っていないため、物流も交通もレムロ川のみとなってしまう。その結果何百年前と変わらない生活が維持されることになったのである。
私が二日間チャーターした小舟は全長およそ6メートル。屋形船と称すれば聞こえはいいけれど、舟に幌をつけただけだった。この程度の小さな舟はレムロ川のそこかしこに浮かんでいた。小さな網で魚を獲るだけなら、オールだけで十分だった。大きな網を使ったり、果物や物資を運ぶ場合、あるいは客を乗せる場合などは、舟の後尾に発動機をつけた。発動機は川面というカクテルを混ぜるマドラーのように見えた。舟旅のあいだ中、そのドッドッという低く重い振動音が頭の中に響き渡っていた。
雨季だったので、舟に乗っているあいだ、雨が降ったりやんだりした。嵐がやってきたときは、レインコートをかぶって吹き付けてくる雨風を必死でこらえた。舟のすぐ脇で波が激しくうねった。手をのばせば触れる位置に川面があることにあらためて気づいた。木の葉のように船体が大きく揺れると、ひっくりかえったときのことが一瞬脳裏によぎった。
嵐のとき以外は、ただぼんやりとほかの舟や河岸の人々の様子を眺めていた。水差しを頭上に載せて岸辺にやってくる女性、川で入浴しようと全身洗剤の泡だらけになった男、水に飛び込む子供たち、舟を引っ張る筋肉質の男、共同作業で網を引く若い男たち、そんな光景がつぎつぎとやってきては飛び去っていった。なかにはこちらに向って手を振る者たちがいた。私は観客ではなく、舞台の参加者でもあったのだ。
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