レムロ川を行く
(2)死者の山
いくつかの村を訪ねたあと、私は「墓山」に行った。レムロ川に流れ込む支流の河口付近の深い森がチン族の墓地になっていた。舟を接岸して上陸し、滑りやすい岩をよじ登って熱帯の森に入った。めったに人が来ないのか、道は腰に達する草のなかに埋没していた。サンダル履きだと、どこに毒蛇が潜んでいるかわからず、私は落ち着いていられなくなった。山上で雷が光ると雷に打たれるのではないかとおびえ、深い草むらを歩くと毒蛇にかまれるのではないかとおびえる。私はけっこう小心者だ。
「どこに墓があるんですか? 草が生い茂ってるだけじゃないですか」と私は非難がましくきいた。
「そこは墓ですよ。ほら、そこも、ほらあそこも」とウ・トゥン・シュエ氏は周囲の草むらを指しながら言った。たしかにぼうぼうと生えた草のなかに屋根のようなものがあり、その下に壷が見えた。骨壷だろうか。そのあたりからさらに奥に入ればもっともっと墓はあるのだろう。しかし写真を見れば瞭然、深い茂みに埋没していて、どれが墓なのか識別できなかった。日本人であれば、「これが墓です」とばかり、盛り土をして、できれば墓標を立てるだろう。名前や生年月日などの情報も記入するだろう。しかしこの「墓山」にはそう簡単に入ることはできないし、墓も密林に溶け込んでその存在を訴えることはないのだ。
墓を見れば、国民性がわかる。日本も昔は遺体を山に捨てていた時代があった。死者を弔うようになったのは仏教伝来以後のことだろう。いまでは死後墓に入れられないのは、どんなことよりも悲しいこととみなされるようになった。行旅死亡人(身元不明の死者)でさえ共同墓地に安置されるだろう。
インドで驚くことのひとつは、(ヒンドゥー教徒の)墓地がないことだ。遺体をガートで荼毘に付し、その灰をガンジスなどに流すので、墓は必要ないのだ。インドのあとパキスタンに移動すると、墓地だらけのような印象を抱いてしまう。
ミャンマーは文化的にインドの影響が強いためか、墓地はあるものの、個人の墓というようなものは少ない。死者が聖人であったり社会的地位が高い場合、埋葬した場所に小さなパゴダを建てることがある。これは墓というより墓標、あるいは記念碑といったほうがいいだろう。庶民の場合、パゴダの近く(ここを墓地と呼ぶことはできるだろう)に埋葬する。サンダラーという専門職の人々が穴を掘り、遺体を投げ込む。穴が小さいときは遺体をねじこむことがあるというから、よほど遺体には敬意が払われていないのだろう。仏教においては(ヒンドゥー教と同様)魂の抜けた亡骸には意味がないと考えられるのだ。
迷信深い人々は死後、死者から出てきた「蝶」(レイピャ)をハンカチで捕らえるという。そして七日間家の中にとどめおき、儀礼をおこなって、それから「蝶」を放つ。人の魂は死後、蝶になるという信仰があるのだ。もっとも、この「蝶」は目に見える蝶とは違うのかもしれないが。
地方ではレムロ流域のように火葬が一般的だ。土葬にすればそこが伝染病の発生源となるからかもしれない。密林が墓場というのは、きわめて興味深いことだ。土を掘るということはないのである。生い茂る草、つた、枯葉、腐植土、そういったもの全体がいうなれば墓なのだ。お情けのような屋根も、数年のうちに朽ちて土に帰るだろう。壷はある程度残るかもしれない。死者の灰は、壷のなかで子宮のなかにいたころのように安眠をむさぼれるかもしれない。
日本人なら、名前の記された墓がない、というのは気持ちの落ち着かないことだ。レムロ川流域のチン族は、墓があり、名前が記されたところでなんの意味もないと考えるだろう。現世にこだわることなく、転生することを願うほうがより現実的なのかもしれない。
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