最初のイスラム教徒とイスラム王朝               宮本神酒男

 8世紀頃からアラブの船が頻繁にラカインの海岸にやってくるようになり、各地にダルガー(スーフィー廟)が建てられた。難破した船に乗った船員は村に住み、現地の女性と結婚することが多かった。こういうアラブ人およびその子孫はタンブキアス(Tambukias)と呼ばれる。とくにラカインのマハー・タイン・チャンドラ王(788810)のときにその数が多かったとされる。アラブ人の移住がもっとも多かったのは、バングラデシュのチッタゴンとラカインのアキャブ(シットウェー)だったという。

 ベンガル自体がイスラム化したのは、1202年のことだった。ラカインの朝廷はイスラム教徒が増加していたとはいえ、イスラム化にはいたっていなかった。

 1430年、ベンガル王ジャラルッディン・モハンマド・シャーは将軍ワリ・ハーン率いる5万人の兵をラカインに送った。ベンガルに亡命していたアラカン王ナラメイクラ(ミン・ソー・ムン)も24年ぶりに国王の座に就いた。アラカンはベンガルの属国のような関係にあった。しかし1433年、ベンガル王が死去し、情勢が変化した。1437年、アラカンは(国王はナラヌ)ラムーを占拠した。そして1459年(国王はバ・ソー・ピュ)チッタゴンを手に入れた。チッタゴンは1666年までアラカンの支配下にあった。
 当時アラブ人兵士やその子孫のイスラム教徒が住んだのはチャウットーやムロハウン(ムラウー、ミャウー)などの大きな町であり、現在ロヒンギャが集中するマーユー川地区ではなかった。



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