アラカン(ラカイン)に来たイスラムの聖人と詩人            宮本神酒男

 5人の聖人(Panch Pir)の5番目に挙げられるピル・バドゥル(Pir Badr-i 'Alam ?−1440)はアラカンに来たことがあるだけでなく、船乗りの守護聖人としていまも身近な存在である。フェニ川上流のジャングルで修行を積んだあと、水に浮く岩に乗ってチッタゴンにやってきたピル・バドゥルは、さらに魚の背中に乗ってアラカンを訪れた。魚が意味するのは、川を支配したということらしい。船乗りが出発する際にはピル・バドゥルの霊にたいし、つぎのような歌をうたう。

 われらは子供。われらの守護神はガズィ(5人の聖人のひとり)なり。われらはガンジス河を越えていく。おお、5人の聖人よ、おお、バドゥルよ、バドゥルよ。

 ピル・バドゥルはイスラム教徒にもヒンドゥー教徒にも崇拝されていたらしい。その風習は仏教徒の船乗りにも受け継がれたにちがいない。


 17世紀、ふたりのベンガル詩人がアラカンの宮廷で重用された。
 ダウラト・カズィはスリ・スダルマ王(在位1622−1638)のとき、ラスカル・ウズィル(官職名)のアスラフ・ハーンの庇護を受け、『サティ・ナイマナティ』という詩文集を編纂した。このもとになったのは、北インドの詩人サダンがヒンディー語で著した『マイナ・サット』だった。ただ、カズィが急逝したため、完成には至らなかった。
 それを完成させたのはアラオルだった。アラオルは1600年頃、ベンガルに生まれた。父親はファテハバードのザミーンダール(大地主)マジリス・クトゥブのもとで働いていた。あるときアラオルは父とともに舟で旅をしていたところ、ポルトガル人の海賊に襲われ、父が殺された。アラオルはなんとか逃げて、泳いでアラカンの岸に渡った。
 彼はのち騎兵隊に入るが、その育ちのよさ、知識、楽器の巧みさが知れ渡った。王のもとの首相であるマガン・タクルはアラオルに弟子入りするとともに、パトロンとなった。彼は代表的な作品『パドマワティ』を編纂した。この作品のもとになったのは、北インドのスーフィー詩人ジャヤシがメワル国の女王パドマワティの生涯について書いたものだった。これはアラカン王タド・ミンタル(在位1645−1652)のときに編纂された。
 またアラカン王のもとの首相スリマト・スライマンの庇護も受けた。スライマンの要望を受けて、カズィの未完の『サティ・ナイマナティ』を完成させた。アラオルはさらに、ベンガル語、アラブ語、ペルシア語の作品を翻訳した。そして音楽に関する論考を書き、ラーダとクリシュナを主題とした韻文を著した。

 当時、ベンガルはムガル朝の一部であり、世界に誇る高度な文化が咲き誇っていた。その文化の香りがアラカンにまで流れてきて、あらたな花が開こうとしていたのである。バガン系ビルマ人を先祖にもつ人々がアラカンの主体民族であったとしても、ベンガル系の人口もその半分くらいには達していたはずで、なんといっても、宮廷内はベンガル文化に酔いしれていたのである。


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