英領インド、英領ビルマ、日本軍の侵攻 宮本神酒男
その後第一次英ビルマ戦争が勃発し、1826年、ヤンダボ条約が結ばれ、アラカンとテナセリムが英領インドに吸収されることになった。この時点の調査ではアラカン国の人口の3分の1がイスラム教徒だった。
そして1937年、アラカン(ラカイン)は英領ビルマに編入される。この編入がなければラカインはバングラデシュの一部であったかもしれない。そのかわりロヒンギャ問題は発生しなかっただろう。
第二次大戦がはじまる頃には、イスラム教徒と仏教徒とのあいだに軋轢が生じていた。英国がビルマを支配しはじめた頃と比べると、イスラム教徒の人口は約3倍の18万人近くにも上っていた。この人口増加が宗教不和、民族不和を起こしたのかもしれない。1939年には両者の不和に関する特別調査委員会が結成されているので、大戦前にはすでに沸点に達していたことになる。
両者が血みどろの戦いを繰り広げることになったことに、日本は大きく関与している。ロヒンギャは連合国側に与したので、日本兵は彼らと戦わねばならなかった。彼らはならず者で海賊のマグ人が主体であった。難敵の正体を当時の日本兵は知っていただろうか。しかし日本兵はロヒンギャの大量殺戮を遂行したとされる。実態がなかなかわからないので、本当に虐殺はあったのか、あるいは英軍の武器を所有したロヒンギャ軍隊との戦闘は正当なものだったのか、一度調査が実施されるべきかもしれない。*日本軍の「蛮行」については先ごろ没したカナダ人ジャーナリスト、カート・ジョナソンが詳しく書いている。
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