迫害されるロヒンギャ                  宮本神酒男

 1948年、ビルマが独立を勝ち得ると同時に国内のイスラム勢力が独立を求めて決起した。インドでも独立をはたしたあと、イスラム教徒がさらに独立をはかり、パキスタンを建てたのだった。しかしインドとビルマとではイスラム教徒の数が違いすぎた。ロヒンギャたちは独立どころか全財産、土地を没収され、市民権さえも剥奪される羽目になる。とはいえ1962年までは少数民族としての認定を受けていたのである。

 1962年に政権を奪取したネ・ウィン将軍政権のもと、ロヒンギャは英領時代にやってきた不法移民とみなされ、ビルマからの退去を迫られた。1974年には緊急移民法が制定され、ロヒンギャはビルマ国籍を認められず、ビルマ国内に不法滞在する外国人という扱いを受けることになった。

 1978年、ビルマ軍の悪名高いナガミン(竜王)作戦によってロヒンギャに弾圧が加えられた。まず2月、アキャブ(シットウェー)最大のイスラム教徒の村サッキパラに軍が入り、多くの人が殺されたり、拷問を受けたり、レイプされたという。3月にはラカイン北部のブティダウンやマウンドーまで「ロヒンギャ掃討作戦」は達した。3か月のあいだに20万人(一説には30万人)もの人々が難民となり、バングラデシュに逃げた。

 1988年の選挙の際、ロヒンギャはアウンサン・スーチー率いる国民民主連盟(NLD)を支持し、そのことによってまた弾圧を受けることになる。

 1991年の弾圧によって今度は25万人以上の難民が発生し、バングラデシュに逃げた。

 こうしてミャンマー軍による弾圧はやむことなく、つねに大量の難民が発生し、バングラデシュもかかえきれなくなっている。さらに周辺諸国も難民受け入れには難色を示し、大量の死者が発生することも少なくない。


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