見えない糸口                                 宮本神酒男 

 そもそもこれだけの難民を受け入れることのできる国、地域があるはずもないので、結局はミャンマーが対策を練るしか方法はないだろう。そのためにはまずミャンマー人自身の「ロヒンギャは外国人」という間違った認識をただすべきだろう。

 ロヒンギャの過半数が英領ビルマの時代にインドから流入した人々であったとしても、本来のロヒンギャはラカインのネイティブか、もしくは長い年月の間に定着した移住イスラム教徒なのである。

 仏教徒のラカイン人は紀元前からずっとラカインは仏教の国であったと信じているが、実際、ヒンドゥー王の時代もあれば、ムスリム王朝の時代もあった。ムラウー王朝の時代(1433−1784)はとくに、アラカン国は現在のラカイン州とチッタゴン地区をあわせた大きな国だった。当時のチッタゴン地区側(バングラデシュ側)はイスラム教徒が大半を占めたはずで、彼らがロヒンギャであるなら、彼らは外国人ではなくラカイン人ということになる。もしイスラム教徒はバングラデシュに住むべきだとするのなら、ロヒンギャが多く住むマーユー川地区はバングラデシュに帰属すべきという論調になりかねない。

ラカインの人々にとって、マーユー川はとても重要で神聖な場所である。私がムラウー近郊で見たナップウェ(精霊儀礼)には、マーユーマというナッ(精霊)が出てくる場面があった。バガンから来た王の王妃7人のうち、最年少の王妃の名がマーユーマだった。王が川に船を浮かべて旅をしているとき、彼女が出産した子供は双子だった。それを汚れとみなした王は、家臣に命じて王妃を子供もろとも川に落とした。彼らは怨霊のナッになった。しかしこのナッは王室を祟るのではなく、むしろ守護するものだった。

 話をややこしくしているのは、近年ミャンマー・バングラデシュ国境の海に、埋蔵量豊かなガス田(シュエ・ガス田)が発見されたことだった。地図で見るとちょうど国境上にあり、将来的には大きな紛争の種となるかもしれない。雲南からラカインの港湾までの鉄道建設や港の整備を進めている中国の後ろ盾があるかぎり、ミャンマーの優勢はゆるがない。アラカン国が健在であれえば……とふと思ってしまった。資源大国アラカン(ラカイン)に民族問題は存在しなかっただろう。 

 もう一度ロヒンギャ問題について整理しよう。ラカイン州のイスラム教徒、ロヒンギャは、古くからラカインに住み、先住民の可能性すらあるのに、英領時代になだれこんできた移民と誤解され、反政府的な姿勢をとったために国籍すら剥奪され、迫害も受けたため、大量の難民となってしまった。これだけ大量のロヒンギャが存在する理由のひとつは、ラカイン(アラカン国)の領土がバングラデシュ南部のチッタゴン区域も含んでいたからである。論理的な説明はどうであれ、ラカインの多数を占める仏教徒(テーラワーダ仏教)とロヒンギャとのあいだの軋轢は大きくなり、融和の余地はほとんどなくなってしまった。


 民族問題に国境紛争まで加わり、ロヒンギャ問題はいっそう厳しいものとなっている。いま解決が急がれるのは、ロヒンギャの難民受け入れと国籍問題だろう。ラカインには仏教文化とイスラム文化の両者が併存してほしいと私は願うのだが、どうしたらそれは叶うのだろうか。

 
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