ロヒンギャの起源 

 ロハンのもともとの居住者はヒンドゥー教徒、仏教徒、アニミスト(アニミズム信者)だった。イスラム教が来る前からこの地域にはアラブ人の船乗りがやってきていた。たくさんのアラブ人がアラカンに定住し、地元の人々と混合し、民族的にロヒンギャとして知られる種族を形成してきた。歴史家によれば7世紀後半に最初にアラカンに定住したムスリムは、ムハンマド・イブン・ハナフィヤ率いるアラブ人だった。彼は女王カイヤプリと結婚した。彼女はイスラム教徒に転向し、国民の多くもまとめてイスラム教の信徒になった。彼らが住んだ二つの山頂は今もハニファ・トンキとカイヤプリ・トンキとして知られている。

 イスラム教徒の第二の大きな流入があったのは、8世紀のことだった。英国のビルマ誌(1957)はつぎのように述べている。

「西暦788年頃、マハタイン・サンディヤはヴェーサリの王位に就き、旧ラマワディの址の上に新しい都市(ウェーサリ)を築いた。そして22年の統治のあと逝去した。彼の統治期間中、数隻の船がランブリー島に難破し、イスラム教徒の船員たちはアラカンに送られ、村に定住した。彼らはムーア人のムスリムだった。

 のちに、とりわけ他の民族グループ、すなわちムガール人、トルコ人、ペルシア人、中央アジア人、パタン人(パシュトゥーン人)、ベンガル人もまたこの地域に入り、ロヒンギャの人々とまじりあった。アラカンに(またバングラデシュ南岸に沿って)イスラム教徒が増えたのは、海路によってスーフィーやイスラム商人がやってきたからだった。この事実は、アラカンやミャンマーの長い海岸線に沿ってダルガ―(聖廟)が点在していることからも実証できる。ビルマ人歴史家ウー・チーはつぎのように記す。

「これら信心深いムスリムたちの徳がずば抜けて高かったため、多くの人々が惹きつけられ、まとめてイスラム教を信じるようになった」。

 このように7世紀にまでさかのぼれるアラカンに定住したロヒンギャ・ムスリムに関していえば、彼らは民族的なグループではなかった。すなわちひとつの部族集団に帰属するわけでも、単独の種族というわけでもなく、さまざまな出自の人々から成る民族集団だった。民族的なロヒンギャは宗教的にはイスラム教を信仰しているが、独自の文化や文明を持っていた。


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