1784年以降のアラカン 

 アラカンは1784年までビルマの一部でも、インドの一部でもなかった。存続している間はなんとか独立を(あるいは準独立を)保ってきた。1784年、ロヒンギャ、仏教徒を問わず、何千人ものアラカン人が殺され、モスクやダルガー、仏教寺院がビルマの兵士たちによって破壊された。ビルマ人による40年に及ぶ専制的支配の間(17841824)、全体の3分の2近くの20万人ものアラカン人がベンガルのチッタゴンに避難した。

 第一次アングロ・ビルマ戦争(182426)が1826年2月24日に終結したのは、ビルマがヤンダボ条約に批准し、アラカンとテナセリムを英領インドに割譲したからであった。当時、アラカンの人口の3分の1がムスリムだった。ビルマは1835年のインド政府の条項のもと、1937年4月1日に英領インドから分離された。アラカンは住民の意思に反して英領ビルマの一部になったのであり、こうして最終的には1948年に独立したビルマの一州となったのである。何世紀にもわたってロヒンギャ・ムスリムはラカイン仏教徒と比較的平和的に共存してきた。しかしながら第二次大戦を境に大きな変化がやってきた。第三者、とくに悪名高い英国ラジャの扇動によって二つの民族グループの間に社会共同体を巻き込む騒動が勃発した。1942年3月28日の大虐殺で、10万人のロヒンギャが殺され、8万人が代々暮らしてきた故郷を捨てることになったのである。294のロヒンギャの村が完全に破壊された。そのとき以来、二つのコミュニティーの関係は壊れたままである。

 ビルマが1948年に独立したあと、イスラム教徒は武装して反乱を起こし、ビルマ連合国内に自治州を要求したが、不首尾に終わった。結局、ムスリムたちは反撃を受け、結果として市民権を奪われ、動きが制限され、土地や所有物を没収されるという憂き目にあうことになった。1962年にはじまるネ・ウィン将軍の軍事政権のもと、アラカンのムスリムの住民は、英国占領期のビルマの不法移民というレッテルが貼られたのである。中央政府は彼らをビルマから追い出すために、まず市民権の剥奪からはじめた。1974年の緊急移民条例によってロヒンギャはビルマの国民であることを否定され、自分の国に中で外国人扱いされることになった。

 独立後の磁器(194862)、ロヒンギャは先住少数民族と認識されていたことは特筆すべきことである。なかにはビルマ国会の代表(議員)となった者や、大臣、国会秘書、政府の高官になった者もいた。1962年に軍部が政権を奪取すると、ロヒンギャはシステマティックに政治的権利を奪われていった。差別的であるとして論争を呼んだ市民法が1982年に発布されると、彼らは「非・国民」であり、「外国人居住者」とみなされることになった。

 1999年までに歴代のビルマ政府において、ロヒンギャに対する20以上の軍事作戦が挙行された。二十年に及ぶロヒンギャ抹殺計画が遂行され、ビルマ国立審議会の監督下においてアラカン州審議会は、ロヒンギャを駆逐することを目的とするコード名「ナガ・ミンあるいは竜王オペレーション」を実行した。この1978年のオペレーションは、もっとも大規模で、悪名高く、もっともよく記録されたものだった。オペレーションは1978年2月6日、アキャブで最大の村サッキパラからはじまった。この衝撃はまたたく間に地域中の村に伝わった。老若男女を問わず、大量のムスリムが逮捕され、アキャブ内で拷問、レイプ、殺害が起こったことは、北アラカンのほかのムスリムたちを不安に陥れた。1978年3月、オペレーションはブティダウンやマウンドーに達した。男女数百人のムスリムが牢獄に入れられ、彼らの多くが拷問を受け、殺された。ムスリムの女性は拘留センターで好きなようにレイプされた。無慈悲なオペレーションを恐れ、生活や財産、名誉と尊厳が奪われるのではないかと危惧したたくさんのロヒンギャ・ムスリムが家を捨て、ビルマ・バングラデシュ国境を越えた。三か月以内に30万人以上のロヒンギャがバングラデシュ政府によって作られた一時的な難民キャンプに収容された。国連難民高等弁務官(UNHCR)は彼らを純粋な難民として認定し、救済オペレーションをスタートした。

 1991年7月18日、より恐ろしいロヒンギャを根絶する作戦、コード名ピタヤが発令された。これにはロヒンギャの殺害とレイプ、それに財産や信仰の場所の破壊も含まれていた。これによってロヒンギャはまたもバングラデシュに難を逃れるしかなくなった。近年、バングラデシュとミャンマーの互恵同意によって一部のロヒンギャはアラカンに戻ったが、多くはまだ怖がって先祖の家に戻ろうとはしない。ミャンマー政府がその政策によって機会を与え、ラカインとロヒンギャの話し合いの場が設けられたが、互いを疑惑の目で見ていて、緊張は高まるばかりだった。実際のところ、ラカイン人はロヒンギャにとって最悪の敵なのである。ほぼ例外なしに、アラカンからロヒンギャを駆逐し、浄化したいとさえ彼らは考えているのだ。ミャンマーでは、ロヒンギャは市民権所有を否定され、先祖伝来の家を根こそぎにされ、難民として、不法移民としてバングラデシュに生活することを余儀なくされている。彼らの苦境はアメリカにおけるネイティブアメリカンや占領地におけるパレスティナ人よりもひどいのだ。

 


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