(2)

 他の国々とはほとんど深い関係にはなっていないのに、ビルマは北朝鮮との間に親密な同盟関係を築いていた。いろいろな意味で、これは、国際関係へのアプローチの仕方が身勝手な実用主義であることを実証していた。これは1970年代に武器売買に始まった浮き沈みの激しい関係だった。

 しかし1983年、ラングーンで北朝鮮が韓国の代表団暗殺を試みてからは、関係が悪化していた。しかし互いの利益になることから、二つの国は1990年代にはもとのようになっていた。ミャンマーの政権は飢えている国民の目をそらし、食べ物でなく、武器購入、ときには長距離ミサイルや潜水艦の購入に注意を向けさせることができたのは幸いだった。それはまた、核武装の道を探るということでもあった。しかし政権がその道を選ばなかったのは、中国やインドはもちろんのこと、アメリカを刺激したくなかったからだろう。

 北朝鮮との結びつきは本質的なものであり、双方の国にとって重要だった。たとえば、ミャンマーは軍事インフラの発展の広範囲のプログラムにおいて支援を得ていた。とくに軍事政権は攻撃を受けたときのために、(中距離ロケットを含む)装備を隠すためのトンネル・ネットワークを欲していた。

 歴史的に、ビルマ国軍といえば、国境紛争や国内の弾圧に用いられる歩兵部隊だった。軍の近代化と現代の兵器類と戦術の採用は、2008年憲法における、軍に割り当てられた国政の「指導的役割」を守りたいということと、つながっていた。それにもかかわらず、ビルマ国軍が、かなり値の張る装備を北朝鮮やパキスタン、イスラエルから購入し、使っているという証拠はなかった。それゆえ兵器類は、実際の使用でどうかというより、権威の象徴として重要だったと思われる。

 ある意味、北朝鮮との関係によって、ビルマの外国との交渉事の矛盾点がすべて浮き彫りになる。最先端の兵器類を得るための彼らの食料貿易は、1960年代に始まっていた。というのも、ソ連も中国も、自分たちの技術者を配置し、訓練を施すだけでなく、使用に際し管理するところまでやらなければ、ビルマ政府にミサイル・ランチャーを売ろうとはしなかったのである。

 北朝鮮はそうした要求を突き付けはしなかったし、純粋に商取引として、関係を築こうとしたのである。実際上、北朝鮮は理想的なパートナーだった。アメリカと違って、口先ですら人権問題をからめてくることはなかったし、中国のように、ミャンマーのインフラを自国の地政学的目標にむすびつける野望を心に抱いていなかった。そして孤立主義が兵器類の入手やお金稼ぎの妨げにならないかぎりは、軍事政権はこの外交のスタンスを変えるつもりはなかった。

 しかしながら(憲法制定の)2008年以降のミャンマーは、北朝鮮との同盟関係について中国とアメリカから相当な圧力をかけられることになる。今のところ米国の圧力にもかかわらず、政権は北朝鮮との関係を切りたくはないようである。アメリカの国防長官チャック・ヘーゲルは2015年、ミャンマーに対し北朝鮮との関係を断つよう要求している。

 

⇒ つぎ