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国軍は侵略の恐怖に取りつかれたままだった。独立後まもなくの時期、最大の恐怖は中国だった。しかし軍事政権はほとんどすべての外部の勢力を脅威とみなした。1988年の民主派弾圧のあと、新しい敵の恐怖が出現した。1990年の選挙を無視する決定を下したことで、軍事政権は制裁を課したEUやアメリカと衝突することになったのである。これはアメリカのブッシュ政権の初期に、専制主義の前哨基地である北朝鮮、イラン、ベラルーシ、ジンバブエなどの独裁政権とビルマが堂々とつながったことで、事態は加速したのだった。
将軍たちにとって、この外交的孤立は、ビルマは地域の安全への脅威であるという国連安保理事会の宣言を出す動きへとつながった。そしてアウンサン・スーチーへの国際的称賛は高まり、ほかの反対グループへの支援も増加した。外国の干渉の結果として、2007年にはサフロン革命という形で大衆の暴動へと戻っていったと将軍たちの目には映った(そして元のソ連の共和国のなかでアメリカが誘導する色付き革命が起きるのではないかという恐怖とリンクした)。
侵攻されるかもしれないという疑心暗鬼は、サイクロン・ナルギスの被害を受けた当地を支援するために、アメリカ、英国、フランスが戦艦をこの地域に送ったときに最高潮に達した。そのような恐怖はとくにフランス人によって掻き立てられた。軍事政権は援助物資を分配する際の障壁となっていた。国軍部隊は、ミャンマー内で被害を受けている人々にそれが届くのをむしろ保護する役目を持っていたはずである。
軍部の外世界に対する防衛的で懐疑的な思考法は、ロヒンギャ弾圧の批判に対する彼らのいつもの反応でもあった。彼らは愛国心と仏教をうまく混ぜ合わせ、外的な影響を拒否し、軍の支配を堅固なものにした。多数民族国家において、上述のように、軍隊は自身だけが国家の真の精神を体現しているとみなしがちである。
私たちの国は何千年もの間、独立した国として存在してきた。(……)生命でもって、殉教者や愛国的な英雄が取り戻した独立と主権を守り、保証するのは、そして世界が存在するかぎり、永続性を確保するのは、私たちに課せられた義務である。(International Crisis Group 2001)
このことから、つぎのような見方が導かれる。すなわち国家の安全は、外部のいかなる圧力からも厳格な独立が保たれているかどうかによる。外部は、将軍たちがビルマの利害をどう解釈するかに干渉しようとするものである。インドや中国、元の宗主国など外部の政権が積極的にミャンマーに対して陰謀をもくろみ、その財産を奪おうとする恐怖に対処しなければならない。最終的に、これまで探ってきたように、好ましい、真のビルマ国民は仏教徒であり、ビルマ族であるという理念のもとに、単一文化国家を建設しようという努力があった。
しかしながら、上述のように、独立独歩の精神は、つねに貿易の必要性と張り合ってきた。貿易は兵器類に接近することを許したが、それはまた将軍たちに、ミャンマーの財産を管理し、収益化することをも許してしまった。この緊張は、2007年の大規模な海底油田・ガス田の発見によって頂点に達した。とくに中国、インド、オーストラリア、韓国などの投資をリードする会社は、国営のミャンマー・オイル・アンド・ガス・エンタープライズ(MOGE)が発行する開発ライセンスを求め、確保しようとした。
これらは架空のジョイント・ベンチャー企業にすぎず、実際はというと、外国のパートナー企業がすべてのコストを払わなければならなかった。さらに、インドはシットウェの港湾施設の巨大投資に関わることになり、中国はシットウェと昆明の間にパイプラインを敷設しようとしていた。このパイプライン敷設は、2009年に立ち上げられた、ミャンマーにおける8000億ドル規模の大型インフラ・プロジェクトへの投資の一環である。政治的には、中国は反乱エスニック・グループの越境の動きをブロックすることに賛成した。そして2010年の総選挙のあとの安定化、すなわち政権の継続性を確認したがった。
実際、ミャンマーは孤立している、国際的圧力に免疫を持っていないと描くならわしになっているが、じつは微妙に違っている。将軍たちはいかに振る舞うかについてのレクチャーを受けようとは思っていない。そして外部の勢力が、自分たちの利益のために、ビルマに干渉しようとしている姿に疑念を抱かずにはいられなかった。彼らはむしろ武器を欲し(威信を高める計画だとしても)、さらに重要なことは、国際ステージに集めた資源を認識したかったのである。徐々に彼らは国のインフラを改善し、鉱物資源を抽出するプロセスを簡易にするために、国際投資を欲するようになった。