ロヒンギャ:ミャンマーの知られざる虐殺の内幕  

3 民主主義への回帰(20082015) 


国軍とUSDP 

 名目上、民主主義へ移行しつつあるとはいえ、国内社会と国際コミュニティの両方とも敵と見る軍部にしみついた性質が変わることはなかった。現在のところ将軍たちは経済を効果的にコントロールし(とくに天然資源)、この七十年をミャンマー国内の少数民族との戦いに費やしてきた。鉱物資源がある地域のほとんどが、カレン族やシャン族といった少数民族の支配下にあったため、これら二つの要素は深く絡み合っていた。

 これまでのところ、国軍が改善されうると、あるいは安定をもたらす軍事力であると、また
NLDが政府になるだけの準備ができていないと論じるとき、国軍が正しいと信じた西欧は、国軍と交渉をすることをいとわなかった。2015年の総選挙で負けたにもかかわらず、実際、国軍は経済的支配を維持し、戦略によって「すべての土地を自分たちの管理下におき、その果実によって繁栄がもたらされる」のだった。さらに、すでに述べたように、それは国が耐えられるなら、民族的なビルマ人の仏教徒だけが力を持つという考え方を発展させた。

 実際、ミャンマーに国としての未来があるなら、民族的な多様性を理解すべきであるし、そもそも連邦制度を採択すべきだった。この点で、軍隊は進歩の最大の妨げとなった。ある程度、国家を維持するために作られた物語にぴったり合うものとして、楽観的に(ラカイン州内の紛争のように)内部紛争を見ることができた。

 一部のアメリカに本拠地を置くジャーナリストは、政治に関り、国の富を管理する、切り離された軍の機関として、ミャンマー軍と交渉するのは不可能ではないと信じていた。しかし問題は、国軍が実際上、国の資源に関して独占権を持っていることだった。そして選挙制度が変わったにもかかわらず、これらの資源を開発し、採掘して富を得たとしても、それらは最終的に将軍たちや仲間のグループのもとに行きつくのだった。このように、社会全体が、外国の投資から得る利益に関する希望的観測が一時にささやかれたとき、じつは、ミャンマー経済の絶頂期など関係なく、国軍は政治から身を引くつもりなど一切ないのではないかと言う疑いが生じていた。

 一般的に言って、改革プロセスについて軍内部の論争があり、このことがUSDP(連邦団結発展党)の安定性とNLD(国民民主連盟)との意思の疎通に影響を与えているように思われる。2013年後半、USDPは――実際、旧軍事政権が政党の装いをしたもの――アウンサン・スーチーが外国人と結婚したため大統領になるのをはばむ憲法の条項を無効化することを支持している。

 しかし2014年までに
USDPは考え方を変え、この禁止条項の継続を支持している。この変化の考えられる理由は、年長の役人の間でテイン・セイン大統領に対する不支持が高まったことだろう。一方、政府から排除されたタン・シュウェの支持者が彼の復帰の道を探っていた。もしそうなら、国の富を引き続き軍部が管理する最善の方法を論じるほうが、いかに民主主義へ移行していくかを論じるよりも重要だと見なされた。国軍の指導者たちは、NLDが政権を握るのはまだ早いと考えていたのである。

 さらに、2014年以来、
NLDが選挙戦でより大きな脅威になるにしたがい、アウンサン・スーチーとテイン・セインとの良好な関係は壊れていった。本書が強調するように、国会におけるUSDPからNLDへの権力の移行の交渉に彼らは関わっていた。

 2014年までに民主主義への移行は決まっていたので、テイン・セインは権力の手綱を握りしめ、ライバルたちを影響力のある地位から追放していた。2015年11月の総選挙に向け、USDPNLDの関係に緊張がみなぎっていた。

 八月中旬、
USDPの党主席であり国会広報であったシュウェ・マンが逮捕され、その地位を追われた。なぜこんなことになってしまったか、さまざまな理由付けがなされた。アウンサン・スーチーに近づきすぎたとか、選挙後、NLDに有利になるよう働きかけていたとか、言われていた。

 シュウェ・マンは堂々とアウンサン・スーチーと会い、
USDPNLDとの間で密約を交わしているのではないかという疑惑もでてきた。シュウェ・マンがアウンサン・スーチーから「仲間」と呼ばれるようになったことからも、この解釈はまちがいなかった。「いま、誰が友人で、誰が敵かよくわかります。友人たちとの絆はより深まっています」と彼女は言った。そしてこう付け加えた。「NLDは仲間といっしょにやっていくでしょう」

 入手できる情報から、シュウェ・マンが、国軍の特権が剥奪されることになる2008年憲法の見直しに公然と取り組んでいることがわかっていた。ミャンマー政治がいかに不明瞭になっているかを指摘した一部の評論家は、改革の約束とNLDとの予備交渉は純粋にUSDP内部の論争であると示唆している。実際、陰の改革者として名声を得ることになったシュウェ・マンは、テイン・セイン以上の権力を持つようになっていた。彼はまた、テイン・セインよりも、地位を追われたタン・シュウェに近かった。軍内部に権力闘争があり、彼の失墜は表向きにすぎなかった。

 これは事実かもしれない。USDPが徐々に退職した将校の政党以下、一般的な政党以上の政党として再組織しているということからも、ありえる話だった。そして軍将校の中に不満分子が生まれていた。しかしUSDPは、大衆の支持を得ていないという基本的な問題を解決していなかった。そして2010年総選挙以来の選挙は、軍部や公務員の得票数はNLDの人気を相殺するには十分ではないことを示していた。

 このように、国軍の地位は2015年総選挙の結果によっては地に堕ちてしまうのではないかと恐れられたのである。実際、この総選挙で、
USDPは2010年総選挙で獲得した議席のほとんどを失ってしまった。2010年のとき、NLDはほとんどの地区で候補者を立てることができなかったのだ。USDPのいくつかの党派は、NLDと交渉しながら、権力の座に残る方法を探ってきた。もちろん、1990年総選挙の時のように、民主派の圧倒的な勝利が軍事クーデターを引き起こすことも考えられた。

 もしクーデターが起きていたなら、それは選挙敗北の負け惜しみではなく、混乱を避けるためやむをえない手段だったと世界に示し、国軍もまたそれを言い訳にしただろう。実際、総選挙後に急に緊張が高まった。たとえば、ラカインは選挙結果を無視して正当化するには、そしてかわりに自身の権力を維持するには、国軍にとって便利な場所だった。国軍は残虐で、堕落し、腐敗しているかもしれないが、彼らはまた、国の精神を体現しているのは自分たちだけであり、また彼らの力だけがミャンマーを一つにまとめることができるという自分たちの主張を信じていた。

 

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