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もう一つの重要な対外関係といえば、ASEANである。この地域集合体は、メンバーの国内事情に関しては非干渉の考えであることを強調する傾向にある。領土紛争の範囲内で、ミャンマーがグループ内で積極的な役割を果たすことはなく、よってミャンマーが批判の矢面に立つことはなかった。比較的自由な2012年の総選挙の報いとして、また合法的な野党としてNLDを受け入れたことで、ミャンマーははじめて2014年のASEANの議長国となった。
しかし2015年の難民危機から関係は破綻した。実際、ミャンマーの政策はほかの国の安全性を脅かしていた。とくにマレーシアはミャンマーのロヒンギャに対する対処の仕方から生じた危機を激しく非難した。非難は直接的で、ロヒンギャに市民権を与えるよう求めた。ミャンマーは、おそらく驚くべきことではないが、要求を拒否した。そしてASEANとの関係はもとに戻って公式会議の出席のみに制限された。
ミャンマーとASEANとのやりとりは、国際関係に広くアプローチすることを暗示しているのだろう。グループとしてASEANは地域支配を確立しようとする中国の台頭を懸念していた。彼らは貿易と経済発展の機会は歓迎しているが、中国の圧倒的なプレゼンスには脅威を感じるようになっていた。ASEANが圧力をかけようとすると、ミャンマーはしばしばこの中国の脅威を利用した。つまり、ミャンマーは自国政権がASEANとのつながりを弱め、より中国依存になるかもしれないとにおわせておいて、自分たちへの批判を最小限にとどめるよう求めた。
これはつまり、政府が複数のパートナーを持ち、それらの国とめざすところが違っていたとしても、心配することはないということを示している。中国とアメリカが、ミャンマーに関して争うのでなければ、どちらか一方が、踏み込んで政権を批判し、現在進行形の人権侵害を犯しているとして罰するかもしれなかった。この意味で、北朝鮮は理想的な交渉カードといえた。それは政権に、何か役に立つもの(安価な武器とか)をもたらすかもしれなかった。そしてアメリカ、インド、中国への暗黙の脅威として使われるぐらいには影響力があった。実際、ミャンマーが北朝鮮に接近するとしたら、それらの国はミャンマー政権を敵に回すというリスクを取るだろうか。
国際関係の変化は、西欧諸国に都合のいい筋立てに沿ってできている。ミャンマーはある種の民主主義へ向かっていく途上にあり、外国の投資にも開かれ、メディアに友好的な野党のリーダーもいた。ミャンマーはいまや機会の国だった。地域大国であろうと、世界的大国であろうと、多くの国が国の鉱物資源という富を開発したがっているのだ。そしてどんな問題が見られるにしても、ミャンマーが民主主義、自由主義(リベラリズム)、西欧の価値観に向かうとき、それらは必要なくなったゴミのように、道端に投げ捨てられるだろう。
テイン・セインはあきらかに彼の明確な改革主義的政策から利益を得ていた。『フォーリン・ポリシー(外交政策)』誌は彼を2012年の「今年の思想家(Thinker of the Year)」に選んだ。そして当時の国連事務総長パン・キムンは彼の「ミャンマーを変革の道に導くビジョン、リーダーシップ、勇気」を称賛した。このように、2011―14年の時期(USDP統治を脅かすいかなる選挙も行われない時期)のある程度の自由主義は、国際的投資を最大限に拡大し、合法性を得るために念入りに練られた戦略のように思われる。
これまでのところ、これがうまくいっているのはあきらかである。多くの外郭団体は、ミャンマーがより民主主義的な国になりつつあると、どんな問題も、独裁政権から民主主義的政権に移行する過程に伴う、ささいな後退にすぎないと信じたがっているように見えた。これは危険な仮説であり、現実は、依然としてミャンマーの将来の成功は、すべての市民の権利が尊重されるかどうかにかかっている。とりわけもっとも弾圧されてきた諸グループの権利である。2015年に難民流出が見られると、ロヒンギャ弾圧は近隣地域の安全性の土台を崩すほどの大きな問題であることが明らかになった。進歩とは、定期的な選挙という都合のいい見せかけのことではなかった。
この数年間、ミャンマーに流入した国際資本は膨大なものがあった。それによって弾みのついた国際社会は、国内問題にも口をはさむようになった。抑圧された少数民族のことに干渉できるようになった。実際、そうすべきだった。すべての政府は国際世論をある程度は気にしていた。この点に関し、とくに歴史的に見てミャンマーは、独立を果たして以降、いかなるときでも、国際世論に対してもっとも敏感に反応を示していた。今、民主主義への限られた移行をあわててほめたたえ、投資ブームを分かち合うことを確かなものにした。外国は彼らのモラルに満足することはなく、まちがいなく(国連憲章のもと)合法的だった。少数民族に対する虐待を続行していることについて、政府に申し開きをさせる義務があった。
最近のほかのジェノサイドの例、たとえばルワンダがそうだが、ある国で本当に起きていることに対して国際社会が関心を持たないのは、危険である。政府が外国の圧力を恐れる理由がないとき、さらなる、いやエスカレートした弾圧が加えられるかもしれない。ロヒンギャ活動家にとって明らかなのは、ミャンマー政府が国際的な制裁に屈したときのみ、弾圧に干渉することを同意していることだ。政府にとって、経済を立て直すことは、強い軍隊を持つことを意味した。
ある活動家は私にこう言った。「私が与党の〇〇と話をしたとき、彼らの関心がミャンマーを経済的に強くすることにあると感じました。経済が強くなければ、国防も強くないのです。彼らは英国の国防大臣の言葉を愛しています。ミャンマーの国防大臣は英国の国防大臣の言葉を引用したがるのです。そして彼は言いました。いい経済なしに、強い国防はありえない、と」
政府の論理、そして脆弱さはあきらかだった。政府は強い経済を欲していたので、外国の圧力を恐れることなく、欲しがっているかのように振る舞った。現在の(2015年頃の)政権は、ミャンマーの国民の大多数の利益のために経済成長を欲しているわけではなかった。それでも経済成長を確保する必要があると信じているなら、ロヒンギャを認識する準備はしていたぁもしれない。政府は外国の論戦を知っていたはずだし、少なくとも外国勢力との公然とした争いは避ける必要があった。
あるロヒンギャ活動家は言った。「もし国際的な圧力を止めるなら、彼らはホッとするでしょう。一方で、国際的圧力が続くなら、私たちは完全に同意します」。あとでまた論じるように、現時点で、国際社会は思った以上に政府に影響力を持っている。無関心は悲劇的な結果をもたらしてしまうだろう。