ロヒンギャ:ミャンマーの知られざる虐殺の内幕  

4 ロヒンギャ関連(20082015


難民の運命 

 絶望の度合いを理解するために、逃亡したロヒンギャを待つ運命がいかにすさまじいものであるかを強調する価値はあるだろう。先の何年間か、密輸業を生業とする人々は、彼らの大半をタイ、インドネシア、マレーシアへと運んだ。そこで彼らは効率的に奴隷労働者として働くか、記録に残らない、誰にも保護されない、闇の労働者の世界へ消えていった。

 奴隷労働は地域的なエビ漁産業では一般的に活用されていた。とくにタイでは、重要な労働力として欠かせなかった。ある推計によると、タイでは50万人が奴隷労働者として働いているという。多くはミャンマーからの難民だった。レポートによれば、彼らは不法にタイに入国し、警察に捕まり、それからボート所有者に引き渡された。

「ある日私は警官に呼び止められ、労働許可証は持っているかと、尋ねてきたのです」とビルマ人移民エイ・エイ・ルウィン(29)は言った。彼はソンクラ港のドックに拘留されていた。「彼らは1万バーツの賄賂を払えば逃がしてやると言ってきました。でも私は持っていませんでした。私は誰も知らなかったので、彼らは私をほとんど人のいないエリアに連れて行きました。そこで私をブローカーに渡しました。それからトロール船に私は送られました。そこで労働をするためです」

 ミャンマーからの大量流入があったことによって、またタイ当局の共謀によって、タイの奴隷は今、とても安い。人間の価値は今、19世紀の頃の5%にすぎないと見積もられている。この地域の現代の奴隷はあまりに安く、彼らは今、使い捨ての人々と見なされている。[K・ベイルズ 使い捨ての人々 2012] 

 労働者たちはすぐに漁船で海に返される恐れがあると気づくようになった。「パイナップル工場で働くことになると言われていました」ビルマの農村部から来た肩の広い21歳の青年チョーは思い出す。「でもボートを見てわかったのです、自分が売られたことを。ぼくは絶望し、死にたいと思いました」。

 タイは漁業の手ぬるい法の網を破った違法貿易の中心地となっていた。警察と密輸業者の間には腐敗の構造があった。この共謀は軍部と警察の幹部をも巻き込んでいた。彼らは人々をタイで捕らえ、奴隷の状態に送り込んだ。実際、ロヒンギャ人身売買の組織を作っていた。タイ漁業の経済的基盤をつくるため、彼らをあきらかに奴隷として売ったのである。

 地元の乱獲が原因で、タイの漁船はインドネシア、マレーシア、ミャンマーの沖合で操業するようになり、安い奴隷労働が経済モデルには欠かせなくなった。長旅の燃料代は高くつき、船員を養い、給料を払わなければならなかった。奴隷労働は安くすむので、奴隷は飢えたとしても、海で消えるか、船長に殺されたとしても、ほかの奴隷が取って代わるだけだった。ほかのタイの船は漁業を捨てることもあった。

 難民キャンプのロヒンギャを人身売買するほうがはるかにもうかったのである。彼らはロヒンギャをほかの漁船の船長に売りさばいた。タイのこの種の取引は根深く、危険なカテゴリーに属し、北朝鮮とも取引があった。北朝鮮といえばアメリカ国務省の人身取引指標にリストアップされる世界最悪の人権侵害国家である。最近の証言によれば、取引にかかわるタイ当局者は見て見ぬふりをするだけでなく、タイにロヒンギャが到着したとき、人身取引業者から彼らを受け取り、ジャングルの難民キャンプへ送るということまでやっている。キャンプでロヒンギャは留め置かれ、そして漁船に売られる。

 もちろんタイだけの問題ではない。その地域、とくにタイから安価なエビの供給を受ける欧米の会社も同罪である。我々は気づこうとさえしないけれど、食べ物のサプライ・チェーンはミャンマーを含む人間の悲惨さを基礎としているのだ。少なくともこの意味で、この状況で我々も同罪である。

 ミャンマーから逃げるために、人身取引業者にお金を払ったロヒンギャ難民を待つ厳しい見通しは、「タイ漁業における奴隷の一生」だけではなかった。陸(おか)を選んだ人もいたが、より安全というわけではなかった。奴隷として売られることはなかったが、多くはタイ・マレーシア国境の難民キャンプに拘留された。そして最近キャンプで死んだこれらの人々の墓地が発見された。

 彼らは家族が身請け金を払うまで拘留された。払われない人々は、殺されるか、奴隷として売られるか、だった。この運命から逃れたとしても、多くは何の保護もなく、不法に働かねばならなかった。女性と子供たちはとりわけ政敵搾取に対して脆弱だった。子供たちを食べさせるために自分は飢える母親の話もよく聞いた。売春をやらされたり、密輸業者から解放される代金の一環として結婚させられたりする女の話も多かった。そしてミャンマーから集団で逃走するため、家族の女性を結婚という形で売る場合もあった。

 試練を生き延びたひとりのロヒンギャはつぎのように語った。

 私は船の上で十四日間を過ごしました。運ばれて三日後、三人の密輸業者がマレーシアからやってきて、船に乗り込んできました。彼らは携帯をいくつか持っていました。まず誰が電話番号を持っているか尋ねました。ひとりひとり、私たちは親戚に電話をかけ始めました。電話番号を持たない人たちは殴られました。密輸業者は乗客にアンカーの鎖か中に重い物が入ったプラスチックのパイプで彼らを殴るよう命じました。電話番号を持っている人でさえ殴られました。家族がお金を送るまで、虐待がつづきました。生き残った者たちは小さな漁船で岸辺に連れて行かれました。私はそこを去るとき、三人がぐったりしているのを見ました。そして遺体がひとつ船から海に投げ込まれました。 

 

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